冒険の書をあなたに2
それを踏まえると、人間の男になった時点の彼はただ無邪気に喜んでいただろうと推測できる。人間も同じように片方が異性になると思っていても不思議はないのだ。
長年ライアンに会わずにいたのも、当人は恥ずかしいからと言っていたが、内心どこかで自分の想いは成就できないと知ってしまったからではないか────そう思いつき、半ば強引に引き合わせてしまったことを申し訳なく思った。
「ぼくからはこうしたほうがいいとか助言はできない。だけどひとつ言えるのは、誰かを好きになることは決して間違いじゃないからね」
そこで一旦言葉を区切ったリュカがホイミンの肩を押してこちらに向け、じっと見つめた。
「どうしても辛いなら、ぼくの国においで。人間も魔物もいっぱいいるし、寂しい思いはさせないから……考えておいて」
リュカの瞳は真っ黒なのに艶やかで、見つめられると吸い込まれてしまいそうな錯覚を引き起こす。これが彼の能力から来るものなのかと考えながら、優しい提案に笑みを浮かべた。
「うん……ありがとう、リュカさん。この話は内緒にしておいてね」
気持ちを伝える気はない────ホイミンのきっぱりとした口振りにはその意思がありありと浮かび、今後も秘めて生きるつもりなのだと悟る。
「……了解。さあそろそろ寝るよ。眠れそう?」
窓の外が時々光り、轟音との間がなくなってきた。ホイミンは身を竦めて窓を凝視し、弱々しい声で告げた。
「が、頑張る……」
無理をしているのが見え見えのホイミンに、リュカは少し笑って腕を伸ばす。
「じゃあほら、こっち寄って」
リュカの腕で引き寄せられ、彼の胸に頭を抱き込まれた。
彼の騎士を子供扱いして揶揄っているときの表情だと気付き、それでも見た目だけならこちらは成人なのにと思ったホイミンが疑問を口にした。
「……気持ち悪くないの?」
「気持ち悪いって? ああ、男同士なのにってこと? ピエールと一緒に寝てるぼくが気にすると思う?」
「思わない」
ホイミンの即答に思わず吹き出して、リュカの表情も和らいでいく。
「だろ。子分は親分の言うことを聞くべきだ。おとなしく寝なさい」
「ぼく子分なんだ。ふふ、はぁい……でもピエールさん、怒らない?」
「もう寝てるよ」
首を持ち上げて見てみれば、ピエールはリュカの背後ですうすうと寝息を立てている。
「早いなあ……」
「お休み三秒だって言ったろ。今日は挨拶もなしだよ」
実際には挨拶をしてから眠ろうとしていたのだが、会話に割り込むタイミングを逃していたのだった。
ホイミンはそろりとリュカの胸元に耳を当てた。
とくとくと規則的な心音と体温が雷の恐怖から遠ざけ、やがてとろとろと瞼が落ちていく。
彼がまだ魔物だったとき、ライアンの外套に包まれ腕の中で眠ったことを懐かしく思い出し、鼻の奥がつんと痛んだ。
二人の秘密の会話は雨音と雷鳴に掻き消され、嵐の夜は更けていった────
山奥の村を後にしたトルネコ親子はキメラの翼で一度帰宅したが、その翌日にはエンドールより北に位置するボンモールへ荷物を届けに出立し、そこから足を延ばして北のレイクナバを訪れた頃には、夕食の準備をし始める時刻となっていた。
武器屋から頼まれた品物を運ぶ道すがら、トルネコは隣を歩く息子へ話しかけた。
「ポポロ、家に戻っても良かったんだぞ」
大きな荷物を括りつけた背負子をものともせず、ポポロは朗らかに笑って言い返す。
「こんなに荷物あるのに、お父さんだけじゃ厳しいでしょ」
「そりゃあ助かってるが……無理しないでくれよ」
「大丈夫だって、これぐらい。それにトム爺さんにも会いたかったしさ」
懐かしい風景を見つめているポポロの顔が嬉しそうで、トルネコはそれ以上の忠告を控えた。
間もなくかつての奉公先の武器屋に辿り着き、店の前で背負子を下ろした。
トルネコの用事の間ポポロはトム爺さんのところへ挨拶に行き、店主と話す内にエンドールの武術大会の話題になった。
「なあトルネコ、聞いたか。今年の武術大会の優勝者の話!」
この時期は商談が多く、なかなか見に行ける機会がない。サントハイムとは仕事柄繋がりを持てたが、日頃から多忙な上に家庭持ちのトルネコは他の仲間とはあまり連絡を取り合えてはいなかった。
「……そういえば今日でしたか。当然アリーナ姫の連勝でしょう?」
さも当然と言った風で答えると店主はにやりと頬を吊り上げ、カウンターから身を乗り出す。
「それがな、とうとうあのお転婆姫さんを負かした男が出てきたんだと!」
「へっ……? まさか!?」
共に旅をした中で武器に頼らない実力者と見知っているだけに、にわかには信じられない様子でトルネコは頭を振った。
信じられない様子のトルネコに、店主の話は続く。
「号外まで配られたぐらいだからな……ほれ、トム爺さんの息子がさっき持って帰ってきたよ」
恐らく帰りはまたキメラの翼を使ったのだろうと想像しつつ、カウンターの上にひらりと出された号外に釘付けになる。
そこに紹介されていた優勝者は、つい先日出会ったばかりの者たちが探している人物とよく似た特徴を持っていた。
「……まさか!」
先程のまさかとはまるで意味が違っていたが、店主はアリーナが負けたことについてだと思った様子で深く頷いている。
「こ、こうしちゃいられないぞ……すみません、この号外いただけませんかね!?」
「へあっ? ああ、いいぞ。もう読んだし……」
店主が言い終わるよりも先に、号外を手にしたトルネコは大慌てで店を出ていく。
トム爺さんとお喋りしていたポポロを急かして、二人はキメラの翼でエンドールへと戻った。
トルネコはカジノ近くの路上で足を止めて振り返る。
「ポポロ、おまえはもう家に戻りなさい」
「え、お父さんは帰らないの?」
「これを見てごらん。今日の武術大会の号外だ」
手渡された号外に目を落とし、ポポロはぎょっと二度見する。
「アリーナ様が負けた……!? ウッソだろ!」
「ティミーくんたちが探している人に、似ていないかい」
ここで探し人の名前を尋ねておくべきだったとトルネコは気付いたが、とりあえず会ってみればどうにかなるだろうと考えた。
「そう言われてみれば……じゃあお父さん、今からこの人探すの?」
息子の言葉にひとつ頷き、言葉を続けた。
「例年通りなら仲間の誰かは試合を見に来ている筈だからね、時間的にまだこっちにいるかもしれん」
「分かった、お店のほうは任せておいて。キメラの翼はまだあるよね?」
ポポロは母ネネに似て、少しうっかりしがちなトルネコのサポートに慣れている。
トルネコは鞄を探ってキメラの翼の在庫を数えてから答えた。
「ああ、手持ちはまだ十分ある。お母さんに、遅くなるかもしれないからご飯は要らないと伝えてくれ」
「はいはーい」
そうしてポポロと別れたトルネコは酒場へと歩き出す。
昨年店に訪れたサントハイムの面々からは、試合の後で食事会をするという話を聞いていた。
このエンドールで食事処と言えば酒場のひとつしかなく、まずはそこに当たりを付けた。
気さくな店主に尋ねると確かに会食があったと言う話だったが、店内にそれらしき人影はなかった。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち