冒険の書をあなたに2
「あっ、お願いします……ねえリュカさん、これの作り方知りたい。明日教えてくれますか」
実はライアンも早々に気に入り、既に二杯目を終えている。
「いいよ。それにしても、本当にスープ好きだね」
「多分元々ホイミスライムだったからじゃないのかなー、なんか他の人より水分いっぱい摂ってるみたい」
スプーンに口を近づけてふうふうと冷ましながらそう話すと、ピエールが口を開く。
「そう言えば……水もよく飲まれていますね」
「そうだね、お肉やお魚より野菜のスープが一番好きなんだ」
照れ臭そうにえへへと笑うホイミンを、ライアンは優しいまなざしを向けている。
「ここへ来て良く食べるようになったのはいいことだ。私に変な遠慮はしなくていいからな」
その日の夜、客用の寝台に寝転がったリュカのリクエストでホイミンが演奏を始めた。
部屋の入口付近では演奏を聞き付けたライアンが簡素な椅子を持ち込み、ピエールは寝そべったプックルを背もたれに、足を伸ばし寛いでいる。
各々ぽろり、ぽろりと優しく奏でられる音色に耳を傾け、ゆったりと夜が更けていく。
一通りの演奏が終わると拍手が沸き起こり、ホイミンは熱くなった頬を両手で隠し、はにかみながらぺこりとお辞儀をする。
リュカが拍手の後に袋の中からエルフの飲み薬を取り出して、ホイミンに手渡した。
「ありがとう、いい演奏だった。これお礼になるか分かんないけど、良かったら貰って」
透明な瓶の中に何かの葉と液体が入っていたが、ホイミンは一体何に使うのかと小首を傾げて問うた。
「これは何ですか……?」
「エルフの飲み薬って言ってね、飲むと魔力を全回復してくれる。ほら、中に世界樹の葉が見えるでしょ。液体によって抽出される成分が変わるんだってー」
リュカの説明を聞きながらホイミンは瓶を光にかざす。青々とした葉が液体の中をたゆたい、薬草茶のようにも見えた。
「き、貴重なんじゃ」
眉尻を下げて困り顔のホイミンへ、リュカが柔く笑いかけた。
「まだ沢山あるから大丈夫だよ。ホイミで疲れたら飲むといい」
高価そうなものを貰ってもいいのだろうかと思案に暮れているのを見かね、ライアンが口を挟む。
「良かったな、ホイミン。そのような品物は私も見たことがないぞ、折角だから貰っておきなさい」
「は、はい……ありがとう、リュカさん」
ようやく安心して受け取ってくれたのを確認し、リュカは満足気に頷いて見せた。
「どういたしまして」
椅子を片手にライアンが退出し、ホイミンの演奏会はお開きとなった。
客用の部屋には寝台が二つあり、ミントスと同じく片方はリュカとピエール、もう片方をホイミンが使っていた。
外からは遠雷が微かに聞こえ、窓辺から外を眺めていたリュカが寝台に戻ってきた。
「荒れそうだな……ホイミン、雷は平気かい」
遠くの空が時折光っていた────辺りの風も強まってきていて、がたがたと窓硝子を揺らす。
リュカの声にホイミンは肩を竦め、気まずそうに視線を逸らして答えた。
「う……あんまり、平気じゃないです」
雷に打たれたあの日を思い出してしまい、ホイミンは未だに雷鳴の轟きを怖がっている。
「んーそっか。じゃあピエールちょっと降りて」
寝台から降ろされたピエールは、何をするのかと不思議そうに見つめている。
リュカがホイミンの寝台へ向けて手前の寝台をぐいと押し、二つの寝台がぴったりと並んで隙間がなくなった。
何をしようとしているのか意味が分からずきょとんとしたホイミンへ、リュカがにこやかに話し出す。
「今日は皆で並んで寝るよ」
「えっ」
ごろりと横になり、隣をぽんぽんと叩きながら口角を上げた。
「ほら、こうして寝てたらそんなに怖くないんじゃない?」
リュカに促されて横になったものの、落ち着かない様子で自分の髪の毛をいじりだす。
「でも、リュカさんのほうまで狭くなってしまいますよ」
「ぼくは平気だよ。子供たちが小さい頃はね、よくこうやってぎゅうぎゅうに並んで寝てたんだ」
ホイミンは体の半分を少しうつ伏せてリュカのほうを向き、じっと話を聞いていた。
「息子の寝相が特に酷くてね、よく手足が飛んできた……」
子供たちの寝相を追懐して目を細めたリュカに対し、ホイミンが少し寂しそうに瞬きを繰り返す。
「リュカさん」
名を呼ばれ、リュカの黒曜石のような黒い瞳がホイミンを捕らえた。
「うん?」
「お父さんって、どんな感じ?」
ホイミンの質問に、少し気難しそうな顔を作ったリュカが答えた。
「んんー、難しいな。ぼくはまともな親だとは言えないからなぁ……十年もほったらかしちゃったから」
パパスのような偉大さは自分にはまだないだろう、とリュカは思う。
「ぼくにとっての父は……手本になる人、かな。ぼく自身はどうだろうなぁ、ぼくなりに家族を大切にしてきたつもりだけど……」
「家族ってどういうものなのか、ぼくには分からないんです。お父さんは特に分からない」
しょんぼりとした顔のホイミンに、リュカは質問を投げかけた。
「ホイミスライムって子育てはお母さんだけなの?」
「そう。でも凄く早いうちに独り立ちするから、人間みたいにずーっと一緒にいる感じじゃなくて……」
外は雷鳴が近づいているようだ。ざあっと音を立てて降り注ぐ雨が家中にくまなく当たり、騒々しさを増している。
「そうかぁ……でも君だって奥さんできたら、そのうちお父さんになるかも知れないし。まだ焦ることないよ」
リュカの言葉に、ホイミンは微かに笑う。
「……無理だよ。ぼくの好きな人は……」
言葉を濁し、悲し気に瞳を揺らがせる。
「ああ、ライアンさん?」
リュカの口からあっさりと出た名前に、ホイミンがガバッと顔を跳ね上げた。
「!!? えっ、な、なんで」
どぎまぎと慌て始めたホイミンの百面相を見つめながら、いつもと変わらぬ調子で話を続ける。
「はは、見てれば分かるよ。だけどそうだね、君とあの人だったら子供は生まれないなぁ」
まるで明日の天気の話でもしているかのような、軽やかな口振り。ホイミンは否定されないことを嬉しく思うと同時に、言葉の重さにちくりと胸を痛めた。
「…………」
「ねえ、今みたいに一緒にいるってだけじゃだめなの? 人として好きってことではなくて?」
憧れを恋愛感情と誤認することは、人間でもよくある話だ。リュカはそれの可能性を尋ねた。
「ライアンさんってね、結構もてるから女の人が寄ってくるんだ。子供も好きだし……家族が出来て、そこにいつまでもぼくがいたら、変でしょ……」
話すうちにホイミンの口元がへの字に歪み、潤んだ空色の瞳から涙が溢れた。
「ぼく、人間になるなら女の人が良かった……」
枕へ突っ伏してくぐもった声でそう言うと、ホイミンは静かに嗚咽を漏らした。リュカは痛ましさを覚え、彼の頭をそうっと撫でて慰めた。
「君がもし女の子だったら、今頃どこかに売られてるよ。その体は君の性格に良く似合った、いい選択だとぼくは思ったけど」
ホイミスライムは基本はオスで、パートナーと出会うと一方がメスに変化するのだとマーリンは言っていた。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち