冒険の書をあなたに2
ソロの呼びかけにティミーがハイと手を挙げ、オスカーとリュミエールが同時に立ち上がる。
「手伝おう。何をするんだ?」
「気球を出したいんだ、そう重くはないんだけど大きくてさ」
ソロはそう言ったが、実際は相当重い。これは彼と仲間たちが極限まで体を鍛え上げてしまったため、大概の物を軽々と持てるようになってしまった弊害でもある。
「あ、これガス入ってるからこのまま持ってて」
手の空いていたマルセルに壺を渡して念を押すと、ソロは颯爽と藪へ入っていく。
足早に進むソロは枝葉を手で押し退けて進んでいたが、後に続いたオスカーは顔にかかるような小枝や葉を剣で軽く打ち払い、後続の二人が歩きやすい道を作りつつ独り言ちる。
「気球か……この世界にもあるんだな」
それを聞き付けた先頭のソロが降り返り、話題に乗ってきた。
「知ってる?」
「ああ、乗ったことはある。操縦が難しいと聞いているが」
ティミーはその言葉に、絶対女の人とのデートに使ったんだと内心思ったが口をつぐむ。
ソロは少し機嫌が良さそうに話を続けた。
「風を読むのが大変だけど、慣れれば結構自由に移動できるよ」
オスカーが払い切れなかった枝が最後尾のリュミエールに当たらないよう気を付けつつ、ティミーが話かける。
「ふーん。そういうのってランディ様やゼフェル様が得意そうですよね、リュミエール様」
「そうですね、楽しそうに乗り込む姿が目に浮かぶようです」
村から微かに分かる程度のけもの道に入り暫く藪漕ぎをした場所から急に視界が開け、大量の枯れ草や蔦で覆われた気球が置かれていた。
まずはソロが蔦を鷲掴みにして引き下ろし気球を露わにすると、三人に簡単な説明を始める。
「ガスは村の地下室に置いといて、本体は邪魔だからここに置いてるんだ……よっと」
四人がかりで枯れ草を両腕で押し退け、ゴンドラを引っ張り出す。ゴンドラの中にはざっくりと畳まれた球皮がしまい込まれている。
前方に陣取ったソロの「せーの」の掛け声に合わせて一斉に持ち上げ、ゆっくりと来た道を引き返す。
広場に運んできた気球を囲み、オスカーがちらとルヴァへ視線を送った。
「で、これでどこに行くつもりなんだ」
オスカーが真っ先にルヴァを見たのは、彼が好奇心旺盛で脇道に逸れたがる性格だと知っているからである。
それを知ってか知らずか、ルヴァはにこにこと愛想のいい笑顔で答えた。
「エルフの里に世界樹があると聞きましてね。元の時代にはなかったそうですから、少々見学に行こうかと……」
やはりか、と呆れた顔になったオスカーへ、マルセルが慌ててフォローに入った。
「ソレッタの近くの森に、世界樹の若木があったんです。ちょっと気になることがあって」
「ほう……だが今から向かうとすると着くのは夜なんじゃないか?」
そう言ってオスカーはアイスブルーの瞳を空に向けた。
陽はかなり傾いて、夕闇が間近に迫ってきている。深い森に囲まれた村は既に薄暗いほどだったが、この言葉にはソロが反応を示した。
「向こうに宿屋があるから大丈夫だよ。今から行って一泊して、昼前には戻る予定」
「そうか、それなら気を付けて行けよ。シンシアなら俺が守るから心配要らないぜ」
揶揄うような薄笑いを浮かべたオスカーを、ソロはじろりと睨み付けた。
「変なことすんなよ」
「さあ、モタモタしてるとどうだろうな? 気になるなら早く戻って来い、あまり恋人に心配をかけるなよ」
恋人と言われてソロとシンシアの頬が一気に赤く染まり、隣同士に並んでいた二人はぎこちない動きで数歩離れた。
それを楽しそうに見ていたオスカーの目の前で、ティミーが心配そうに妹からソロへと視線を動かした。
「ソロさん、ポピーをよろしくね。ほんとは高いところ苦手なんだ」
「お、ここにも高所恐怖症がいた。ゴンドラの中で座ってればそんなに怖くないと思うけど、無理そうならやめとくか?」
導かれしものたちの中で高所恐怖症なのは、サントハイムの神官クリフトである。
マルセルがすみれ色の瞳でじっとポピーを見つめ、視線が交差する。
「ポピーは聖地まで命懸けで来れた子だもの、そんなにヤワじゃないよね。怖かったらぼくとお話していようよ」
ねっとマルセルが励ますと、ポピーは大きく頷きを返す。それを間近で見たティミーがむすっと眉を寄せる。
「……なんかぼくより兄妹っぽくてヤだ」
ぶすくれるティミーをよそに、オリヴィエがマルセルの肩に手を回してにこにこと笑う。
「んっふふ、メイクしたら姉妹に見えるよ〜。ねーマルセル、試してみよう?」
「あっ、お断りしますー!」
二人のやり取りにソロが吹き出している。マジか、と呟きが聞こえた。
あっさりと断られたオリヴィエがチッと舌打ちして引き下がったところで、クラヴィスが声をかけてきた。
「マルセル」
体格差のある二人ゆえ必然的にクラヴィスがマルセルを見下ろす格好になっていたが、マルセルがきょとんと首を傾げた。
「……? どうしたんですか、クラヴィス様」
「……異変が起きたときは、気をしっかり保つことだ」
「え、あ、はい」
クラヴィスはマルセルからルヴァへと視線を移して口を開く。
「ルヴァ、少し良いか」
「はい〜?」
クラヴィスは近づいてきたルヴァにだけ聞こえる声量で忠告する。
「マルセルの動向に気を向けてやれ。良くない事態が起こると水晶球が知らせている」
「も、もう少し詳しくお願いできますか」
クラヴィスの予告めいた発言に、ルヴァの顔にも僅かに緊張が走る。
「天空城の比ではないほどに、豊穣を求める暗示が出ているのだ……こちらの杞憂であれば良いが」
幼少期から長年守護聖を勤めあげてきたクラヴィスは、天空城での緑のサクリアの暴発を感じ取っていた。当然他の守護聖や女王も気付いていたが、魔の存在が入れないと言う神聖な城の出来事ゆえ、それを気に留める者はいなかった。知識と知恵の守護聖、ルヴァもその一人である。
「あなたの水晶球がこれまでに予知を外したことなど、ないじゃありませんか……!」
「欲しているのが緑のサクリアだけならばまだしも……守護聖そのものを取り込もうとすれば、無事では済まないだろう」
ソレッタ近郊の森でマルセルから聞いた話がルヴァの脳内を駆け巡り、その助言の重要さに思わず顔を強張らせた。
「……その懸念があると言うのですね?」
声を潜めてそう言うと無言で頷くクラヴィスへ、ルヴァはきゅっと口を真一文字に引き結んでから更に小声で返事をする。
「分かりました、できる限り離れないようにします。あなたは引き続き、ここにいてくださいね」
ルヴァとしては置いて行くのが一番良い方法と分かってはいたが、天空城の一件もありマルセルは首を縦には振らないだろうと考えての答えだった。
ソロの操縦でバトランド地方とブランカ領を横切る険しい岩山から来る北風を捕らえ、気球はゆったりと南へ移動していく。
燃えるような夕陽が地上を茜色に染め上げ、徐々に海の果てへと沈む。目に刺さるようだった強い陽射しはすっかりと和らいでいた。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち