intermezzo ~パッサウ再会篇7
「一向に終わらない戦争と苦しくなる一方の暮らし…、人々の不満はマックスに達していた。長きにわたり栄華を誇ったロマノフ王朝の終焉は最早避けようがなかった。だけど…その一方で、現王朝を倒さんと暗躍し続ける革命勢力もまた、主義主張、そして利害の相違からお互い協力と半目を繰り返して、一枚岩にはならなかった。ロシア国内は既にカオスとなっていた。アレクセイはそんな突けば爆発する寸前となっていた王都ペテルブルクで、益々危険の伴うギリギリの任務に日々奔走し、ぼくは彼の留守を、益々苦しくなっていく暮らしぶりに抗うように必死で家庭を守っていた。…1917年はこうして始まった。そんなある日、ぼくは街中で買い物の途中に倒れた…」
「ムッターが倒れたのは…あの年の2月か3月頃だったように記憶している。その頃には、本当に食べるものが手に入らなくなっていて、…育ち盛りの僕はいつもお腹を空かせていた。その日の朝も…そんな僕にムッターは自分の朝食の殆どを分けてくれて…、その時ぼくは…、ムッターの顔色の悪さに、一瞬躊躇したんだけど…、でも、僕は空腹に抗えずに、その譲ってもらった朝食を食べたんだ。…朝食を食べていた僕に注がれた、ムッターの優しい表情を今でもよく覚えている。僕が学び舎に行く時にムッターが僕を抱きしめて、キスしてくれたのが…元気なムッターを見た最後だった。…それから僕は…、ミハイロフ家は、再び一家が揃うまでに、半年の時を要したんだ」
当時の心が潰されるような不安が再び胸に蘇り、そこまで語ったミーチャが口をつぐみ、項垂れた。握った両手が微かに震えている。
そのミーチャの大きな拳に、そっとユリウスが白い手を載せた。
その母の優しい手に、再びミーチャが顔を上げ話し出す。
「学び舎から帰宅した僕が目にしたのは、ベッドで苦しそうに喘いでいる…意識を失ったムッターの姿だった…。ムッターはひどい高熱で、物凄く汗をかいていて、でも物凄く震えていて…、僕はどうしていいか分からなくて…、アパートの大家のおばさんに助けを求めに行ったんだ。大家さんはすぐに来てくれて、ムッターを見て、すぐにお父さんを呼んでこいと言われて、僕は、ファーターを呼びに事務所へ走った。幸いファーターは事務所にいて、すぐに僕と一緒に家に戻って来てくれた。苦しんでいる意識のないムッターを見て、ファーターは毛布でムッターを包んで抱き上げると、辻馬車を拾って、ムッターをどこかへ連れて行った。…僕は泣きながらアパートの窓から、遠ざかる辻馬車を見つめていた。…その日の夜戻って来たファーターは、体調を崩したムッターの養生のために、知人の家にムッターを預けた事、そして、ムッターのお腹に赤ちゃんがいる事を僕に告げた。ムッターが一命を取り留めたことへの安堵と、それからお腹に赤ちゃんがいるのに、ずっと無理をしていたのに、ファーターに知らされるまでそれに気がつかなかった後悔と自責で、僕は涙に暮れた。そんな僕にファーターは、必ずムッターは元気になってここへ帰ってくるから、それまで頑張ろうと、泣いている僕を励ましてくれた。それで、僕は、暫くファーターと仲の良い同志の家にお世話になる事になった。荷物を纏め、ファーターに連れられてアパートを出て…、外から明かりの消えた僕らの家の窓を見上げた時…、止まった筈の涙がもう一度こみ上げかけた。…そんな僕の肩を…ファーターが優しく抱き寄せてくれた。ファーターの…温かい手からは、家族の、かけがえのない家族の絆の温もりと強さを感じた。こんな事に僕は負けない。ムッターが無事戻って来るまで、もう二度とメソメソ泣いたりなんてするものか…って、その時夜空に浮かんでいた月に誓った。…そして、ムッターが戻って来たら…、今度は、今度こそ、今までよりもうんとうんとムッターを大事にしよう、家族を大事にしようと誓った。そうしたら…僕の体の奥底から力が漲って来た」
作品名:intermezzo ~パッサウ再会篇7 作家名:orangelatte