冒険の書をあなたに2
(いつか遠い先で、もしもあなたが困ったら……そのときこそ、このご恩をお返しいたしましょう)
ぼんやりと薄れゆく視界の中で彼の言葉を聞き届け、マルセルの意識はそこでふつりと途切れた。
世界樹の内部から漏れてきた光にすぐさま反応を示したのは、守護聖のルヴァだった。
「マルセルのサクリアが……!」
一瞬険しい顔で息を詰め、幹の隙間にぐっと指をかけた。
こじ開けようにもやはりびくともせず、ルヴァは数歩下がって理力の杖を腰布から引き抜き、慎重に身構えた。
そんなルヴァのただならぬ様子に、ソロは感情を押さえた声で問う。
「おい、何する気だよ」
「……破壊します。何か異変があったようですから」
「そんじゃ突入するか?」
「……ええ」
頷き返したルヴァの隣で、ソロも天空の剣を鞘から引き抜いた。
後方で世界樹の様子を見ていたポピーが叫んだ。
「ルヴァ様、ソロさん、待って! 上を見て!」
二人の耳にも聞こえてきた、何かが軋む音────言われるまま上方へ視線を動かすと、先程出入り口を封鎖した枝や根が一気に枯れ、崩れ落ちてくるのが見えた。
「危ねぇ!」
ソロが咄嗟に剣を手放し、二人を抱えて飛び退いた。
剣の周辺には太い枝が散らばっている。ソロの機転がなければ当たっていただろうとうっすら背筋を凍らせたルヴァが、丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます……いやー、驚きましたねー」
ソロはその礼には反応せず、剣を拾い上げて二人を振り返った。
「出入り口が解放されたな、行くぞ」
内部を把握し夜目の利くソロが先陣を切り、颯爽と駆けていく。
足元は根が絡み合い、時には蔦の類までもが鬱蒼と生い茂り、普通に歩くだけでも非常に神経を削る。
「あんたらは後からでいい、ゆっくり来な。オレは先に行く!」
良く通る声で言い置いて、ソロはあっという間に上へと行ってしまった。
二人が茸の薄明りを頼りにどうにか追い付いた頃、ソロは既にマルセルを横抱きにして戻ってくるところだった。
ソロの腕の中でかくかくと首を揺らしているマルセルを見て、ルヴァが青ざめた。
「マルセルは無事ですか!?」
「気を失ってるけど生きてるよ。それにしても軽いな、こいつ。ほんとに男か?」
揶揄い混じりの軽妙な声には、やや過剰に心配している二人を和ませようとした気遣いも含まれていたものの、ポピーは真顔で言い返す。
「ソロさん……それ、言ったらだめな発言です……」
恐ろしく低い声で突っ込まれたソロは、苦笑いでハイと返事をして黙ってしまった。
ようやく外に出て世界樹内部よりは視界が明るくなったところで、ルヴァはマルセルの手に目を向けた。
マルセルの手には一本の木の枝が握られている。ルヴァが外そうとしてもぎゅっと握り込んでおり、抜き取ることはできなかった。
「……世界樹の若木ですよね、これは……」
ルヴァの言葉に、ゆっくりと歩くソロが頷く。
「ま、その話は後回しだな。とりあえず寝よう、マルセルも疲れただろうしさ」
全員安堵した途端に眠気が襲ってきて、下り道で足を取られないようにするだけで精いっぱいだ。
ポピーはふあ、と欠伸をしながら片手を上げた。
「さんせーい……私もちょっと、眠いです……」
欠伸の際に一応口元を手で隠していたが、大口を開けてはしたないと叱る者はここにはいない。
ポピーの寛いだ態度にルヴァも表情を緩め、うんうんと頷いて話し出す。
「話は夜が明けてからにしましょうかね……」
ポピーの欠伸につられたルヴァとソロもふわぁと大きな欠伸をし、ソロはポピーのがうつったせいだと笑った。
そうして一行は全員無事に宿へ戻り、昼近くまでこんこんと眠りについた。
ライアン宅へと身を寄せたリュカたちは、元の時代に戻る手掛かりを掴めないまま数日が経過していた。
その頃には全員で囲む食卓にもすっかりと慣れ、その日のリュカはライアンとホイミン相手に子供の頃のお化け退治の話を聞かせていた。
ビアンカがプックルを猫と間違えた話にライアンが声を上げて笑い、ホイミンもつられてくすくすと笑っている。
「当時はぼくもちょっと足が大きい猫だなって思ってたんですよ。今はこんなですけど」
指をさされたプックルが尻尾を床に叩きつけ、ふんと横を向いて不貞腐れた。
そんなプックルをホイミンが背を撫でてあやし、ぼそりと呟く。
「その子たち、今のプックルを見たら逃げだすだろうなあ」
ライアンもその言葉に同意を示す。
「違いない。こんなに人懐こいとは誰も思わんだろうな」
「助けられたのは事実だからな。誰にでもできることじゃねえよ」
プックルの言葉にリュカは尻尾の先のリボンに目を留めて、寂し気に薄く笑った。
それには気づかない様子でライアンが話を切り出す。
「まあ子供はやんちゃなくらいで丁度いいと思うぞ」
何気ない言葉だったが、パンを口に運ぼうとしていたリュカが僅かにその手を止めた────どこか彼の父親を彷彿とさせる発言に、一瞬意識が逸れてしまったからだ。
「無謀な子供も中にはいるがな」
ライアンの視線がちらとホイミンへ注がれ、子供扱いされたホイミンが口を尖らせる。
「ライアンさん、ぼくは子供じゃなかったよう。そもそも人間じゃなかったし」
「魔物の中ではまだ子供だったんじゃないのか?」
「えーっ、違うよう!」
「警戒心もなくついてきたしなぁ……もし私が悪の手先だったら、ホイミンはちょろすぎるぞ」
堪え切れずにふっと笑いを漏らしたリュカが納得した様子で頷く。
「あぁ、なんか分かります。ぼくでも騙せそう」
それにピエールまでうんうんと頷き、ホイミンの頬がかっと赤くなった。
「皆ひどい!」
怒った口調でも全く怖さを感じないホイミンへ、ライアンが笑いながらなだめた。
「すまんすまん。そう怒るな」
ホイミンは怒っていると表情に出しているものの、元々が優しい顔立ち故か可愛らしくさえ見えてしまう。
すっかりむくれてしまったホイミンを、リュカも一緒になだめに入る。
「ごめん、笑いすぎたね。ねえホイミン、今日のスープはどうかな」
本日のスープはリュカが担当したもので、問われたホイミンはけろっと機嫌を直して口角を上げた。
「う? うん、凄く美味しいよ。ちょっと辛くて、不思議な味付けだね」
家の裏手にぼうぼうと生えていた雑草パースレインを草引きしたついでに流用したものだが、リュカのレシピはパースレインに加え小タマネギ、ジャガイモ、青唐辛子の酢漬け少々、兎の干し肉と麦を使う素朴なスープである。パースレインから出るとろみと微かな酸味が煮崩れたジャガイモや麦とよく合い、青唐辛子がぼやけがちな味をきりりと引き締めている。パースレイン以外の材料も揃っていたので、国の味を紹介がてら腕によりをかけていたのだった。
隣を見れば、おかわりをしようかと鍋を見ていたピエールにリュカが気付き、すぐにスープをよそって戻ってきた。ピエールが踏み台を引っ張り出すよりも、このほうが早いというリュカの判断だ。
「父が好きだったみたいでね、ぼくの国ではよく出されるんだ。君もおかわりするかい」
すっと差し出された手に、ホイミンは空の皿を手渡して頭を下げる。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち