14の病
歩き去る男の姿を、睨みつけている子供の顔を見たからだ。
泣きながら、明らかな憎悪を浮かべた目は、色の落ちた映像でもそれとわかる鮮やかな緑だった。その上にある太い眉毛も、顔立ちも、よく似ている。
いや、まさかそんなはずない。もっと画面をよくみようと、俺が一歩踏み出したところで、映像が切り替わった。
今度は、どこかの建物の中だ。
壁も、床も石で出来た部屋には、鉄格子の嵌められた窓以外何もない。かろうじて部屋の隅に、藁のようなものがばら撒かれている。それだけの、牢獄だ。
石の牢獄には、10歳なるかならないかくらいの、少年が壁に寄りかかって座っている。どこがぐったりとした様子のその子が、さっきの子供が成長した姿だということは顔を見なくても、すぐにわかった。そして、それが誰であるかも。
あの、世界で一番小さな未承認国家にそっくりなんだ。でも比べると随分痩せている。細い体に不似合いな、大きなローブが微かに揺れて、振り返った顔も頬がこけていた。
────だけど、解らない。
あの人はなんだってこんなもの作ったんだ。しかも、本当に自分そっくりの子役までみつけてきてさ。
疑問と、映像の不愉快さに俺が眉を顰めている内にも、テレビの中で物語りは進んでいく。
カメラアングルがかわり、視点が移る。少年がぼんやりと眺めている方にだ。そこには重く、頑丈そうな扉があった。耳を澄ますと、微かに外から声がする。
やがて、足音が聞こえ牢屋の扉の、のぞき窓が開く。中をのぞいた兵士らしき男が、自分を見つめる緑の目に気付いてあっと声を上げた。そして、薄気味悪そうに顔を顰める。
『おい! まだ生きてやがる』
『本当か? 二週間にも飲まず食わずだろ』
化け物か? それとも、悪魔の類かと噂する見張り達の会話を、緑の目の少年はうつろな表情で聞いていた。
『……公は、なんだってあんなガキ…』
『さあ、珍しい生き物だって……』
誰に憚っているのか、途切れ途切れの会話に、聞き覚えのある名前がでた。確か、この国の一番目か二番目の上司の名だ。
この土地を征服した彼は、隣の国の貴族だ。にもかかわらず、ここを国として王として即位した。王にはなったけど、なお隣国の貴族であり続けた彼は、ここを自国の国土、というより占領地と思う感覚が、どこかにあったんじゃないだろうか? 少なくとも俺が自分で調べた時は、そういう風に感じた。
それで、その占領地そのものとして生まれた子供を、彼がどう思ったか、この映像を見れば嫌でもわかる。
だけどさ、いいかい? 俺はなにも、タイムスリップしてこの現場を見てるわけじゃないんだ。わざわざお膳立てされた上で、見させられてる。
「イギリス!」
俺はテレビに再び背を向けて、叫んだ。
「こんなの見せて、いったい何がしたいんだい!」
そう、まったく意図がわからないんだ。
困惑する俺の後ろでは、さっきの兵士らしき男の会話が続けられている。
『いや、こいつ何もくってないわけじゃないぞ。よく見ろ。藁が減ってる』
『うへぇ、素直に飢えて死ねもしないのか。浅ましい』
『こりゃ確かに珍しい生き物だ』
嫌な笑いと蔑みに満ちた声に、俺は自分の中で、膨れ上がるやり場のない憤りを散らすように、扉を叩いた。
「おい! 聞いてるんだろっ!」
だけど、叩こうが怒鳴ろうが、なんのリアクションもない。焦れた俺は、なんとか扉をこじあけようとしたけど、どういうわけかびくともしない。
そうする内に、後ろから射す光の色がかわった。また場面転換があったんだろう。だけど到底、振り向く気にはなれない。見たくない。もちろん振り向かなければ、それは叶う。
でも、音だけはどうしようもなかった。聞こえるんだ。
痛めつけられる音や、泣き声。必死に逃げ惑っているんだろう、嗚咽の混じった荒い呼吸音。そして、見つかり捕まえた奴のものだろう、いやな笑い声と、悲鳴。
その内いくらか声が低くなり、今のあの人と殆どかわらない程になったか思えば、また最初の場面で言わされていた、ごめんなさいという、幼い叫び声が響く。それに、古い銃や、聞き覚えのある幾つかの声がかさなる。
時系列がめちゃくちゃになっているらしいそれを、俺はもう見れる気がしなかった。
ただ、この部屋から出たい一心で扉を蹴破ろうとして、でも失敗し、扉に跳ね返された時。テレビから射す光がぱっと赤く染まった。
もう嫌だ!
続いて響いた絶叫に、はじかれたように俺は踵を返した。
テレビを消してしまえばいいんだ。そう思って、駆け寄り電源ボタンを押すけど、どういうわけか、電力は供給され続け悪趣味な映像は止まらない。
じゃあコンセントだと手繰ったコードは────途中で切れていた。
「えっ?」
驚きと共に、俺はテレビを見る。それで、今まで極力見ないようにしていた映像を、真正面から見てしまったんだ。
よりにもよって、このタイミングで。
視界に飛び込んできた画面は、もう赤くはなかった。泣く子供も、嫌な笑い声を上げる奴もいない。
ただ、一面の灰色と黒の世界に、赤と青の点が二つ映しだされていた。曇天の下、泥と血にまみれた二人が対峙する姿が。
俺は思わず、声を上げかけた。でもそれが漏れる前に、ある思いが頭をよぎる。
────これが、さっきまでのものに、含まれているのか。
すっと冷たくなった腹の底から、全身が冷えていく。知らず吸い込んだ空気さえも、冷気のように感じた。
なんで、と声にださずに呟く俺の視線の先で、二つの点が動き始める。そのマスケット銃が、ぶつかる前に俺はすべてに背を向け駆け出した。
気付いた時には窓枠へ手をかけたところだった。そこで、ガチャンと大きな音がして、反射的に音のした方へ視線を向けると床に、ガラスの破片が散らばっていた。窓際のチェストに置かれていたテーブルランプの慣れの果てが、テレビから発せられる光を受けて、灰色に光る。それを横目に俺は、今度こそ窓枠へ手をかけた。
外は、もう部屋の中とそう大差ない暗さだった。
見上げた月は小さな三日月で、光りが弱い。元より、雲の多い場所だ。星の光も僅かだった。
暗さと、それからいくらか動揺してる俺は、踏み外さないよう慎重に降りる。
下まで辿り着くと、はしごの横に何かが落ちているのに気付いた。近づき手に取ると、それは本だった。二冊、どれもハードカバーの古めかしいものだ。
ああ、そういえばチェストの上に置いてあったっけ。ぶつかった時に、テーブルランプだけじゃなく、これも一緒に落ちたんだ。どうにかして、外へと転がりだしてしまったそれを、でも戻しに行こうとは到底思えない。
あんなもの見せられるくらいなら、ホラームービーの方がまだましだ。
ようやく、起こった事実に感情が追いついてきた俺は、今にも爆発しそうな怒りにまかせて、手に持った本を地面に叩きつけようとして───やめる。
物に当るなんて、ヒーローのすることじゃないからね。