14の病
驚きながらも、手は機械的に鍵を捻る。カチリ、と音がして小さなオバケにもらった鍵が、正解だったと知った。
引き絞られた緊張の糸が、ふっと緩みかける。
でも、なんで?
なんであの人は、帰れと追い出して一度は閉ざした扉の鍵を渡てきた?
また浮かぶ新たな謎の答えを探す前に、焦れた声が俺の思考を断ち切った。
「おい、早く開けろよ」
思わずびくりと肩を揺らした俺の横で、プロイセンが訝しげな顔をしている。それに何か言おうとしたところで、ぎぃっと軋む音がした。
「え……」
慌てて見れば、扉が開きかけていた。
微かに開いた隙間は、ひとりでにその間隔を広げていく。
それを俺は、呆然と見つめていた。
だって、鍵を手に入れてからこっち、それが本物かどうか、そればかり考えていたんだ。直ぐに頭を切り替えられない。あの人が、何を考えてるのか、何て言えばいいのかわからない。
だけど、扉は開いてしまった。
広がっていく隙間から、灯りは漏れていなかった。暗い室内に月明かりが射し込み、それを俺は視線で辿る。やがて辿り着いた先で、緑の目とかち合った。瞬間、頭の中が真っ白になる。
それでも、言おうとしたんだ。どうしても聞きたい、でも聞くのが怖い一番大きな謎を。
君の望む結末は、ハッピーエンドはいったいどんなものなんだい?
そして、それに今の俺は含まれてる?
今回の騒ぎよりもずっとずっと前から、あった答えを知りたい事柄にもつながっているそれは、どんなに怖くっても、聞かずにはいられないはずだった。
なのに、口も顔も体も酷く強張って、少しも思うとおりに動かない。凍り付いたように立ち尽くす俺へ、低い声が響く。
「アメリカ…」
見開かれた緑色の目の持ち主は、だけどそれ以上言葉を続けはしなかった。
ぐらり、とイギリスの体が揺れる。
「…っ」
だけど、直ぐに体勢を立て直したイギリスは、太い眉をきりきりと吊り上げ、廊下の奥へと視線を向けた。
「ぜってぇ…ぶっ殺す!」
物騒な呟きが聞こえた気がして、まるでそれに反応したかのように扉が完全に開け放たれた。開けたのは、この場にいたもう一人だ。
「おいっ! 俺も混ぜろ!!」
嬉々として言い放った、喧嘩好きの自称イケメンは、勢い込んで室内に飛び込もうとする。けれどなぜか、一歩踏み出したところで動きを止めた。
「…げっ……」
さぁっと顔を青ざめさせ、きょろきょろと室内を見回す。
つられて俺もあたりを見たけど、何もおかしなところはない。薄暗い、見知った玄関だ。
なのに、引きつった声で「んだよ…これ……」と呟いたプロイセンは、入るのを躊躇うように軽く後ずさる。
「おいっ! イギリス。なんなんだよこの黒いドロドロは!? ま、ままままさか…幽れ……」
噛みながら話す言葉は聞き取り辛い。訝しげな顔を向けた俺に、だけどプロイセンは何にそんなに気を取られいるのか、まったく気付く様子はなかった。そして、返事をしないイギリスを…いや、廊下の奥を見て、ひっと小さく悲鳴を上げた。
「ちょ、まさかアーサーって、そいつのことか!?」
悲鳴じみた叫びの内容は、まったく意味ががわからなかった。
アーサーって、イギリスのことじゃなくて? そいつって?
その疑問を口にするまえに、俺の体に衝撃が走った。
ごうっという音と共に叩きつけられたそれが、突然吹いた風のせいだと気付いた時に、誰かの舌打が聞こえる。
「ちっ……そうか、こいつ…!」
咄嗟に目を庇った腕をどけると、暴風の吹き荒れる室内で、イギリスがこちらを振り返ったところだった。風は何故か室内、廊下の奥から吹きだしている。
流石にこれはどうしたんだろう。廊下の奥───風が吹き出している先は、悪趣味な上映会第二幕の舞台であるバスルームだ。換気扇が、思いもよらない故障の仕方でもしたんだろうか。
内心首を捻る俺の隣で、叫び声が上がった。
「うっわ! ちくしょう。なんだよこれっ! やるってのかコラ!」
プロイセンが、青ざめた顔で空中を殴りつけようとしている。すると再び舌打が聞こえて、続く声は嵐みたいな暴風を切り裂くみたいに鋭く響いた。
「馬鹿野郎! 帰れっていっただろ!!」
今夜、もう三度目になるその言葉を吐いた人は、それきり直ぐにまたこちらに背を向ける。
強風に煽られてひるがえるジャケットの裾を見ながら、そいつの意味を理解した瞬間、俺の中で、ふつりと何かが切れた。
酷い風音も何も意識の隅に追いやられて、かわりにぶわっと頭に血が登る音がした。
真っ赤に染まった頭の中に、今夜あった出来事とそれにまつわる謎が次々と浮かんでくる。
なんで俺が、すぐ飽きてこなくなるだなんて酷い勘違いするんだ。突然玄関に現れた黒い塊はなに。悪趣味な上映会は、何を意図してたのか。小さなオバケは誰。フランスはなぜ嘘を吐いたのか。銀色の銃。プロイセンの言うアーサーはイギリスじゃなかったら、いったい誰なんだ。
それに、それに……渡された鍵の意味。
ごうごうと耳鳴りのような風音がうるさい。
膨らみきってはじけそうな憤りと感情を逆撫でするようなその音の中で、俺は知らず俯いていた顔を上げる。
視線の先に立つ、今はもう小さく見えるようになった背中を睨みつけると、すっと息を吸い込んだ。
膨れきった感情を、爆発させるように叫ぶ。
「帰らないぞ!!!」
向かい風にもかき消されることのない声が、室内に響きわたった。
すると、はじかれたようにしてイギリスが振り返る。その、見開かれた緑の目を睨みつけながら、俺はもう一度宣言する。
「俺は、絶対に帰らない!」
帰るもんか!
謎ばっかりふりまいて、見せびらかしてさ。それで鍵まで渡しておいて、挙句に帰れだなんて、納得がいかない。なんて自分勝手なんだ。
ああ、わかったよ。そっちがその気なら、俺も勝手に俺のしたいようにする。
そっちが何も言う気がないなら、俺は全部、言いたい事を言ってやるさ!
「おまえ…なに……っ」
呆けたようなイギリスの呟きを遮って、俺はさらに言い募る。
「血みどろの昔話や、不幸自慢でもすれば、俺が逃げ帰るとでも思ってたのかい? 予想が外れて残念だったね!」
「昔話……不幸自慢?」
オウム返しに呟いたイギリスは、一瞬間を置いてえっと小さく声を上げた。その顔がみるみる内に青ざめていく。俺は皮肉気に鼻を鳴らすと、室内へと足を踏み入れた。
中は嵐の真っ只中だ。
小さな子供なら吹き飛ばされそうなだと思ったところで、俺の後ろから野太い悲鳴が上がった。注意が必要なのは、なにも子供だけじゃなかったみたいだ。
「うおっ!」
反射的に声のしたほうへ目をやると、そこでは何故か、後ろに仰け反ったプロイセンがいた。なんだ? と驚いていると、プロイセンはぐぇええと、呻き声をながら後退し始める。その首に、提げていた十字架のチェーンが若干食い込んでいるのが見えた。まるでそいつに引っ張られているみたいだ。
だけど俺はそれを無視して、ずんずんと前へ進む。
もう訳のわからない状況は沢山だ。これ以上謎はいらない。