14の病
そして、また眉間に皺をよせた相手が、訝しげに俺の名前を呼ぶ。
「イギリス?」
それを合図にしたように、ずっとずっと抱えてきた腹の黒い塊が小さくなっていく。
するすると、薄皮を何枚もはぐようにはがれて落ちて、でてきた中身がほわんと柔らかな熱をもつ。
なれない不思議な感覚に、戸惑っていると、もう一度声が聞こえた。
「聞いてるかい?」
「あ、ああ……わ…かった」
どもりながらも頷いた俺に、相手は特大の溜息を吐いた。
「………ようやくだ…」
「な、なんだよ…」
俺の問いに「いいや、なんでも」と答えたアメリカは、顔を上げ、
「じゃあ、それを前提として忘れずに。考えて答えてくれよ」
何に対して、とは言わないし俺も聞かなかった。そんなの、今更過ぎる。
だが、その今更なことに、俺は改めて気付いて戸惑った。
────そうだった…。
真っ黒な塊と同時に感じていた、落ち着かない何か、それがむくむくと沸きあがってくる。一瞬また混乱しそうになった俺に、相手は気付いたのか気付かなかったのか。
どちらにせよ、にっといつものやたら陽気で、だが強気な笑みを浮かべてこう言った。
「君には、新しいハッピーエンドが必要なんだ。悪夢付きでループしない、まっすぐ未来に進む最高のやつがね」
「は?」
なんだそりゃ? と首を捻る俺に、だがアメリカは答えず。益々笑みを深くするばかりだ。
「おい…っ!」
更に問い質そうとした俺は、だが途中で固まった。突然、アメリカが顔を近づけてきたからだ。
一瞬……き、き、キスされるのかと思ったが、鼻先がぶつかりそうな程の距離になって、ふっとアメリカの顔が横に逸れる。耳元で、声がした。
「ヒーローと一緒なら、ハッピーエンドは約束されてるんだぞ」
耳元にかかる息がくすぐったい。反射的に肩をすくめると、小さく笑う声が聞こえて、それに寝起き特有の少し掠れた響きが混ざっていることに気付くと、なぜか俺はソワソワと視線を彷徨わせた。気持ちになった。
こいつの声、こんなに低かったか?
ちらりと、そんな事を思った時、俺の頬に柔らかいものが押し当てられた。ちゅっと軽い音がたち、そして────。
「…っつ────!!!!」
思わず目の前の体を押しやると、相手は「おっと!」とわざとらしい声で言いながら身を引いた。
「お、おおおおおおまっ! お前!!」
ようやく自由になった手を、俺は自分の頬に当て叫ぶ。
「アメリカ!!」
「朝の挨拶がまだだったからね」
しれっと答えた相手は、両手を自分の肩の高さまであげ、もうなにもしないぞ、とばかりにひらひらと振っている。
その態度に、ちょっとばかりの慣れのようなものを感じて、俺は内心戸惑った。そりゃ、こいつも永いこと生きてるんだ。そういう事も、相手もいただろう。
……いや、それはいい。それより今は。
「さ、さっき。お……ぞっ……」
「ん?」
「ひ、髭!」
「へ? フランスがどうしたんだい?」
訝しげな表情で首をかしげた相手に「ちげーよ!」と言った俺は、ごくりと唾を飲み込み、
「お、おおお前、あご…!」
「ん? ああ………君…もしかして……」
ようやく俺のいわんとするところに気付いたのか、アメリカが自分の顔を撫でる。色が薄いせいか、気付かなかったが、そこにはうっすらと────。
「何で髭生えてんだよっ!!!」
「生えるさ!!!」
絶叫した俺を、負けないくらいの大声で怒鳴りつけたアメリカは、さらに「馬鹿じゃないのかい!! 俺をいくつだと思ってるんだい」と肩をいからせる。
「下もボーボーだぞ!」
「や、やめろ!! 朝からそんな話しすんな!!!」
「脛毛の話だよ!! このエロ大使!」
「う、うるせぇ馬鹿!! つーかさっきのは、お前の言い方が悪いだろ!」
「いいや、君のその歪んだ性癖のせいだね!」
さっきまでの空気はさっぱり消え去り、結局言い合いになった。
「何で俺の性癖知ってんだよ!」
「いつも似たような場所に、ポルノ雑誌隠してるから悪いんだ」
しかも、本棚の奥とか安直すぎる、と馬鹿にしきった顔で言うアメリカを、俺は即座に「お前も見てんじゃねぇか!」と怒鳴りつける。
「ちゃんとは見てないぞ! パラ見して、すぐに放り投げたよ。あんな…きんば」
「わーーーーー!!! お前がそんなそんな言葉使うなー!!」
叫んで、俺は半ば頭を抱えるように耳を塞ぎ、その場にしゃがみこんだ。
急に辺りが静かになる。(いや、耳を塞いだからってのもあるが)
しばらく間を置き、やがて、ちらりとアメリカを見上げると、その口がぱくぱくと動いて、
「………わかったよ」
という形をとった。
怒りとも、呆れともつかない、げんなりした表情を浮かべたそいつは、俺の前にしゃがみこむ。
そして、こちらと視線を合わせ軽く溜息でも吐いたんだろう、少し肩を上下させて───その腕を俺の方へと伸ばしてきた。
避ける間もなく、耳を塞いでいた手をそこから引き?がされて、すぐさま相手の浮かべた表情そのまんまの声が飛び込んできた。
「君が俺のことをどう思ってるのか、よっっくわかったよ」
ちなみに、それは幻想だぞ、と間髪いれずに断言したアメリカは、何を思ったかそのままいきなり頭突きをかましてきた。
「いっ……ってぇ! 何すんだ馬鹿!!」
「俺がさっき受けたダメージは、こんなもんじゃなかったぞ…」
意味不明の呟きに「はぁ?」と顔を顰めた俺と「はぁー…」と溜息をつくアメリカ。
明るいリビングの真ん中で、野郎が二人そろってしゃがみ込んで、ぶつぶつ言い合ってる。はっきりいって、間抜けな姿だ。もし俺が、こんな部屋に間違って入っちまったとしたら、即出て行くだろう。だが、本人達はいたって真剣だ。
そして、その片割れである無精ひげを生やしたヒーローは、これまた真剣な、いや神妙な? 表情で、しばらく考え込んだ後、
「言いたい事は言ったし、今日のところは、さっさと帰ろうかと思ってたんだけど……」
考える時間も必要だろうしね、と言ったアメリカはだが、
「どうやら君とは、もっとよく話をする必要があるみたいだ」
じとっとした目で見られて、俺はうっと言葉に詰まる。
流石に、なんで髭が生えてんだは不味かったか…。いやでも、あんなにつるつるだったこいつがそんな…。
記憶の中の感触との違いを、まざまざと比較している俺の前で突然、アメリカが勢いよく立ち上がる。アメリカに両手首を握られたままだった俺も、引きずり上げられるようにその場に立ち上がった。
「ちょっ…! いきなり立つな!」
「あーお腹へったぞ。ブランチにでもしよう。食べながらでも、話はできるしね」
聞いちゃいねぇ。
流石にムッとした俺が、立ち上がってもまだ手を離そうとしないアメリカの足を、軽く蹴ろうとすると、そんなのはお見通しだといわんばかりに避けられた。
睨みつけると、にやりと笑われて更に腹が立つ。その上、相手はこんなことを言い出した。
「ピザでもとりたいとこだけど、こうお腹が減ってちゃ待ってられないから、この際君の不味い料理でも別にいいぞ。ぱっさぱさのサンドウィッチとか」
「うるせぇ! つーかもうランチの時間だ馬鹿!!」