冒険の書をあなたに2
ソロの提案で彼らが村に戻ってくる少し前────
村に残ったクラヴィスが水晶球を通して、今は亡き村人たちとの対話を試みていた。
「リュミエール、暫く演奏していてくれるか」
クラヴィスは柔らかく光を放つ水晶球に目を落としながらリュミエールにハープの演奏を頼み、リュミエールもまた穏やかな表情で丸太に腰掛け、演奏の準備を始めた。
「かしこまりました。どのような曲にいたしましょう」
「選曲は任せる。今日はあれがいないからな、この者たちの魂がせいぜい迷わぬようにしてやらねば」
そう言って微かに口の端を上げたクラヴィスを見て、ティミーが隣のオスカーに話しかけた。
「オスカー様、あれって誰のことですか」
「ジュリアス様のことだ。ジュリアス様とクラヴィス様は対のような存在でな、二人のサクリアは生まれ来る命の道標にもなるんだ」
オスカーの話に乗っかる形でオリヴィエも説明を補足する。
「光のサクリアはね、人が前に進み出す原動力になる。その反対に闇のサクリアは休息や安らぎをもたらす。疲れていたら頭も働かないでしょ? だから対のようなもん」
オリヴィエの態度は実に悠然としていていつもの軽やかさを保ったものであったが、言葉の中身は真剣そのものだ。真面目ながらも時折おふざけが過ぎる父に慣れているティミーは、オリヴィエのこういった一面を知り更に親近感を覚えた。
「んん〜、分かるような、分からないような〜……」
うーんと唸ってこめかみを押さえるティミーに、オスカーが少し皮肉気に笑って言葉を続けた。
「理屈で分かるもんでもないだろう。俺たちの力は人の行動の中に必ず存在しているもので、その行動の源が光と闇のサクリアだからな」
「当たり前ってこと?」
オリヴィエがにっこりとほほ笑んでティミーの頬をつつく。
「そーいうコト。ま、難しく考えないでいいよ、見てればその内なんとなく分かるからさ」
綺麗に作りこまれた芝生の上にオスカーとオリヴィエ、ティミー、シンシアが寛いだ姿勢で座り、闇と水の守護聖の行動を見つめた。
リュミエールがハープを爪弾き始めると、クラヴィスの水晶球から更に強い輝きが溢れ出した。
溢れた光は墓標の周りをウロウロと彷徨い、クラヴィスは幾つかの光へ言葉を投げかけた。
「……私の力が必要ならば与えよう。何か気がかりがあるのなら話を聞く」
独り言めいた声音だったが、クラヴィスを取り巻く光は蛍のように点滅したため、ティミーたちにも会話をしている様子が窺えた。
クラヴィスは魂の強い輝きに照らされ明るくなった紫色の瞳をゆっくりと動かし、シンシアを呼びつける。
「シンシア」
そう大きくもない声で名を呼ばれたシンシアが反射的に立ち上がった。
「はっ、はいっ?」
「こちらに。勇者の育ての親と言う夫婦が、ソロの話を聞きたいと言っている」
シンシアは困惑した顔のままクラヴィスの隣へ歩み寄る。
そこから先をどうすればいいのかと立ち尽くすシンシアをよそに、クラヴィスは束の間考え込んでから独り言ちる。
「使えるかどうかは知らんが、試してみるか……」
そう言って袂から取り出したのは、魔物と会話ができるポピーの代わりにとルヴァから預かった水晶球だ。
彼の水晶球より小ぶりなそれをシンシアに手渡し、意図を把握しきれずにいるシンシアへ説明をする。
「我々守護聖をまとめる女王陛下のサクリアを秘めている。女王陛下は生きとし生けるもの全てと対話をなさる慈愛の方、おまえに力を貸すだろう」
クラヴィスの説明を聞きながら、シンシアは金色の光を纏った水晶球に眺め入る。淡く優しい光に見惚れるうちに、体が軽くなっていく感覚に見舞われた。
身に起きた感覚を伝えようとクラヴィスを見上げかけ、視線は移動の途中でぴたりと止まった。
「……みんな」
墓標の周りを巡っていた光はかつて暮らしを共にした村人たちへと変貌を遂げ、それへの驚きで零れそうなほど目を見開いたシンシアが、喉から掠れた声を絞り出す。
「おじさん、おばさん……先生も」
今は亡き懐かしい面々を前に、シンシアの声が震えた。
あの日────この村が滅んだ日。抵抗むなしく屠られた人たちが、誰も彼も苦しみなど何もなかったように穏やかな笑みを浮かべてシンシアを見つめている。
何と言ったらいいか戸惑うシンシアへ、クラヴィスは落ち着いた声音で話しかける。
「思念が強く、ここにずっと留まっていた者たちだ。土産代わりに暫し勇者の話でも聞かせてやれ……きちんと終わらなければ、何も始まらぬ」
言っていることの意味は分かるものの、なぜそれをこの超然とした占い師のような人が言うのか、とシンシアは訝しげな顔になった。
「……あなたは一体何なの」
「さあな……」
はぐらかされたとシンシアは内心思ったが、それ以上踏み込ませない威圧を感じて口を閉ざした。
それを見計らってか、彼女がおじさんと呼んだ男、ソロの養父が話し出す。
(シンシア)
生前と変わらない声で呼ばれ、シンシアの目頭が思わず熱くなる。
(狭間の世界にマスタードラゴンがおいでになってね、そこの黒い人が来たら旅立てると仰っていたよ)
男の言葉に、クラヴィスがほんの僅かに口元を緩ませる。竜の神にしてみれば、これもまた運命の輪の中か────そう思ったのだ。
「狭間……?」
不思議そうに首を傾げたシンシアへ向け、養父の話は続いた。
(天国でも地獄でもない、魂の寄り合い所のような場所だよ。我々は皆そこにいた)
ソロの養母も続けて口を開く。
(あの子の話を聞かせて。私たちの大切な子のことを)
そして、ただ一人現世に呼び戻された形のシンシアが勇者ソロの旅の軌跡を説明すると、それまで黙って聞いていた村人たちから安堵や称賛の声が口々に上がった。
シンシアがおじさん、おばさんと呼んだ二人は養父母と言うこともあってか特に感慨深い顔をして頷き、養母がしみじみと言葉を紡ぎ出す。
(あの子はよく頑張ってくれたのね。私たちの願い通り、くじけずに……)
シンシアは彼らと話しながら、今ここにソロがいないことを歯痒く思い、同時にいなくて良かったのかも知れないと考えた。
ソロは実の両親を知らない。目の前の二人があの日あの時まで養親と言わなければ少しも気付かなかったくらいに、彼らはソロを愛情たっぷりに育て上げた。
母親らしき天空人はいたが、はっきりとそう確信できたわけでもない────とソロはシンシアに話している。父母と聞いてソロがまず思い浮かべる相手は、この二人以外にはいないはずだ。
僅かな沈黙の後、シンシアは少し躊躇いがちに問いかける。
「ねえおばさん、わたし……分からないの。どうしてわたしだけ、ここに戻ってこられたのか」
(あなたがここへ戻された理由?)
こくりと頷いたシンシアに、夫妻はふうわりと柔らかく笑った。
(あの子の生きる希望だからかも知れないわ、ずっと一緒にいたんですものね)
ソロの視線の先にはいつも彼女がいたことを思い返し、養母はくすくすと笑ってひとつの暴露話を始めた。
(マスタードラゴンはあなたのために、世界樹の花を持ち出したんだそうよ。あの子が払った犠牲にはそれでも足りないと話されていたわ)
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち