14の病
テキサスをかけなおし、地面に描かれている線を踏まないよう歩く。その間、俺が近づいているのにも気付かず、オバケは何かを描きつづけていた。あまりに熱心な様子に、これはもしかして、オカルト趣味じゃなく絵や図形なんかを描くのが好きなだけかもしれないと、かすかな望みを持ちつつ、俺はまっくろオバケに声をかける。
「おーい。これ、食べるかい?」
振り返った相手の目の前に差し出したのは、スニッカーズの小さなチョコレートバーだ。
恐らく、この子もずっと庭で待機してたんだ、きっと腹ペコだろう。
お腹をすかせた子供の前で、ヒーローだけが一人でむしゃむしゃお菓子を食べるわけにはいかないからね。
だけど、絵描きのオバケは差し出されたチョコと、俺の顔をちらちらと交互に見やるばかりで、手に取りはしなかった。
もしかしてチョコが嫌いなのかな? ずっとポケットにいれてたから、ちょっと溶けてるかもしれないけど、食べる分には問題はないぞ、と言ってみたけど、相変らず返事はない。…うーん。
しばらく考えた後、俺はふっと差し出していたチョコバー引っ込める。包みを開けて、自分の口へ素早く放りこんだ。
「っ!」
あっ! というように、手から枝を取り落としたオバケへ、俺はにんまりと笑いかける。
そして、ポケットからもうひとつ、同じ包みを取り出してみせた。
数時間ぶりの食べ物と、キャラメルの甘さにじんと痺れる自分の頬を指差して、
「ほら、食べるかい? 甘くっておいしいぞ」
二度目の問いに、少し間を置いてオバケはおずおずと頷いた。
小さな手に渡したチョコバーは、真っ黒なシーツの中へ消え、もぞもぞとそれが動く。やがて、小さく包みを破る音がして……。
「っっ〜〜!」
ぱぁあああっと、周りに花が散ったような気配を小さなオバケが振りまく。
「おいしいだろ!」
笑いながらいった俺を見上げたオバケは、今度はすぐに、でも小さく頷いた。
ポケットに入ってたチョコバーは、その二つで終わりだった。
俺は全然もの足りなかったけど、小さいオバケには十分だったのか、快調に作業を続け、やがて描きあがった絵は……いや、絵じゃない。
「やっぱりこれか…」
地面にかかれた魔方陣は、少し歪んではいるけど、概ね本に描かれているものと違わない。すごいけど、これは本当に心配だ。主に情操教育的な意味で。
これは早めにパワーレンジャーのDVDを貸すか、あの子の両親と話をする必要があるな、と考えている俺をよそに、オカルト趣味のオバケは地面に置いていた本を取り、魔方陣の真ん中に立った。そして、閉じた本の表紙に手を置き動きを止める。
呪文でも唱えだすかと思ったけど、オバケは相変らず黙ったままだった。ただ、そのかわりだとでもいうように、ざわざわと木々が音をたてる。風もないのに? いや、俺の立っている場所が悪かっただけだろう。
首を振って、自分の考えを否定していると、
「……おい」
「えっ!?」
急にかけられた声に、俺は驚いて辺りを見回す。
だけど、ここには誰もいない。唯一可能性のありそうなのはイギリスだけど、声は小さな子供の声だった。
……子供?
「おい、聞いてるのか!」
再び声がして、俺はいつの間にか歩み寄ってきていたそいつを見下ろした。
真っ黒オバケが、俺に向けて小さな手を差し出してくる。そして、言った。
「これ、やる」
「…き、君、喋れるんじゃないか!」
「……しゃべれないとは、いってない」
そりゃ、一言も喋ってないから当たり前だ。
人をくったような物言いの子供は、差し出した手をぐいぐいと俺のお腹に押し付けてくる。ちょっと、弾力を確かめるみたいに叩くのはやめてくれ!
「いいから。ほら、やるっていってんだろっ!」
色々聞きたいことがあったけど、とりあえず贈物を受け取らないことにははじまらなさそうだと踏んだ俺が、手のひらを差し出すとその上にぽとりと銀色に光るものが落とされた。
「鍵?」
なんの変哲もない。だけど、どこかで見たことのある気がするそれを眺めていると、
「おれんちの鍵」
「えっ?」
「お前にやる」
そんな大切なもの貰うわけにいかない。家族に叱られちゃうぞ、と言い返そうとした時、気付いた。真っ黒なシーツにあいた二つの穴。内側から何か布がはってあるとばかり思っていたそこから、目がのぞいている。
もっとよく見ようと、身をのりだしかけた俺に、オバケは急に照れたようにそっぽを向いた。
「……あの、茶色いやつ……うまかった」
つまり、さっきのお礼ってわけか。
素直じゃない言い回しは、どこかの誰かを思い出させて、俺は思わず笑ってしまった。すると、それに気付いた照れ屋のオバケがきっとこちらに顔を向ける。
そして次に言った言葉に、俺は固まった。
「貰いっぱなしは、気に入らないだけなんだからなっ! か、勘違いするなよっ!」
「……え」
聞き覚えのありすぎる言い方に、思わず掠れた声が漏れる。違うのは声の高さくらいだ。いや、驚いて気付いてなかったけど、これはさっきゲストルームで見た映像の中の声と……。
そう思って改めてまじまじとオバケを見ると、丸い二つの穴から覗く目が、こちらを睨みつけていた。あの人そっくりな、明るい緑の。
どういうことだろう?
「……君は…」
誰なんだい? といいかけた言葉は、映像で見た不幸な子供と同じ声で遮られる。
「気に入らなきゃ捨てろよ。じゃあな!」
言うがはやいか、くるりと身を翻した。
「あ、ちょっと…!」
慌てて引き止めようと俺は黒いシーツの端を掴む。だけど、捕まえられたのはそれだけだった。それまで頑なにシーツをかぶり続けていたオバケは、するりとそれを脱ぎ捨てて走りだした。
本を大事そうに抱え、いつの間にか開いていたリビングの窓へと進む小さな子供は、体フードつきの大きな外套を着ている。それは声と同じで、ゲストルームで見た子供が着ていたものとよく似ていた。
小さな体が窓の向こうへ消えてしまう前に、俺は駆け出す。
月明かりに揺れる、くすんだ金髪もまた、あの人によく似ていた。