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14の病

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 アメリカが曰くの『治療』が始まってから、何度か感じたこの感情を、俺は噛み締めつつ、内心思う。案外、日本もこうなることを見越して、アメリカに、あんな妙な病気の話しをしたのかもしれない。何かと人の機微に敏いやつだから、ありうる話だ。
 色々あった末に、それでもどうしてもこいつを構いたい俺に、気付かれていたっていうのは恥ずかしいけどな。
 その内、思いやり深い友人に、礼をしないといけないなと、考えていた俺の肩が、軽く揺さぶられた。
「ほら、イギリス!」
横を向けばアメリカが、こちらを覗き込んできていた。少し不機嫌そうな顔をして、テレビの方へとあごをしゃくる。
「もう始まるぞ」
 声に促され、俺は画面へと向き直った。
こいつは、二人でいる時に、俺の意識が自分か、自分の提案した遊び以外にぶれることを嫌がる。
 これもまた、俺がおかしな妄想をしたり、幻覚を見たりする隙を与えないための行動。つまり治療の一環なんだろう。だが、その様子はこいつが小さい頃、いつも一緒にいてやれない俺が現れるたび、纏わりついて離れなかったのを思い出させる。
 今もそうだ。俺は映画に見入るふりで、にやつきそうな口元を押さえた。
 既に何度か遭遇したこのアメリカの反応を見る度、少しくすぐったいような気持ちでいっぱいになった。だが同時に、俺の脳裏をよぎるものがある。
もう毎度のことで、それを思う──いや、至るといったほうがいいか。その考えへ至ると、弾むほど膨らんでいた暖かな感情の風船は、すっかりしぼんでしまう。今回もそうだ。
 それでもなお、しおれたその残骸がまた元に戻りはしないかと、俺は偶然を装って、隣に座るアメリカの肩へ自分の肩をぶつける。
 だが、肩が当る程近い位置に座った相手は、自分の持ってきた映画に夢中で、こちらに気付く様子はない。
 その真剣な横顔を眺めながら、俺は密かに溜息を吐いた。
 そうして、ようやく俺はアメリカに倣いテレビへと視線を向ける。
 とうに映画を見る気は失せていたが、俺が見ていないことに気付くと、またこいつが煩いだろうからな。
 内容がまったく頭に入ってこない映画を、俺はしばらく、ぼんやりと眺めていた。
 と、ややして、視界の端を何か黒いものがよぎった。
 テレビから少し離れた壁に、染み出るようにして現れた、小さな水溜り程の黒い影。だがそれは、単なる影じゃない。
 少し前、会議の最終日、それの行われていた場所の中庭ででくわした────精霊だ。

 もう忘れているかもしれないが、この話の最初に、俺が言った『二つの変化』の残る一つは、こいつの出現だ。
 
 あの日、中庭でうっかり相手をしてしまったせいで、自宅までついてきやがった。
 大概こいつのような────霊や精霊、妖精は、へたに構うと、面白がってついてくる場合が多い。そして俺の家のその類は総じて悪戯好きで、その悪戯ってのは、人間の認識から言うと悪戯にあたらない。大体が小さな不幸だったり、下手すりゃ災厄になったりする。
 でも、この精霊はそれよりも悪い。
 恐らく、元がそこそこ力のある凶暴なやつだったのが、永いこと生きて、悪魔にちかいものになっちまっている。
 さっさと手をうっておきたいところだが、少々の呪いじゃ効かないような相手だ。かといって、こうもアメリカが入り浸っている状態で、おおみっぴらに儀式をやったり、結界を張ることもできない。
 そんなこんなで、手を出せないでいる俺を、やつは何の力もない相手だと判断したのか、最近じゃこうして間近で、姿まで見せるまでになった。
 部屋の壁で揺れる黒い影を、俺は調子にのってんなよ…と呪い殺すつもりで睨みつける。
 すると、その視線に反応したように、黒い影はじわりと、空気に染み出るように一回り大きくなった。続いて、ぎょろりとした目と、大きな口が浮かぶ。
 白目の部分が、おぞましく黄ばんだその目の中心では、瞳孔が獣のように縦に裂けている。同時に現れた口は、にやにやといやらしい笑いの形に歪んでいて、なんとも悪魔に相応しい見かけだ。
 へばりついている壁を汚すように、じわじわと大きさを増す影を睨みつけながら、俺はいよいよこいつをどうにかしようと、心に決めた。
 やはり、そのための準備と、時間を捻出するには、少し手を回さなければならないだろう。気は進まないが、まあこの場合仕方がない。
 この日、結局三本の映画を見た。終った頃には深夜で、しかもよりにもよって最後の一本が、ホラー要素を含むものだったせいもあり、(本人は否定してたが)アメリカが泊まっていき、行動を開始できたのは、翌日、仕事を終えてからだ。
 
 何とか仕事を早めに終らせた俺は、帰り道で携帯を取り出した。
 本当に、心底気がすすまないが、アメリカから効く限り、あの野郎も一枚噛んでるって話だ。その辺を聞き出す事も含め、いい機会だろう。
 フリップを開いて番号を呼び出し通話ボタンを押しながら、俺は辺りに視線を巡らせる。
 最近、突然やってくるアメリカに備え、俺はロンドン市内に借りているアパルトマンではなく、郊外にある自宅に帰るようにしている。 
 ちょうど人通りの切れたとおりから見える、家々の庭はまだ寂しい色合いだ。四月も半ばだという今の季節から考えて、新芽はでているんだろうが、この時間じゃもうその淡い緑は暗い色に塗りつぶされてしまっている。俺の家独特の古い町並みも相まって、どこかから幽霊でもでてきそうだ。
 普段なら、それは中々いい眺めだっただろう。幽霊がでる通り近くに自宅があるなんざ、そんな素晴らしいことはない。
 だが、そんな事を言えば、青ざめて反論してくるだろうあいつの、顔が思い浮かぶようだ。
 もしかしたら、実際そう思っちまうから昨日あいつは泊まっていったのかもしれない。
 思いついた考えは、案外的を得ていそうで、俺は思わず笑う。しかし、すぐにその笑いを引っ込めた。
 この通りを、夜に一人で歩いてもそう怖くない季節。そうだな……来月五月、初夏の頃になっても、あいつはここを歩くのが怖くて、俺の自宅に泊まったりするだろうか?
 飽きっぽいこいつが、どれだけ『治療』を続けられるのか。しかも、本当に病気なわけでもない。まして、相手は俺だ。
 ここ最近の、まるで昔に戻ったようなアメリカの仕草を見た時、嬉しくて、だがその後に決まって必ず俺の脳裏をよぎる考えがこれだ。
 そう遠くない内に、この治療も終るだろうということ。
 そしてその後どうなるかなんてことは、考えるまでも無い。簡単だ。
 終るのならば、また元に戻る────それだけだ。
 そう思えば、何もかもが空しくなって、時間を捻出する為に、わざわざ手を回そうとまでしている自分が馬鹿らしくなった。
 耳元では、まだコール音が続いている。なかなか出ない相手にも苛立ち、切ろうとした時、プツリと小さな音がして電話が繋がった。
 なんとも間の悪い、しかしかけた奴が誰であるかを考えれば、仕方が無い。
 惰性で切らずにいると、受話口からいつもの気にくわない言語が飛び出してくる。


『ボンソワール? 充実した日々はどうよ?』


 ……呪い殺してぇ。




作品名:14の病 作家名:さんせい