14の病
「それで、君が夢か幻にしたがってるのは、その内のどれなんだい?」
「え……?」
言葉の意味がわからず、俺が軽く目を見開くと、相手はその意図を汲んだかのようにもう一度、今度は一言、一言区切るように言う。
「昨日の騒ぎと、俺の言った言葉。どっちを……なかったことにしたいんだい?」
「どっ…」
どっちをって、そりゃ両方に決まってる。
図らずして見せちまった記憶は、それこそ思い出すのも嫌な、情けない、あれが自分だと認めたくないようなものだ。誰が人に見せたいなんざ思うか。だから躊躇わず切り捨てられたんだ。
ひっくるめて、昨日演じた悪魔絡みの醜態は、こいつにとっちゃ殆ど意味不明だろう。大方、俺が仕組んだ仕掛けか何かだと思ってるだろうから、それをどんな理由でどうやってやったと聞かれても答えに困る。今は、上手い言い訳を思いつけるような状態じゃない。
それに……もう片方。アメリカのあの時の言葉は………。
突然あんなこと言われても困る。わからない。
そう思いながらも、混乱した俺は何も言えずただ黙って、相手を見つめ返すことしか出来ないでいた。アメリカもまた口を閉ざしたまま、じっとこちらを見ている。
息苦しいほどに、ぴんと張り詰めた空気が痛い。
もう、全部昨日のことは夢だったでいい。忘れて、無かったことにして普段の日常へ戻りたい。
心のどこかが擦り切れそうな緊張感に堪えかねて、俺はとうとう呟いた。
「りょ…両方……だ」
同時にすっと相手の目が細まる。また、あの顔だ。
そう思った途端に、どっと音をたてて、俺の心臓がひっくり返る。これがどうしてだかもわからない。
だから俺は、微かに震えだした指先を誤魔化すように、自分の右手で左腕を強く握り目を伏せる。開けられたままの窓から、場違いに心地の良い真昼の風が吹き込んで、微かに俺の前髪を揺らした。
嘘のように白々しく明るいリビングに、重い沈黙が満ちる。
しばらく続いたそれを破ったのは、固い声だった。
「わかった」
予想外の承諾に、えっと視線を上げた先にいるのは、相変らず険しい顔のアメリカだ。
そいつは俺が何か言い出す前に、淡々とこういい切った。
「じゃあ昨日のアレはなかったことにして、もう一度言うよ」
「えっ……ちょっ…アメ…」
待て! 止めろ!!
遮る俺に、だが相手はよどみなく言葉を続ける。
「兄弟とか、家族とか、もちろん友人って意味じゃなく」
「い…」
言うな!
そう言い終わる間も無くアメリカは、もう三度目になるその言葉を口にした。
「俺は、君が好きなんだ」
聞いた瞬間、俺は知らずすっと息を吸い込んだ。
だが、それが吐き出されることはない。呼吸の仕方を忘れたように、相手の顔を見る。
空色の目が、まっすぐにこちらへと向けられていた。
瞬間、俺の背筋にぶわっと寒気にも似た、何かの衝撃が走る。
訳のわからない感覚が恐ろしく、思わず後ずさろうとしたが、その動きを見越していたように、大きな熱い手が俺の腕を掴み動きを阻んだ。軽く引き寄せられて、その力を改めて思い知る。
喘ぐように息を吐き出しながら、ただかぶりを振る俺を見て、相手は少し不機嫌そうな顔になった。
「…そりゃ、弟としか見てなかったやつが、突然告白なんかしてきたら、驚くだろうけどさ……」
ぶつぶつと拗ねた様な響きの呟きは、だが、まるで知らない言語のように、俺の耳を素通りしていく。
やっぱり。どうしよう。わからない。
ぐるぐると幾つかの言葉が回り、同時にぐらぐらと暗く嫌な塊が腹の底に溜まりだす。
随分ながいこと、抱え込むのに慣れているはずのその塊は、昨日の悪魔にやられたせいか、それともアメリカの言葉のせいか、簡単に破裂して中身を辺りにぶちまける。気付いたら叫んでいた。
「どうせまたいなくなるくせに、何いってやがんだよ!」
同時に、アメリカの手を振り払う。
突然の行動に、驚き目を見開いた相手を睨みつけながら、俺は怒鳴り続ける。
「病人の治療なんて、すぐ飽きんだろ。馬鹿!」
まるで、昨日の玄関でのやりとりの再現だ。
でも、これはずっと思っていたことだ。それこそ、妙な病気の話しがなくとも、こいつが突然ふらりとここにきたり、俺にプライベートで話し掛けたりするたびに思っていた。
嬉しいけれど、嬉しくない。
だって、それはこいつの気まぐれで、嬉しくても終るし直ぐにいなくなる。
だから今回もきっと───。
「馬鹿は君だぞ!」
怒号のような大声が叩きつけられた。
驚いて見上げた相手は、また、似合わない皺を眉間によせている。そいつは苛立ちを隠せない様子で「何回いったらわかるんだ!」と言いながら俺の腕を再び掴んできた。
「は、はなせ!」
そういって手を引き剥がそうとするが、びくともしない。反対に今度は両腕を取られて、ますます身動きが取れなくなった。
俺はせめてもの抵抗で、顔を背け、声の限りに叫ぶ。
「つーか俺は病気なんざかかってねぇ! 帰れ!!」
「いいから聞くんだ!」
怒鳴り返したアメリカは、ぐいっと身を乗り出すようにして顔を近づけてきた。
「昨日も言ったろ? 俺は帰らないって、その理由も。それにさっきのは夢にも幻にも、なかったことにも出来ない。だって、証拠は俺の記憶だからね」
言い切られて、俺はぐっと唇を噛む。
「だいたい、何だい飽きるって。俺はそんなに飽きっぽくないぞ」
「……嘘付け。何でも目新しいものがあったら、持ってるもの放りだしてすぐにそれに飛びつくくせに」
顔を背けたまま言った俺に、相手はすぐさま反論してくる。
「俺は化石や遺跡も大好きだぞ! 新しいものも好きだけどね。だって両方、見ててワクワクするじゃないか!」
力説する相手を、俺はせいぜい鼻で笑ってやった。それが気に入らなかったんだろう。またアメリカの声が大きくなる。
「そうじゃなかったら、俺がこんなに長い間ヒーローでい続けるわけないだろ!」
なんだその理屈は。
思わず状況も忘れて呆れ顔になった俺へ、アメリカは驚くべき言葉を言い放った。
「それに、ヒーローになるよりもっと前から、俺は君のことが好きなんだぞ!!」
「えっ?」
一瞬、言葉の意味が理解できずに、見上げた空色の目は、真剣に、熱心に俺を見つめていた。それを見てから、さらに数秒遅れて、ようやく言われたことを理解する。
ひゅっと、どこかで風を切るような音が聞こえた。
それが自分が息を吸い込んだ音だと気付いたときに、アメリカが再び口をひらいた。
「だから、俺は飽きたりしないし、いなくなったりしないんだ」
それを俺は、呆然と見上げることしかできない。
こいつが、こういう類の嘘をつくやつじゃないことくらいわかってる。それでも、すぐには信じられなかった。
だって、どれだけ……どれだけ───。
こいつが、俺を好き? どこにもいかない?
ああ、ずっとそうなって欲しいと思っていたことが、こんなに簡単に叶っていいのか?
だけど、現実としてそこにあるものをもう否定することはできない。
ただ衝撃が大きくて、ぼんやりと突っ立っていることしかできない俺に焦れたのか、アメリカは握った腕を軽く揺すって、OK? わかったかい? と覗き込んでくる。