14の病
じゃあ、とご要望にお答えするべく立ち上がった俺は、指差していた小さな手を握る。まま手を引いて歩き出そうとした俺に、相手は驚いたように飛び上がった。
「? どうしたんだい? どこか痛いのかい?」
もしかして、さっき落ちたときにどこかぶつけたりしたんだろうかと、相手を覗き込んだ俺を穴の目がじっと見上げてくる。
やがて、ふるふると横に振られた頭の部分は、照れたように下へ向けられた。シャイな子なのかな? まあ、怪我がないならいいや。
そう結論づけて、俺は改めて小さなオバケと一緒に紙屑の元まで歩く。拾い上げたそれを、開くと中にはやっぱり石が入っていた。
「……人に石をなげちゃいけないぞ。痛いし、怪我するかもしれないだろう」
紙を広げながら言うと、小さなオバケが首を傾げる。この子、いったいどういう教育受けてるんだ…。
両親に一度きちんと話をした方がいいかもしれないと、思いながら俺は広げた紙を見る前回に引き続き、鉛筆で描かれたらしい掠れた絵は本だった。
月明かりでも、それが本だと解るくらいの大きさで描かれたそれを見て、俺は咄嗟にさっき投げ出した二冊の本を指差す。
「あれのことかい?」
オカルト専門書はともかく、アーサー王伝説の方はこの子のだったのかな?
なら乱暴に扱って悪いことをしたと思ったけど、答えはNOだった。
黒いシーツがもそもそと揺れて、かぶりを振ったオバケは、もっと良く見ろとばかりに指で紙をつっつく。
指示にしたがうと、なるほど。絵の本には、それがなんの本だかわかるように、表紙ぶぶんがきちんと描き込まれていた。
中心に、海水に煽られたヒトデみたいなものがあって、まわりに描いてあるものは…文字? だとするとこれは…怪しげな魔法陣だ。
子供が描くならまだ微笑ましいそれに、俺は見覚えがあった。持ち主は残念ながら大人で、もちろんちっとも微笑ましくなんかない。
イギリスが持っている、古い、魔道書だとか何とか言い張ってるやつだ。
そう気付いて顔を上げた俺に、小さなオバケはまたどこかを指差す。
今度はなんだと思いながら、指された先───今回は家のある方だ───に目を凝らすと、そこには本らしき四角い塊があった。
場所は、さっき俺が入ったゲストルームの丁度真下だ。
他の本と同じく、あの場に落ちたのかそれとも誰かがわざとあそこに置いたのか。
多分、後者だろう。それで、この子は協力者ってわけだ。なぜなら、「あれを取ってこいって?」と聞いた俺に、黒いオバケもどきは頷いたからね。しかも、一緒に取りにいく気はないらしい。手を繋いだまま行こうとしたら、地面に足型の溝が出来るんじゃないかって程、踏ん張られた。
ああもう、これで決定だ。
それにしたって、こんな小さな子まで巻き込んであの人はいったい何がしたいんだ。
本人の言ってたとおりなら、驚かせて俺をこの場から帰らせたいって事になるんだろうけど、ならこの用意周到さはなんだろう。矛盾してるじゃないか。
あんな風に自分のトラウマを見せつけてくる必要なんて、どこにもないんだ。
じゃあ、なぜあれは準備されたのか?
答えとしては、脅しにまぎれさせてでも見て欲しい、知って欲しいと思ってるからだ。
フランスは『他人が気にするような病気じゃない』って言ってたけど、あの人の中二病の症状が、もしそういうものだとしても(幻覚を見るのが体質っていうのは怪しいけど、少なくとも、かかりつけの医者がいるくらいだ、嘘じゃないだろう)それは正に俺達、他人、つまり外側の人間の見解であって、本人は知って欲しい、気にして欲しいと思ってるんじゃないかな?
もしこの予想が正しいとすれば、イギリスはとんだ甘えた露悪趣味ってことになる。もしくは、ヤケになって全部ぶちまけて、嫌になったら帰りやがれもう構うなってね。
ジメジメしたあの人の言いそうな台詞だ。
これをもし仮に、俺にまったく関係のない奴が言ったのなら、そうだねと頷いてさっさと帰ったかもしれない。
だいたい不幸面で斜に構えてさ、それで時々酒を飲んだり、何かの切っ掛けで、鬱積したものが噴出して暴走する。だけど普段はまあそれなりに普通に暮らしてる奴なんて、そう珍しくも無い。嫌な思い出は、大なり小なり誰でも持ってるものだろう。そして俺は個人的に、その大きさを決めていいのは、本人だけだと思ってるからね。
不幸を嘆くのは、大人ならばご自由に。優しい誰かが聞いてくれて、それで気が晴れることもあるだろう。
俺の見解は、こんなところだ。
で、そんな考えを持っている俺が、なんでここから帰らないのかというと、答えはひとつしかない。
嘆いてるその人が、イギリスだからだ。
この事実を知ったなら、あの人はどんな顔をするだろう?
これに類似した想像で、いつでも俺の胸は笑えるくらい簡単にひっくり返っておお騒ぎだ。
不幸自慢の優しい聞き手になりたいわけじゃないけど、あの人のことを知りたい気持ちはきっと誰より強いという自負があるんだ。
そう考えて、拳を握った俺の服の裾がつんつんと引かれた。
視線を落とすと、小さなオバケが本のある方を指差した手を揺らしている。早くしろとばかりに、憤った感じのその動きに、俺は自分が随分と長い間、考え事をしていたことに気付いた。
「ああ、ごめんごめん。じゃあ、言ってくるから、君は俺がちゃんと任務を遂行できるかここでちゃんと見てるんだぞ」
もう流石に逃げ隠れするとは思えないけど、子供が一人でいるには寂しい時間だ。小さなオバケに足止め任務を与えて、俺は任地へと向かい歩き出す。
ほんの数メートル先には、果たしてどんな仕掛けが待ち受けてるのやら…。
不毛な恋のストリートにできた障害物は、意外と根深いものだった。
だけどどうせ引き返すきなんてさらさらないんだ。なら、見事罠にもまってみせるさ。
もちろん、後で何かしらの意趣返しはさせてもらうけどね。