14の病
12
「ブギーマン?」
怖いお化けに気をつけろって、そりゃどういう意味だい?
小さくて、ちっとも怖くないオバケなら、さっきまで一緒にいたけどさ。
って言葉は飲み込んだ。説明するには長くなりすぎるし、それよりも、説明が必要なのはフランスの言葉のほうだ。だから俺は、冒頭二行をそのまま口に出す。対する相手は端的すぎて、謎を深めるばかりの言葉を吐いた。
『どうもこうもない、そのままの意味だ』
それで相手は、これで自分の役目は終ったとばかりに口を閉ざした。予告どおり、最後の言葉だったらしい。
俺はもちろん、納得も理解もできない。流石にムッとして、もう一度問い質そうと開きかけた口を───だけど俺は途中で閉じた。
だって、仮にここで何かを訊ねたとしても、その答えはすべて言ったはじから覆されそうだ。それくらい今夜は…いや、今回の件は事の起こりからずっと、嘘や謎や、理不尽のオンパレードだったんだ。
それでパレードにめちゃくちゃに踏み荒らされて、これ以上何かを問う気持ちなんて、すっかり消え失せた。それでもどうしてか、電話を切ることはできないまま、俺は黙って、手の中の小さな金属片を玩ぶ。
けれど、いつまでもそうしていたってはじまらない。それは、わかってる。
やるべきことはわかってるんだ。
頭の中で囁く声を聞きながら、俺は手の中の冷たい色の光を見つめた。
だったら、何をちんたらやってるんだか───。
まったくもってらしくない。まごつく自分イラつきながら、俺はようやく口を開いた。
「………よくわからないけど……わかったよ」
君がこれ以上説明する気がないってことがね。
台詞に含まれた棘に、相手が気付いたか気付かなかったかはわからない。なんせ面の皮の厚い年寄りだ。ただ、多少の責任か、説明不足は感じていたんだろう。そもそも、イギリスが幻覚を見るのは体質なんだって、知っていればまた事態はかわっていたはずだ。
フランスが少し、気まずそうな声で、
『今回は……まあ、お兄さんとしても、ちょっと悪戯心が過ぎたかな、とは思ってる』
でも、と続ける。
『まさか、ここまで騒ぎがでかくなるとはなぁ…』
溜息交じりの呟きの後は、短い沈黙を挟んで、
『………そんで、お兄さんは出来る限りの手は尽くした。首謀者には後で侘びをいれさせるとして…』
つらつらと話し出したフランスに、俺はかすかな引っかかりを覚えて首を捻る。
首謀者?
だけど、それがどういう意味か問う隙もなく、相手は話し続ける。
『後は…まあ、ヒーローにまかせる。お得意のハッピーエンドに持ってってくれ』
いつもどおりの豹豹とした口調で言ったフランスは、一端言葉を切り、そこから少し声に緊張感を滲ませた。
『でもな、無理はするな』
でも、なぜそこまで執拗に念を押すのかは言わない。
結局新たな謎を残して、最後に『じゃあな』ということばが、今度こそ最後になった。
ツーツーと電子音を発し始めた携帯を、のろのろと耳から引き剥がし持ち主へと返す。
───ハッピーエンド、ね。
それは、いったい誰の望む、どんな結末だろうか?
口の中で、苦く呟やいた俺に、不機嫌そうな顔で携帯を受け取ったプロイセンは気付いた様子はなかった。ただ、携帯のかわりに銀の銃を差し出してきた。
「ほれ」
俺は頷いてそれを受け取る。
「んで、アメリカ。イギリスはどこだ? 病気こじらせて悶絶してんだろ? つーか、襲撃されたって大丈夫なのかよ。敵は中か?」
電話中、一応我慢していたんだろう(珍しい!)プロイセンは、ここぞとばかりに次々に質問をぶつけてくる。だけど、どれもこれも初耳だ。
「……それ、誰から聞いたんだい?」
「は?」
きょとんとしたプロイセンに、俺は「いや、いいや」と言って軽く手を振り、手にした銃に改めて目をやった。やっぱり変な銃だ。感想はその一言に尽きる。
基本は、予想どおりベクターCP1だったそれは、けど一目じゃそうだとわからないくらいに改造されている。
まず、全部が銀色ピカ仕様になっている。グリップはもちろん、ご丁寧に二つのトリガーセーフティまでも、銀色の部品に取り替えられていた。(元は赤だ)そして、銃身にはこれまた銀板が───しかも怪しげな文字の彫られたものが溶接されている。お陰で近未来的でクールなフォルムが台無しで、その上随分重くなってた。実用向きじゃないのはもちろんだし、それになにより、こんな麻酔銃見たこともない。
じゃあ、フランスの説明は嘘だったのか、なぜそんな嘘を付く必要があるのか。
プロイセンの「イギリスが襲撃された」っていう発言にしたって、情報源はひとつしか考えられない。どちらも、お髭のオッサンが尽くした手のうちのひとつなんだろう。
だけど、経緯も理由も伝えられないままのそれは、俺からすれば謎以外のなにものでもない。
またか、と思った。
これも謎、あれも謎、謎謎謎。まったく、謎だらけだ。
ゲシュタルト崩壊しそうなくらいの、謎が俺の周りには張り巡らされていて、迂闊に身動きもとれない。
理不尽な状況に知らず、銀の銃を睨みつけてると、横からでっかい声が飛んできた。
「おい! イギリスは襲撃されたんじゃねぇのか?」
困惑気味の表情を浮かべ言うプロイセンに、俺は説明する気も失せて頷く。
「されたよ」
ただ、嘘をつく気はないから、真っ黒でドロドロの塊と小さなオバケにね。と胸の中で付け加えると、「やっぱりそうなんじゃねぇか!」と前のめりになった相手から、俺は視線を外す。
かわりに前へと顔を向けた。そこには見慣れた大きな扉がある。
謎だらけの夜に、答えがあるとすればこの先だ。
そう思うと同時に趣味の悪い映像の切れ端や、子供と手を繋いで去っていく後姿が俺の脳裏によぎる。
ぐっとこみ上げてきそうになった何かを、俺は一瞬顔を伏せてやり過ごし、使う気の起きない銃を、腰の後ろあたりに突っ込んだ。ごてっとしたそいつをズボンのベルトで、固定する。
そして、ようやく呟いた。
「とにかく、中に入ろう」
入れたら、の話だけど。
付け足した声は、小さく弱々しい。まるで自分の声じゃないみたいだ。
案の定聞こえなかったらしいプロイセンが、横で「おうっ!」と元気よく答える。
あーあ。俺もこれくらいとは言わないけど、さっきリビングを飛び出したときの勢いのまま。何も考えずにいけたらよかったのにさ。夜中の闖入者に引き止められて、謎の多さに気付いてしまった。そいつが、俺の足を重くさせて────なんてうだうだ考えて、でもそれはすべて言い訳だってわかってた。
怖いんだ。本当は。
だって、この扉が開かなかったらどうする?
やろうと思えば強引にこじ開けることは可能だ。だけど、そうまでして無理に入り込む意味はあるんだろうか。あれだけ帰れっていわれたのに?
自分への問いかけに、臆病な答えが浮かび、ぐるぐると頭をまわる。
そうするうちにも辿り着いた扉の前で立ち止まり、ずっと握ったままだった鍵を鍵穴に差し込む。瞬間、緊張で冷やりと腹の底が締め付けられた。
────入った。