14の病
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もう訳がわからない。
俺の好きな人は元々問題の多い人物で、しかも、最近怪しい病気にかかってることが判明した。もちろん、どうにか治そうと奔走したさ。君が同じ立場だったとしても、そうするだろ?
だけど、その努力も空しく、しかも突然病気をこじらせた相手が、自宅をホラーハウス改造してて追い出され、締め出された。それでもなんとか入り込んでみれば、用意されていたのは胸の悪くなるようなトラウマ映像だ。
その上今度はなんだって?
発端であるはずの病気が、そもそも他人が気にするようなものじゃないってどういうことだい?
『じゃあもう切るぞ』
大きな爆弾を落とし、謎をさらにこんがらがらせた会話は、終ろうとしていた。
憮然とする俺に、受話口の向こうの爆撃手は、駆けつけてくるらしいドクター達の邪魔をしないようにと、くどいくらいに繰り返す。俺はそのほとんどを惰性で聞き流していた。
まともな会話なんて、できやしないよ。頭の中を、整理するので精一杯だ。
幻覚を見るのは体質で、(それもそれで問題があると思うけど、かかりつけの医者がいるくらいだ、少なくとも嘘じゃないだろう)中二病の症状じゃない。暗くてジメジメしてて、世の中怨んでるようなところが病気で、それでもって、でもそれは人が気にするようなものじゃない?
もう、ことの起こりからひっくり返されたような気分だ。
しかも、その後出しの情報で頭がしっちゃかめっちゃかになりそうなところを、ここにきてから矢継ぎ早に起こったろくでもない出来事の記憶が、更に追い討ちをかける。
矛盾と疑問、それに対する予想。駆け巡る思考に、オーバーヒートしそうな頭を軽く振って熱を逃がす。
ああもう、少し考える時間をくれ。
ってさ。そう思ってたのに、そういう時に限って厄介ごとは起こるんだ。
それは、髭のオッサンとの通話を、今まさに切ろうとしていた時のことだ。
こつん、と小さな衝撃を俺は肩で感じて、痛みは殆どなかったけど条件反射で声がでた。
「いてっ」
言いながら、思ったんだ。こんなこと、前にもあったぞってね。
それはもう随分前の事のように思えるけど、時間的には恐らく一時間も経ってないだろう。あのゲストルームに入る前のことだ。
携帯を閉じながら足元に視線をやると、そこに転がっていたのは丸まった紙屑。多分中には石がはいってるんだろう。あのヘタクソな、はしごの絵を見つけた時と一緒だ。
そのまま素早く振り返ると、黒い影が走り去るのが見えた。
───今度は逃がすもんか!
こんがらがった思考を放りだして、俺は駆け出す。
「待て!」
と言っても、待つ相手じゃあない。
そして夜の庭は、当然だけど鬼ごっこには向いていなかった。特に鬼の役をするんだったらね。
しかも、相手はここの主だろうから……それにしちゃ少し影が小さい気がしたけど。今こんな事をしてくる相手は、彼しかいない。だからここは、まさに文字通り自分の庭ってわけだ。逃げ道や、隠れ場所なんかには困ることはないだろう。
じゃあアウェイで鬼をやるこちらとしては、どうするか?
俺は早速見失いかけた黒い影を追いながら、頭をフル回転させた。
やがて、影を見失った俺はそれでも立ち止まらず、広い庭の中を走り続ける。まずは、なるべく大きな音をたてて。そうしながら、落ちている枝や小さな石を幾つか拾い集める。
それが終ると、今度は静かに。木の幹や、植物の陰に隠れるようにして移動する。徐々に姿勢を低くして動き回りながら、時折集めた枝や石を離れた場所に投げて、居場所を特定されないようにした。
しばらくそれを続けた後、最後の石を遠くへ投げてから、俺は目星をつけていた木にそっと登った。常緑樹の緑は、夜の闇とほとんど同化していて隠れるにはもってこいだ。
太い枝を選んで登りきると、覆い茂る葉の間から息を殺して辺りを見回す。
なにも、自分から進んで鬼をやり続ける必要なんてない。だって、最初の時もわざわざはしごの絵なんて、ヒントが描かれてたんだ。あの紙は、俺に見せるために作られてる。
だから、俺があれを見なかったり、ましてやここからいなくなったりしたら、困るのはあっちなんだ。
───いなくなるわけ、ないけどね。
しつこいところは、育ての親譲りかな? なんて、親と呼べる永く一緒に暮らした記憶はないけれど。
それでも、家族だったと思える記憶を共有している相手の姿を捜して、俺は視線を走らせる。
しばらく辺りは静かなままだった。相手も、こちらの出方を窺ってるんだろう。できればそれが、俺のように木の上で、でないことを願うよ。
聞いたことないかい? 制空権まではいかなくても、上からの、なるだけ広い視点を得たものが勝つってさ。
やがて、俺はその言葉が正しかったと確信した。
音も無く、庭に現れた影がその証拠だ。
そいつは最初そっと、木の陰に隠れながら辺りを窺い、やがて、自分の投げた紙屑へと近づいていく。拾われていないか確認したかったんだろう。
俺は目を凝らしてのその影を追ったけど、用心深いそいつの姿をちゃんとは見ることは出来なかった。なんで、それを気にするのかというと、だけど、やっぱり小さすぎる気がするんだ。
でも、イギリスじゃないとしたら、あれはいったい誰なんだろう?
俺は首を傾げる。
シーランドだろうか? でもそれにしちゃ、この状況で騒ぎもしないのは可笑しい。
あの、何かと騒がしい子供が、こんなにずっと黙っていられるとは思えないからね。
なんて考えている内に、小さな影に焦りが見え始めた。俺がいなくなったと思ったのか、もう身を潜めることもなく、庭中を走り回る。
でも、不思議なことに木の陰やなんかから出てきても、そいつが誰だかはわからなかった。いくらか時間が経って、月の位置が高くなったせいか、辺りは結構明るくなってるはずなんだ。なのに、顔はおろか着ている服がどんなものかさえわからない。
月明かりの下に見えるのは、全身が真っ黒な人型の塊。まるで影だけが、勝手に動き回ってるみたいだ。
───いや、ピーターパンじゃあるまいし、そんなはずない。
自分で自分の考えを否定して、俺は改めて庭を走り回る黒い塊に意識を戻す。あれがイギリスじゃないにしても、俺の知らない何かを知っていることは確かだ。
そう結論付けて、俺はじっと機会を窺う。この木の下に来た時が勝負だ。
そして、その時は間も無くやってきた。
黒い塊が、こちらへ向かってやってくる。
好都合なことに、いくらか走る速度が落ちていた。俺がいないことに腹を立てているのか、その足取りはどこか荒い。けど、不思議と足音はたっていなかった。
まあ、目で追えるなら問題ないけどね。俺は息を詰めてタイミングを計る。
……3…2…1、今だ!
相手が真下に来たのを見計らって、俺は枝から一気に飛び降りる。ざざっと葉の擦れる音がして、相手がこちらを見上げてきたけどもう遅い。
「…っ!」
「っと、つかまえたぞ!」