冒険の書をあなたに2
こくりと頷きを返すロザリーへ、オリヴィエは柔らかく微笑みかけた。
「私は敵じゃないから怖がらないでね。ここからとても遠い場所まであんたの強い思念が届いたから、こうして来たんだよ」
優しい声に、ロザリーは手の中の粒をそっと地面に置いて、鳥籠を掴んだ。
どこにも出口のない不自然な鳥籠越しに、オリヴィエは真剣なまなざしで問いかける。
「……何で泣いてたのか、教えて」
腫れぼったい瞼でもまだ大きな瞳から、涙が流れ落ちた。
肌から離れた瞬間、先程の赤い粒に変わってコツンと地面に当たる────涙の粒だったのかと理解したオリヴィエは顔色を変えずに、ロザリーの説明を待つ。
「……ピサロ様が。ソロ様も……」
ぶるぶると震える指先が指し示す方に目を向けると、彼女の向こうに人間の山が見え、一瞬オリヴィエの息が詰まる────叫び出しそうになったのを咄嗟に堪えたためだ。
折り重なっていたのは、殆どが人間だった。周辺に武器や防具が散らばり、血に塗れた者たちの中に見知った姿を見つけてしまった。
導かれしものたちを始めピサロ、魔物たちもみな息絶えていた。そして────彼が一番良く知っている守護聖たちまでも。
惨い状況に言葉を失っているオリヴィエに、ロザリーが声をかけた。
「ここにいては危険です。どうか早く逃げてください」
か細い声で嘆願するロザリーに、オリヴィエは顔を強張らせながらも頭を振る。
「心配してくれるんだ、優しいね……でも、悪いけど遠慮しておくよ」
オリヴィエはそうっと己の手を伸ばし、ロザリーの涙を拭って言葉を続けた。
「ねえロザリー。ここはあんたの夢の世界だって言ったら、信じてくれる?」
「……ゆめ?」
きょとんとした顔のロザリーへ、オリヴィエは柔らかく微笑む。
「そ。だからあんた次第でどうにでもできるよ……目を閉じて、あんたの好きな場所を思い出してご覧」
ロザリーは言われるがまま、そろりと瞼を閉じ合わせる。
彼女を中心に闇を押し退けて花畑が広がっていくのを目に捉え、オリヴィエが次の指示を出す。
「ん、いい子……じゃあねえ、檻から手を離して想像してみて。この鳥籠、本当はとっても綺麗な花のアーチだって」
目を閉じたままロザリーが小さく頷いた。瞬く間に鳥籠は錆びついて脆く風化し、新たに薔薇が絡みついた。
「あんたの彼氏も知り合いも、皆ピンピンしてる筈だよ。さっきのはきっと見間違い……」
ロザリーは眉間に強くしわを寄せ、両手を組んで必死に祈っている。
その効果か、降り注ぐ美しい光とともに倒れていた者たちが次々と立ち上がるのを見て、オリヴィエは安堵に満たされ微かに息を吐く。
「さあ、目を開けて確認してみたら?」
恐る恐る目を開けて振り返ったロザリーの頬に、さあっと朱が差した。
ロザリーの知る優しき人々が皆、穏やかな笑みで手を振っていたからだ。
両手で口元を押さえていたが、喜びを隠し切れない様子のロザリーはぱっとオリヴィエを見上げた。
「ほらね? 嫌なことは『なかったこと』にできるのさ……ここはあんたの世界なんだから、何だってできる。悪い夢なんか見るだけ無駄じゃない?」
こくりと頷くロザリーの背後に、遠目にも目立つ長い銀髪の男、ピサロがこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
「さぁてと、危ないからちょーっと下がっててね」
明るくそう話しながら誘惑の剣を抜き、脆い金属ごと薔薇の茎をすっぱりと切った。
「出ておいで。もう自分の足で歩ける筈だよ」
ロザリーを呼ぶピサロのもとへ、彼女はそれはそれは嬉しそうな顔で駆け寄っていく。
途中でふと足を止めて振り返り、深々とお辞儀をしたロザリーへオリヴィエが訊ねた。
「最後に教えて。さっきの悪夢を仕組んだのは、誰」
彼女の言葉を耳に残し、辺りは再び一面の闇に覆われる。
「夢の守護聖に喧嘩を売るとは、いい度胸してんじゃないの……きっちりお返ししてやんないとねぇ」
前髪を後ろに流し、長い睫毛の下の瞳には怒りが浮かぶ────悪夢がもたらすネガティブは彼のポリシーに反するものであり、彼自身と司るサクリアを侮辱するに等しいのだ。
「って言っても、まずはここから出ないことにはどうしようもないか」
道らしき道もない暗闇の中で、今しがた手に入れた情報を脳内で反芻したオリヴィエは、脱出を試みて当てもなく歩き始めた。
小鳥たちが賑やかしく囀り、餌を求めて飛び回る朝。
グランバニア勢は先に朝食の準備に出て行き、残った守護聖たちはやがてオリヴィエに異変が起きていることに気付いた。
ルヴァの顔には焦りが浮かび、背を伝う嫌な予感を振り払うように、一向に目を開けないオリヴィエに呼びかけ続けていた。
「オリヴィエ! 目を覚ましてください、オリヴィエ!!」
落ち着き払ったいつもの態度とは程遠い地の守護聖に動揺し、周囲の守護聖たちにも緊張が伝播する。
額から滲み出た汗をそのままに、険しい顔でオリヴィエを見ているルヴァの肩を、クラヴィスが押さえた。
「これ以上揺すらぬほうがいい。何があるか分からん」
「そ……そうですね。私としたことが……すみません」
入れ替わってオスカーが跪き、呼吸と脈拍を確かめる。
「……呼吸にも心音にも乱れはないな。植物状態と言ってもいい」
取り乱すルヴァと落ち着いたオスカーを、マルセルは不思議そうに眺めた────日頃の仲の良さ具合で言えば、彼らの反応は真逆だからだ。
聖地から現在に至るまでの情報量の差から来る、危機感の違い────ルヴァは全体をある程度把握して、頭の中では既に幾つもの異変が点から線になっている。
そして、日頃の親密度の違いから来る信頼度も合わせると、この二人の反応はさして不思議でもない。
オリヴィエをよく知るオスカーの中では「あいつのことだから自力で何とかするだろう」という、ある種楽観的な信頼があるのだ。
化粧を落とした端正な素顔が石膏像のようで、余計に不安を煽られる。ルヴァは眉尻を下げて口を開いた。
「昨日まで、あんなに楽しそうにしていたじゃありませんか……眠っている間に、一体何があったんでしょう」
オリヴィエは一連の問題に早くから気付いており、ゼフェルと共にピサロとロザリーと言う人物の名をいち早く把握した守護聖だ。何か不穏なものを感じたルヴァは、知らず知らずクラヴィスを見上げていた。
ルヴァのすがるような視線に、クラヴィスはタロットを取り出した。
「昨晩、ワンオラクルでこれが出た。大きな変動が来たると……」
カードへ視線を注いだルヴァが口を開きかけたところで、外から誰かが入ってきた気配に振り返る。
建物から一向に出てこない守護聖たちを呼びに来たミネアが声をかけてきた。
「皆さん、朝食の準備ができましたけど……あら、運命の輪ですね。あなたも占いを?」
男性の占い師は珍しいと内心思いながら、ミネアの表情が緩む。
「趣味程度だ……」
ミネアの口振りに、リュミエールが興味深そうに問いかける。
「あなたも占いをなさるんですか?」
「ええ、タロットと水晶占いをやっています」
にこりと口角を上げて答えると、今度はマルセルが話に割り込んでくる。
「クラヴィス様と同じですね!」
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち