冒険の書をあなたに2
竪琴を抱きかかえながら空色の瞳は懐かしそうにライアンを見つめている。ホイミンが慕っている相手もまた勇者の仲間と知り、ピエールはそんな彼の視線を辿って威風堂々たる立ち姿を眺めた。
(成程……勇者と共に戦ったというだけあって、簡素な格好だが隙のない身のこなしだな)
厳つい顔立ちにも見えるが目つきは柔らかく、見ようによっては姉妹の保護者のようにも受け取れる。
マーニャはアリーナへ向け手を振りながら歩み寄り、にこりと無邪気に笑う。
「今年も優勝掻っ攫っていくと思って、ライアンには公休取らせて連れてきたのよ。荷物持ちと虫除けにね!」
悪気なく発された言葉に、ライアンは苦笑いを浮かべてアリーナと握手を交わす。
「にわかには信じられん試合だったが、そちらも皆元気そうで良かった」
「カジノに寄りたい姉さんにとっては貴重な口実ですからね」
妹ミネアの呆れたようなツッコミを華麗に無視したマーニャは、長く伸ばした深いすみれ色の髪をさらりと後ろへ流し、それからアリーナの健闘を称えて抱き締める。
「試合見てたわよ〜。今年は残念だったわね」
「うんー、負けちゃった! でもすっごく楽しかったのよ!」
明るくそう言ってきゅっと口角を上げると、妹のミネアとも抱擁を交わしている。
アリーナの肩越しにミネアとピエールの視線がぶつかった。初めは隣のホイミンを見ているのかと思ったが、彼女の目は明らかに自分とプックルへと向けられている。穏やかそうな瞳から発せられた探るようなまなざしに、ピエールはすぐに目を逸らす。
「それは見ていて伝わりました。お相手にあんな強い方がいるなんて、想定外でしたね……」
そんな視線のやりとりに気付かないアリーナが、顎に片手を添えて小首を傾げ話し出す。
「ライアンとミネア足した感じの人だったわ。クリフトが今お話し中みたいで、まだ戻ってこないけど……」
ライアンは青いカイゼル髭を片手でわしわしと撫でつつ、ゆっくりと口を開いた。
「あれは訓練だけしてきた者の戦い方ではないように見えましたな」
遠目にも分かるほど、膝への攻撃が多かった。実戦に慣れた者なら敵の足を奪うのは当然の行動であることを、ライアンは冷静に分析する。
ライアンの言葉にアリーナはぱっと瞳を輝かせて捲し立てた。
「ライアンもそう思う? もうね、うちの兵士たちなんかよりずっと俊敏だったのよ。どう攻撃しても反撃に変えてきたの」
「体術のほうもいい動きだった。肉を切らせて骨を断つ手法といい、優れた戦士とみえる」
二人の絶賛に、聞き耳を立てていたピエールは思わず口元をにやけさせた。
マーニャが二人の話に頷き、アリーナに助言する。
「サントハイムにスカウトしたら? あんな人早々いないわよ」
はたと何かに気付いたように顔を上げたミネアが、マーニャに目を向けた。
「姉さん、それならモンバーバラの傭兵にどうかしら。踊り子目当ての輩対策にいいんじゃない?」
「あっ、それいいわね!」
わいわいと賑やかに話しているところへ、リュカが軽快な足取りで戻ってきた。
「あれっ、なんか人が増えてる」
誰にともなく呟いたが、ピエールがすぐに聞き付ける。
「お帰りなさいませ。青髭の男性はライアンという名で、あの方も勇者の仲間のようです」
ピエールの説明にリュカは両眉を上げる。
「へえ、そうなんだ。仲がいいんだね。だとすると姉妹っぽいあの女の子たちもそうなのかな、ホイミン?」
「……」
リュカの問いに答えることなく、ただぼうと前方を凝視したままのホイミン。
「ホイミン、どうしたの」
「えっ、あっ、すみません! あの……」
もごもごと口ごもるホイミンへリュカは柔らかい視線を向けながら、彼の言葉を待つ。
「……ライアンさんがお元気そうだったので、嬉しくて……」
「ああ……彼がそうなんだ?」
ホイミンはより一層はにかんで、こくりと頷きを返した。その可愛らしい表情にリュカの頬も緩む。
「挨拶しておいでよ。不安ならここで待っててあげるから」
リュカが背を押して前に出そうとすると、ホイミンは慌てて後ずさり頭を振った。
「いっ、いえ……一目お会いできただけで十分…………ひっ、ひあぁっ、こっちに来る!」
奇妙な叫びと共に、ホイミンはピエールと前足を揃えて座っているプックルの後ろに隠れ込む。
ぷっと小さく吹き出すリュカのもとへライアンが真っ直ぐに歩み寄り、穏やかな声で話しかけてきた。
「優勝おめでとう。面白い戦いでしたな」
「ありがとうござい────」
お礼を遮る声量で、アリーナの声が響き渡る。
「ねえ貴方、前にキングレオ城にいた人よね!? ライアンが仲間になったとき!」
「ふぁいっ!?」
アリーナとマーニャから顔を覗き込まれ、ホイミンはぎくりと体を強張らせた。
ホイミンの素っ頓狂な声に、ライアンとリュカの視線も自然とそちらに移る。
「ホイミンとかって名前だったわよね、ライアンによろしくって言ってた」
アリーナが軽い口調で言うとマーニャと顔を見合わせて、ね、と頷いた。
アリーナの口から出た名に、ライアンの表情が翳る。
「……ホイミン……?」
戸惑いの色を含んだ声にホイミンの肩がびくりと揺れ、体を縮こまらせて俯く。
青ざめたホイミンの表情と彼らの話を見聞きし、リュカは頭の中で得た情報を繋ぎ合わせている。
マーニャがライアンの顔を見上げ、長い睫毛をまばたかせながら問いかける。
「知り合いなんじゃないの?」
「同じ名の友はいた。人間になりたいとも言っていた……だが、そんなはずはない」
ぐっと何かを堪えているような力が瞳に宿り、ライアンは言葉を続けた。
「息絶えたあいつを埋めたのは、私だ」
ホイミンの空色の瞳が一気に潤む。
「教会に連れて行くには遅すぎたんだ……あのときほど呪文の使えぬわが身を歯痒く思ったことはない。あんな優しい子を、私は助けてやれなかった……」
後悔と悲しみを染み込ませた彼の声音がホイミンの耳に届き、指先が白くなるほど強く竪琴を掴んだ。つんと鼻の奥を突き刺す痛みを堪え、ゆっくりとライアンを見る。
「……あの日。山奥でメラミを食らったとき、ライアンさんの声はうっすら聞こえてました」
「…………!」
余りに意想外だったのか、ライアンは目尻の笑い皺が消え去るほど目を見開き、ホイミンの顔を凝視している。街から遠く離れた山林での出来事を知っている者は、ライアンとホイミンだけのはずだからだ。
「ライアンさん、ぼく、人間になれました」
「本当にホイミンなのか……?」
長い間もう一度会いたいと願い続けた人を目の前にして、ホイミンは瞬いた拍子に潤み切った両目からぽろぽろと雫が溢れた。
「はい。古井戸の底から一緒に旅をした、元ホイミスライムのホイミンです……」
ホイミンは長い睫毛の先から滴り落ちる涙を拭いもせず、ライアンは僅かに目をしばたたかせながら小さく何度も頷いた。
言いたいことがありすぎる二人はただ言葉を失い、互いを見続ける。
やがてライアンが声を振り絞って話し出す。
「……あーなんだ、その、キングレオ城にいただと? あれから何年経ったと思ってるんだ、会いにも来ないで水臭いやつだな!」
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち