冒険の書をあなたに2
夢の中へ行けたなら、夜毎リュカを苛む夢魔を退治できるのに────ピエールはそう語って咽び泣いた。己の腹に深い傷を負わせた者のために肩を震わせ、それは悔し気に泣いたのだ。
「ピエールの献身がなかったら、ぼくは結婚どころじゃなかったからね……感謝してるんだ、とてもね」
それまで数度戦って互いを知っており、件の事件のときは他の魔物たちに頼まれて様子を見に来ていたと言う。あの事件の何が琴線に触れたのか、正式に仲間にしてくれと言ってきたのはその直後だ。
「口ではかっこいいこと言うのにさ、いつもお休み三秒でぼくより先に寝るんだよ。酷いだろ」
そう言ってくすりと笑うリュカ。だがホイミンの目にはその笑みがどこか痛々しく見え、みぞおちを打たれたような衝撃に声を立てられずにいた。
「周りにはちょっと度を越したべったりに見えるだろうけど、殆どの人が想像するようなことは何もないよ。あ、今日は冒険したけど!」
実にあっさりと言い切り、からからと笑った。
「あれは……本当に驚きました」
後頭部をがしがしと乱雑に掻き、へへと照れ臭そうな表情になるリュカ。
「なんか可愛い反応されたから、ちょっと本気出しちゃった。心配事が減ったら嬉しくてつい……ね」
主従という枠には収まり切らない絆を目の前にして、ホイミンは眩しそうに目を細め、きゅっと口角を持ち上げた。
「お戯れは程々にしませんと。奥様に怒られるのでは?」
「あー大丈夫。ばれてもメラゾーマ三発くらいで済むと思う」
けろりと告げられた内容に、ホイミンは背筋を凍らせた。
「全然大丈夫に聞こえませんが……!」
「はは、冗談だよ。相手がピエールだしなぁ、知ってもきっと呆れるだけだと思うよ。さっき話した経緯は大体言ってあるし、快気祝いってちゃんと分かってくれるさ。優しい人だから」
暫しの歓談を終えたリュカが寝台へ戻ると、僅かな振動でピエールが薄目を開けた。
「……リュカさま」
眠いのだろう、少し輪郭の甘い発音で主の名を呼んだ。
「ごめん、起こしちゃったね」
「いえ……こうしていると、昔に戻ったみたいでなんだか懐かしいですね」
外の空気で少し冷えた体が、ピエールの体温がこもる掛け布団のお陰でじんわり温まっていく。
「そうだね。結婚前はずっとこんなだったもんなぁ」
屈託のない青い瞳がじっとリュカを見ていた。リュカもまた、柔らかく解けた視線を投げ返す。
「はい。またリュカ様と旅ができて、私は幸せです」
「……今度はあのお店に行こうな」
この小さな騎士がまだ名もなき頃、大層気に入ってしまった菓子がある。余りにも喜んだので、その洋菓子店の名前がそのまま彼の名になった。
リュカからの新たな約束に、喜びに満ちた返事が返ってきた。
それから間もなく「マスター」と小さな寝言が聞こえてきて、リュカはそう呼ばれていた旅の初めを思い出した。今度は起こさないようにそうっと彼の頭を撫でながら呟きを返す。
「おやすみ、良い夢を見るんだよ」
街は一層闇の帳を下ろして、生きとし生ける者たちの視界を攫って行く。
リュカはパデキア入手という一つの大きな目的を果たせたことに安堵し、小さな騎士の寝息を子守唄代わりに、ようやく深い眠りについた。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち