14の病
俺は相変らず自分を取り囲む、忌々しい闇を見上げた。
────さっきはあれでよかったんだ。これ以上間抜けな自分を晒すわけにはいかない。
それに、なぜだかここにいたあいつに、悪魔がなにかちょっかいをかけないとも限らない。あいつの体質上ないとは思うが、さっさとケリをつけた方がいいだろう。
そう決めて、俺は手の中の魔道書だけに意識を集中させる。
パラパラとページをめくり、紙のたてる規則的な音を聞きながら、呼吸を整えると、自然と心が静まっていく。
この魔道書と、子供の俺が庭のフェアリー達を仲間に引き込んだお陰で、もう十分悪魔に対抗できる力がある。奴の力も弱まったまま───今が好機だ。
悪魔の名に相応しい、地獄に落としてやろうじゃねぇか…。
すぅっと深く息を吸って、俺はページをめくる手を止めた。
開かれたページの、魔方陣をなぞり小さく呪文を唱えると、ざっと横一線、目の前の真っ黒な空間に切れ目が入る。
だがその切れ目には直ぐさま闇が染み出して、塗りつぶされた。辺りが急に、騒がしくなる。
【ききキ…ギぎっ……】
不快な闇の蠢きにひび割れた声が混じった。久しぶりに聞いたそれが苦悶の色を帯びていることに、俺はニヤリと口角を持ち上げる。
「好き勝手しやがって……覚悟はできてんだろうな?」
言い捨て、続けざまに呪文を唱えると、燐光のような青い光が散った。縦に斜めに、いくつもの線が走り闇を切り刻む。
蠢く闇が空間を埋めるよりも早く繰り返される斬撃は、確実に悪魔を追い詰めているようだ。その証拠に、俺の足元には青い絨毯張りの廊下が現れ始めている。
【ぐギッ……ギ、ワわすれ…な、マエ】
軋んだ悲鳴混じりの声は聞き取れず、また聞き取る気も無い。
「ああ? うるせぇ!」
俺は力を込めた片腕で、目の前をなぎ払った。
ごうっと音をたてて力が叩きつけられ、闇が幾つか黒い筋を引いて横凪に剥げ落ちる。
正常な空間と体に戻った俺は、力任せにぶつけた攻撃で起きたつむじ風に、髪を煽られながら前を見据えた。
暗い廊下の奥に、悪魔がいる。
【ギ? ギェッ…ぐがガガ…!】
黒い影がのたうつように宙で揺れていた。禍々しい金色の目が、苦悶の形に歪んでいる。だが、それは次の瞬間見開かれた。
同時に、悪魔から、爆発したように黒い影が噴出す。
「…くっ!」
目元を腕で庇いながら、俺もまた呪文を唱えた。
ぶつかり合った力が、細い廊下でごうごうと嵐のように荒れ狂う。
馬鹿野郎、壁紙剥がれたらどうすんだ!
と、思えるくらいには、相手の力は弱まっていた。この攻撃も、最後の抵抗ってやつだろう。
その予想は正しく、悪魔がじりじりと後退し始めた。このまま追い詰めてなぶり殺しもいいが、いっそ一思いに殺ってやるかと、俺は機会を窺う。やがてカウントダウンにはいった。
3……2…1…0、と同時に振り上げた腕は───だが、途中で止まった。
暗い廊下に射した、一筋の光のせいだ。新手か?
ギィっとかすかな音が響いて、その音と青白い光の筋を辿った先には開かれた玄関の扉。そして、そこから覗く見慣れた顔にぶち当たった俺は、状況も忘れ固まった。
「……アメリカ」
思わず漏らした呟きに、呼ばれた奴は、はっと顔を強張らせた。
珍しい表情になにか思うよりも、なんで? どうやって!? という疑問を口に出しかけた瞬間。いつのまにか噴出した闇が、俺の足に絡みつく。しまった!
「ちっ!」
大きな舌打と共に絡み付いた闇を踏み潰そうとするが、上手くいかず、それどころか膝のあたりまで這い上がってこられた。
廊下の奥で、金色の目が笑っている。俺はそれを歯軋りしながら睨みつける。
ぜってぇ、ぶっ殺す!