冒険の書をあなたに2
小休憩に入ってすぐ、リュカはホイミンからアリーナたちの情報を仕入れている。
この読みが当たっているかどうかは、先程のリュカの表情が物語っていた。だがそれを知るのは自分と主だけでいい────そう心で思いながら、ピエールは主の無事を祈った。
乾いた風が向かい合う二人の間を吹き抜け、足元の砂を散らしていく。
宣誓が終わるや否や観客の熱き声援が場内を満たし、それからすぐに水を打ったような静けさが訪れた。
アリーナ打倒のダークホース、リュカは武器をドラゴンの杖からメタルキングの剣に変え、ただ静かに目を伏せて身体中の感覚を研ぎ澄ませている。
風の音、そしてどくどくと脈打つ己の鼓動と微かな息遣いが耳を支配して、慎重にアリーナの出方を待った。
対するアリーナは、強者の余裕か連勝に気を緩めたのかは不明ながら、キラーピアスだけを両手に持ち身構えている。
風に紛れるくらいのごく僅かな音を聞き取ったリュカは、目を開けると同時に盾を前方に構えた。
肉食獣の狩りのようにひっそり素早く間合いを詰めてきたアリーナが既に目前に迫り、左側から飛んできた拳を盾でかわしたリュカが反撃に出ようとした矢先、今度は右から殴りかかられた。
打撃だけではない疼痛に、思わず顔をしかめる。アリーナはキラーピアスを指の間に挟んでおり、その小さな矢じりのような薄い刃がリュカの頬からこめかみにかけて傷を負わせていた。
(はっやいな……! これはちょっと、用心しないと拙そうだ)
彼の妻ビアンカも同じ武器を装備していたが、持ち方がまるきり違う。ビアンカはキラーピアスを普通のナイフと同じように握っていたが、アリーナの持ち方は獲物に当たった反動で刃先が戻ってこないように親指側で押さえている。その方法は指先で挟み込む強い力がまず必要で、手にも相当な衝撃が来るため下手をすれば骨ごとやられてしまう。
打撃のダメージもなかなか大きく、それに加えて刃の傷まで重なるときた。思っていたよりも厄介だ────と判断したリュカは攻撃の手を一旦止め、先に防御呪文スカラを唱えた。それを見たアリーナがニヤリと笑って挑発に出る。
「なあに、もう防御するの……降参するなら今のうちよ?」
アリーナはそう言いながら腰を落とし、次の攻撃に備えている。
リュカはたらたらと流れ落ちてくる血を手の甲で拭い、無感情に言葉を吐き捨てる。
「どう戦ったってぼくの勝手だろ。君がどう思おうと、ぼくが勝てばいいんだから」
ふ、と笑ったアリーナが砂を蹴る。同じ攻撃が来ると思っていたリュカは彼女の両腕に意識を集中させてしまい、一度目は盾で防いだものの、二撃目が下段蹴りの動作に入っていることに気付く。
(しまった、フェイントか!)
反応が遅れ脛で受けるほどの時間もなかったリュカは、焦らずアリーナの懐に思いきり近接して蹴りの威力を半減させ、剣を回して斬りかかる。飛び退くのを予測しての攻撃だったが彼女はすぐには飛び退かず、大したダメージにはならなかった。
攻撃が済んだと確信してから離れたアリーナが、浅く斬られた肩にちらと視線を走らせ、意外そうな顔をして見せた。
「……へえ、いいかわし方。実戦で慣れてる動きよね」
「まあね。ちょっとは戦える相手になってるかい?」
額から吹き出す汗を軽く拭い王者のマントの首元に風を送るリュカへ、アリーナは満足気な笑みを咲かせた。
「ふふ、そうね。楽しいわ!」
二人の熱戦を見つめていたプックルが、ピエールに話しかけていた。
「凄ぇな、あの女……リュカが押されてるぜ」
「様子を見てるだけです。押されてなどいません」
「いやいや良く見ろって。さすが勇者の仲間だよなー、えげつねぇ強さ」
プックルの言葉が癇に障ったのか、ピエールはぎろりと睨み付けて言い返す。
「それ以上不愉快なことを口走ったら、口に貴方の嫌いな玉ねぎ詰め込みますよ」
ピエールはプックルの尻尾をぎゅむっと引っ張り上げ、べちんと尻を叩いた。
「いでででで、おれが悪かった! 悪かったってー!!」
痛みに叫んだプックルとぎゅうぎゅう尻尾を引っ張り続けるピエールの間に、ホイミンが割って入った。
「ま、待って待ってピエールさん! それ痛そうですからやめて! 可哀想です!」
二人の一進一退の勝負は互いに決め手を欠いたまま続き、ここまでアリーナを手こずらせた挑戦者の出現に観客は大いに盛り上がり、何割かはリュカの名を口々に叫んで声援を送る。
彼女の回復が薬草頼りと気付いたリュカは早い段階で持久戦に持ち込み粘ったものの、会心の一撃を幾度も繰り出してくるアリーナはほんの少しの油断で全ての状況を引っくり返せるだけの実力者であり、リュカと言えど早々勝ちを奪えそうにない。魔力はいまだ潤沢にありエルフの飲み薬も持っているため、適度に攻撃をしながらこまめな回復をし続ければ確実に勝機は見えてくると思っていたところへ、思わぬ番狂わせが起きた。
リュカのメタルキングの剣がアリーナの太腿に当たり、ざっくりと深い傷を負わせた。
そろそろ薬草の手持ちが尽きる頃合いだと判断して回復より攻撃を中心にしたため、リュカのほうも裂傷だらけになっている。
ぼさぼさに乱れた髪を後ろへ放り、アリーナがふうと溜め息をつく。
「……ほんっと、しつこいわね。ここまで粘った人は珍しいわ」
薬草の手持ちが既に心許ないはずなのに、余裕で笑っている────リュカの中で何かが危険だと警鐘が鳴った。顔は微笑みを浮かべ何気ないふうを装って視界を広く持ち、周囲の様子を窺いながら答えを返す。
「おっ、もしかして褒めて貰ったのかな? 君も流石だね、後ろの二人がちっとも心配そうにしてなくて腹立つよ」
アリーナの連れの二人へ視線を流せば、多くの観戦客と同様に、高みの見物と言った様子で見つめている。
「そうね、回復はまだまだできるから」
「えっ」
そう言ってアリーナはにんまりと笑い、戸惑うリュカの前で袋の中から賢者の石を取り出した。
「あなたが強そうだから一応持って行けってクリフトが言ってた。大正解ね!」
嬉しそうにエヘッと笑っているアリーナの後ろを、リュカは忌々し気に睨み付けた。
(あの神官、余計なこと言ってくれたなー……畜生、鬼に金棒じゃないかコレ!)
視線に気付いた神官のほうもまた、早く負けろと言いたげな取り澄ました顔でリュカを静かに睨み返している。
「そーいうワケで」
スカートの砂埃をパンと払ったアリーナは、勝ち誇った顔をして良く通る声でリュカへと言い放つ。
「あなたが持久戦に持ち込んでるのは気付いてたけど、私を一撃で倒さない限り勝てる見込みはないって、分かって貰えた?」
心の内では歯ぎしりをしていたリュカだったが、それをおくびにも出さずに飄々と聞き流す。
「さーて、どうかな。まだ分からないよ?」
そうは言ったものの、勝機が遠のいたのは事実────先の見えなくなった戦いに、リュカはどこかに隙はないかと知恵を振り絞りながら様子を窺う。
(背後を取れれば、一か八かいけるか……!)
もう一度自らへスカラをかけて、メタルキングの剣をしっかりと持ち直す。これから行うことへの緊張で、喉はカラカラに干からびている。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち