冒険の書をあなたに2
「えっ……? だってあれは、千年に一度咲くんでしょう? ロザリーに使ったってソロが」
(未来に咲くはずの分を使ったそうよ。妖精の女王に叱られたと笑ってらしてね)
千年に一度の貴重な花を、竜の神が持ち出した────この驚くべき暴露に、クラヴィスが関心を寄せた。
「竜の神自ら、予定調和を乱したのか?」
クラヴィスの指摘に、養母はええと頷く。
(そうらしいです。あの子の実の父を殺めてしまったことを、大変気にされていました)
シンシアは思わず俯いた。ソロが巨悪に打ち勝つまでの間、幾度も竜の神を抹殺しようと憎悪を募らせていたことを、彼の口から直接聞いているからだ。
しょぼんと肩を落としたシンシアを横目で流し見たクラヴィスが、緩く息を吐く。
「わざわざ憎まれ役を買って出たがるのは、本当にあれと良く似ているな……難儀な性分だ……」
それから暫しの歓談を経て、満足そうな村人たちがクラヴィスに頭を下げた。それを受けてクラヴィスが口を開く。
「もう思い残すことはないのだな」
養父が人当たりのいい笑顔で大きく頷く。
(ええ、勿論。これでようやく、狭間から旅立てます)
束の間、どこか遠い目をしたクラヴィスが水晶球をぎゅうと抱き締め、ぼそりと呟いた。
「息子が戻ってくるまで待てば良いものを……」
感情を殺すことに慣れ切ってしまったクラヴィスだったが、彼の水晶球は守護聖として召された際に実母から託された形見の品だ。親子の別離に少しだけ自分の境遇と重ね合わせたのか、真実を知る者はこの場にはいなかったが、何かを察した様子の養母が悲しげに笑った。
(……未練が出てしまいます。私たちは一度別れた者、どうかこのまま送って下さい)
「承知した。これで良いな、シンシア」
敢えての念押しにも思える口振りには、どこか温情が垣間見える。最後の砦にすがるような面持ちでシンシアが声を上げた。
「待って。おじさん、おばさん……やっぱりソロに会ってあげてよ」
シンシアの嘆願にも彼らは一様に頭を振り、養父がきっぱりと言い放つ。
(おまえも聞いていただろう、あの子の絶望の叫びを……今更傷口を抉ってどうするんだ。私たちは生き返りはしないのだから、これでいい)
シンシアが先生と呼んだ男も口を開く。
(これからは二人で助け合っていきなさい。爺さん婆さんになって、腰が痛いだの足が痛いだのと散々喚いてからこっちに来ればいいさ)
軽やかな口調でそう話すと、周りの村人たちも一斉に笑い出す。
さざ波のように沸き起こった笑いが引いていく。別れの時を告げるように、クラヴィスの水晶球が再び輝きを放ち出した。
「……時が満ちたようだ」
クラヴィスの視線が村人たちを捕らえ、彼らは晴れ晴れとした表情で頷く。
「闇の守護聖クラヴィスの名に於いて、おまえたちに安息を贈ろう……新たなる目覚めの日まで、ゆっくりと眠るがいい」
クラヴィスの全身からサクリアが溢れ、村人たちの体を包み込んでいく。
泡のように掻き消えていく彼らの姿を、シンシアは呟きと共に見送る。
「さよなら、みんな……」
これまでずっと心地よく響いていたハープの音色が妙に強くなったと思った刹那、大きな魔力の波動を感じたシンシアが驚いた顔で振り返った────その目ははっきりとリュミエールを捕らえている。
「……!!」
弦を夢中で爪弾きながら祈るような声が、シンシアの耳に届く。
「……水のサクリアに満ちて、清き魂にひとたびの癒しがもたらされますよう……」
リュミエールのサクリアは楽の音色に乗り、闇のサクリアの後を追うようにして魂に重なっていく。
間近で見ていたオリヴィエが、形のいい眉を片方持ち上げて面白がる。
「おーや、リュミちゃんも職権乱用しちゃうってワケ? それじゃ私たちもやっちゃおっかー」
ね、と隣のオスカーへと目を向けると、オスカーもニイと笑う。
「いいだろう。炎の守護聖オスカーの『強さ』で、光を目指し道を切り拓け!」
「夢のサクリアを贈るよ。希望に満ちた目覚めになるように、今はとびっきり良い夢をご覧」
二人のサクリアも村人たちの魂に重なり、シンシアの手中にあった水晶球の輝きも一層増した。
守護聖たちの行動に対して、まるでそれでいいのだと言わんばかりの眩さに飲まれ、村人たちの魂は高く高く昇って行った。
ポピーたちが村に辿り着いたのは、クラヴィスらが村人たちの魂を送り出してから数時間が経った頃だった。
手持ち無沙汰だったのか、真っ先にオリヴィエが出迎えた。
「ハーイ、お帰り。どうだった?」
オリヴィエの声かけに片手を持ち上げ挨拶を返したソロが、麻袋に入ったパデキアを日陰へ置きに行く。
ルヴァは額の汗をハンカチで拭いながらオリヴィエに問いかけた。
「只今戻りました。留守中に何か問題は?」
「特にないよ。見ての通り平和なもんさ」
花畑のど真ん中で大の字になっていたティミーがぱっと起き上がり、ポピーの元へと駆けつけた。
「ポピーお帰り。お父さんいた?」
ティミーの目に期待がこもったが、ポピーは力なく頭を振った。
「お父さんソレッタにいたんだけど、そこからどこかに行っちゃったみたいなの。プックルと一緒だったって」
「そっか、無事だった……ん、あれ? ピエールは?」
プックルが人間の前に姿を見せているなら、ディディはともかく人型のピエールも一緒のはず────そう思って尋ねたティミーに、ポピーはあっと声を出した。
「あ……そう言えば、いるはずだよね……? 別行動なのかな」
「まさか。ピエールはお父さんの騎士だよ、死んでもついていきそうなのに」
どういうことだろうと顔を見合わせ困惑する双子に、オリヴィエが割って入る。
「ねえ、もしかしてさ……何かあったのは、あんたたちのお父さんじゃなくって、そのピエールのほうなんじゃない? どう思う、ルヴァ」
話を振られたルヴァは顎に手をかけ、ふーむと唸る。一度伏せた青灰色の瞳は数秒置いてオリヴィエの視線とかち合った。
「……それは十分に考え得る事態ですね。リュカなら彼らを見捨てるような真似はしないでしょうから」
木々の葉が風に揺れざわざわと賑やかに音を奏でる中、一行には刹那の沈黙が訪れた。
先程よりも険しさを増した顔のティミーが、重い口を開いた。
「……もしピエールが死んだとしたら、お父さんならきっと教会に行くか世界樹の葉を────」
ティミーの言葉にポピーは僅かに眉根を寄せた────世界樹の葉は元の時代に置いてきたのを思い出したからだ。
「葉っぱは持ってないはずだし、ソレッタにも教会あったよ。でもソレッタの王様は、お父さんとプックルしか見てないって……」
再び不安に見舞われた様子のポピーを励まそうと、ティミーが思案を巡らせて言葉を紡ぐ。
「じゃあ、世界樹の葉を探しに行ってるのかな……?」
ティミーの背後から、壺のようなものを胸に抱え歩いてくるソロが見えた。
それへと視線を向け、ルヴァは僅かに口角を上げる。
「それなら、むしろ好都合ではないですか?」
ちょうど今から世界樹へ向かうのだから────ルヴァがそう言い出すよりも先に、ソロが声を張り上げた。
「悪い、三人でいいから誰か手を貸してくれ!」
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち