14の病
案の定、聞きなれた声が、ドア越しに響いて、俺は思わず遠い目をした。すると、今度はケセセセセという笑い声と共に、ノックにしては随分派手な音がしはじめる。やめて、そんな乱暴にしないで! 壊れちゃう! らめぇえええええ!!
と思いながら玄関の扉を開けると───そこに立っていたのが誰か、もうおわかりかと思う。
「よう!」
既にどこかで一杯ひっかけてきたのか、ご機嫌な様子のそいつを見て、俺はドアノブを持ったままがっくりと肩を落とした。
「んだよ。シケた面して」
また女にフラれたか? という定番の台詞に「んなわけねーだろ。俺はお兄さんよ? アホの面見てどっと疲れが押し寄せたんだっての」と返して顔を上げる。
そして、改めて眺めた相手アホ面もとい、姿に、一瞬動きを止めた。
服装は、よく着ている白いシャツに黒いズボンだ。アメリカあたりもよく同じようなしてるが、あいつの場合服を選ぶのが面倒臭いからだと知っている。現に下のGパンやカーゴパンツも同じようなものが多い。
だが、こいつの場合は、恐らくこれを勝負服だと思っているフシがある。なぜなら、ちょっと思い出して欲しい。あのふざけたタイトルのブログの背景画像につかわれていた写真の服装を。
…いや、今はそんなことはどうでもよかった。ごめんごめん。
お兄さんが一瞬動きを止めるに至ったものは、やつの首にかけられていた十字架だ。チンピラっぽく第二ボタンまであけられているせいで、まるで見せびらかすように映るそれは、でもただのかっこつけアクセサリーじゃない。これは確か、こいつが今の名前になった頃から持っていたもののはすだ。
「………」
「…なんだよ」
無言のままの俺に、相手が怪訝そうに顎を引くが、構わず俺は自分の思考を優先した。
ホラーでトラウマなハウスがどうなるか、気になる。だが、お兄さん自身は現地にいきたくない。不思議体験はもう間に合ってます。
だが、現状はどうにも雲行きが怪しいし、事の経過、つまりは自国の危機をイギリスの上司が、こっちに知らせてくれるとは思えない。
だから、誰か個人的に様子を見てきてほしい。事によっちゃ、お兄さんの上司にも事情を説明しないといけないからな。
「ので、プ…ギルベルト。おつかいしてくれない?」
一応室内じゃないってことで気を使い、名前を呼びなおした俺に、プロイセンは「は?」と首をかしげた。幸い、こいつは現場にいるアメリカと個人的に仲が悪くない。イギリスにしても、殺人料理を食わされはしたが、同じ病気ということで何かしらの親近感みたいなものを持ってるみたいだ。状況を話せば、普通におつかいしてくれるだろう。
そう、普通に………説……明……?
果たしてあれをどうやれば、普通にまとめられるのか…。早速躓いた俺は、考えあぐねた末。
「……いやー、アーサーが自宅で何者かに襲われて、その上中二病こじらせちゃって」
流石にこれは無いかな、と思いながらも口に出してみると、
「…なっ! なん…だと…!」
えっ!? つうじた?
お前こそなんだとだよと思ったが、せっかくのってきたところに水をさすことはない。なのでそれ以上何も言わずにいると、相手は焦れたのか、一歩こちらへ踏み込み、
「それで!? どうなったんだ?」
唾をとばさんばかりの様子に、俺はやや後ろに身を引きながら答える。
「今がアルフレッドが現地でがんばってるが、苦戦してるみたいだな」
だから、お前ちょっと様子を見てきてくれないか? と聞くと、二つ返事で了承された。
そんな簡単でいいのかよ? と思いつつも、その後簡単に現状を説明し───。
「じゃあ…ええと……」
お望みどおりの展開とはいえ、こうもうまくいくと、流石に気が咎めた俺は最後に「気をつけてな」と付け足す。すると、プロイセンはまるで年頃の娘と久々に会話した時の父親のような、微妙に嬉しそうな顔をして、ぶっきらぼうに片手を上げた。
「お……おう!」
そしてそのまま背を向けるかと思ったが、予想に反して真面目な表情を浮かべ、
「で? 敵は、どんな奴だ?」
「敵?」
「そのアーサーを襲ったってやつだよ。それとも、情報なしか」
「あー…」
そっか、敵ね。つーか、情報よこせってことは、倒す気か。流石は趣味、喧嘩だな。
だが、まさか相手は悪魔です! 黒くてドロドロらしいよ。という情報を提示できるはずもない。(意外とこいつは幽霊なんかを怖がる奴だし)
それ以外で、言えることといえば…。
「…名前なら」
「名前?」
もっと弱点とかねぇのかよと文句をたれるプロイセンに、その名前を明かす前に、情報をひとつ。
アメリカが持ち出した、二冊の本の内一冊はオカルト専門書。もう一冊は、今や全世界で有名な王様と、騎士達の物語だ。とくれば、大体そのタイトルは思い浮かぶだろう。
───いいかな? では、話を戻そう。
俺は、プロイセン曰くの敵、そしてイギリスに取り憑いた悪魔の名前を明かす。
「アーサーってな。いうらしいぞ」
ということで、もう一冊の本のタイトルは『アーサー王伝説』でした。
そして、なぜそれが名前だと解ったかについては、もう一冊のオカルト専門書による。
そのアングラな専門書は、所謂悪魔や妖精、精霊なんかの伝説をまとめた、所謂そっち系の図鑑のようなものだった。
そして、しおりの挟まれていたページには、ボガートという霊について書かれていた。ということは、悪魔の正体はこいつで間違いない。
このボガートについては、諸説あるらしいが、隣のファンタジー大国じゃ、だいたいは屋敷に住み着いて常に悪さをする霊なんだそうだ。
そして───ここが、重要なところだ───この霊には、決して名前をつけてはいけない。なぜなら、名前を得ると理不尽で手に負えない、破壊的なものになるからだ。
そんなやつに、なんで名前なんざつけやがったのかという問いには、襲われてる本人の名前が一緒なことで、答えが出る。
大方あいつを人の名前の方で呼んだはずが、悪魔が勘違い起こしたとかなんだろう。
考えるだに不条理な話だと、思わず溜息を吐いていると、目の前でしばらく何か考え込んでいた奴が、首をひねる。
「アーサー? あいつ、自分と戦ってんのか?」
「そうそう、己の影の部分がね……って、そんなわけないだろ!」
「ま、そりゃそうか」
どうやら中二的な発想には至っていなかったプロイセンは、続けて、「で、それ以外は?」と訊ねるが、俺が何か言う前に、
「何もなしだな!」
一人結論をだし、踵をかえした。
おいおい、本当に(お前に言えることは)何もないけど、どうなんだよその会話の流れ。そう考える内にも奴の姿は遠ざかり、やがて階段へと消える。
残されたのは、ようやく静けさを取り戻した空間と、そこでまた溜息をひとつ吐き出す物憂げなお兄さんだけだ。
やがて玄関の扉を閉ると、リビングへ戻りながらいつのまにか頬に落ちかかっていた髪を撫で付けた。
プロイセンは、あんな調子で出てったが、もちろんすぐ目的ににつくわけじゃない。高速列車で、ロンドンまでおおよそ三時間弱だ。それから郊外の家まで移動するとして、到着は真夜中になるだろう。時間帯的に、丁度オカルトタイムと言えなくも無い。