冒険の書をあなたに2
(戻ったら分かると思うわ。今はとにかくそこから出て頂戴、長居は禁物よ)
「承知しました」
聖地の要人全てを巻き込んでの時空移動以外にも、まだ何か企んでいたことがあったようだ────と勘付き、オリヴィエは半笑いで承諾する。
(知らせを貰ってびっくりしたけど……オリヴィエを閉じ込めようとするなんて、随分と大胆なことをするものね)
女王陛下の言葉に、無表情を装っていたオリヴィエの唇がぴくりと動く。
「知らせ、って……」
思わず漏れた言葉にはっとなり口をつぐんだが、アンジェリークはいつもの様子で答えた。
(それも皆さんが戻ったら種明かししますから、無事に帰って来てね。どうか怪我のないように)
「お心遣い痛み入ります……それはそうと、陛下。一つお知らせしたいことがあります」
(なあに?)
神鳥の姿で小首を傾げているのが可笑しくて、オリヴィエはこほんと小さく咳き込んだ。
「イゴー……夢の守護聖とロザリーを閉じ込めようとした者の名です。そちらで何かの手掛かりになれば」
(ありがとう、調べてみるわ)
そうして神鳥がオリヴィエの周りを飛び回り、それからゆったりと羽ばたいていく。
神鳥から放たれる金色の光に包まれた途端に重苦しさから解放されたオリヴィエは、道案内に従って勢いよく駆け出した。
リュミエールは眠り続けるオリヴィエの傍らに座り、枕元に置いた水晶球をぼうと見つめた。
外はすっかり暗雲が立ち込めて、強い風に嬲られた雨粒が激しく家屋を叩いている。
交代で様子を見ていたマーニャは、ミネアから何かを言付けられた後にどこかへ出かけたため、現在はリュミエール一人でオリヴィエの看護を請け負う。
(……一体何が起きているんでしょう)
心の中で名付けようのない感情がごちゃ混ぜになり、リュミエールは気持ちの置き場所を探し出せないままだ。
戦いの後で降り始めた雨を避けようとオリヴィエをソロの自宅へ移動させてから、預かった水晶球が突如輝き出した。
女王陛下のサクリアは日をまたいでも未だ枯れることなく水晶球から満ち溢れ、とどまることを知らない。
途中クラヴィスに意見を訊きに行ったものの「そのまま近くに置け」とだけ言われて現在に至る。
室内には他の面々が自由に過ごす中、オリヴィエから低い呻き声が上がった。
「……う……っ」
気付いた全員が身を乗り出して、オリヴィエの様子に注目する。
「んんっ……」
人形のようだったオリヴィエの顔に苦悶の表情が浮かび、マルセルが大きく目を見開いてオスカーへと話しかける。
「オスカー様、オリヴィエ様が……!」
マルセルの言葉にはこくりと頷くだけで、オスカーは室内に異変がないかをくまなく観察する。
シンシアがさっと立ち上がり、水差しからグラスに水を注ぎ入れる。
「目覚めるかも知れないわ」
そう言って明るい期待に彩られたまなざしを向け、リュミエールもまたほっとした様子で笑い返す。
「…………はっ……!」
大きく息を吸ったオリヴィエがぱちりと目を開けた。
現在地を確認するように眼球を彷徨わせてから身を起こし、傍らで心配そうに覗き込むリュミエールと目が合うと、ゆるりと頬を上げた。
「……ハーイ。おはよ」
「オリヴィエ……!」
感極まりうっかり渾身の力を込めたリュミエールの抱擁に、オリヴィエが苦しさを訴えてばんばんと背を叩く。
「ちょ、くるし……!」
オリヴィエの必死のギブアップに周囲からは笑いが起きていたが、オスカーがようやく止めに入る。
「窒息するぞ、リュミエール……その辺にしておけ」
「は……も、申し訳ありません。少々力が入ってしまいました」
リュミエールが腕を緩めた途端、オリヴィエが軽く咳き込みながら呼吸を確保する。
「鯖折りされるかと思ったー……」
八の字眉のリュミエールからそっと手渡されたグラスの水を一気に飲み干し、片手で髪をかき上げる。
「はー、体に沁みるわー。ありがと」
オリヴィエはゆっくりと視線を動かして、一人一人と視線を交わした。
「ただいま。心配かけてごめん」
いつもの軽さを引っ込め真剣な声でそう告げると、静かに姿勢を正して頭を下げる。
その殊勝な姿をふっと鼻で笑い飛ばしたオスカーが軽口を叩き始めた。
「極楽鳥がおかしな態度なんか取るから、今日こんな天気なんだな。で、何か収穫はあったか?」
「収穫ねー、あったあったー。できればルヴァに話したいんだけど?」
オリヴィエはきょろきょろと見回してルヴァを探すが、その姿が見当たらないため、リュミエールに視線を移して問う。
「ルヴァ様は今、一足先にバトランド地方へ向かっています。わたくしたちは後から合流という話になりました」
リュミエールの説明に続き、ミネアも口を開いた。
「姉もまだ戻りませんし、しばらくはここで足止めですね。そろそろ戻ってくるとは思いますが」
二人の話にオリヴィエがもう一度室内を見回す。
「そう言えばあの子も見当たらないね。出かけちゃってるんだー、雨脚凄いけど大丈夫かな」
「ご心配なく。私たちは旅慣れていますし、トルネコさんに言われて雨具を着込んでくると思いますよ」
姉妹を連れてきたトルネコは自宅へ戻っているため、オスカーは不思議そうに首を傾げた。
「あの商人のところへ? なんでまた」
「……私たちの武器と防具を用意して貰ってます」
ミネアの言葉に守護聖たちの表情が一斉に強張る中、言葉は更に紡がれる。
「私たちは勇者ソロの元に導かれた仲間。ソロの子孫の危機であるなら、今の時代で私たちにも手伝えることがあるでしょう」
騒々しい雨音を背景に、ミネアのきっぱりとした口調がまるで結界のように室内を満たす。
言葉の中に、目に見えるものから見えぬものまで全て見通す人間だけが持つ妙な説得力を感じたオリヴィエが、くすりと口の端を上げた。
「そう言って貰えると心強いね。私たちも双子ちゃんも、こっちの土地勘はないし」
空のグラスを手中に握るオリヴィエのまなざしが、きりりと引き締まる。
「マーニャちゃんが戻ってくるまで、私が経験したことを話すよ。ちょっとびっくりな出来事もあったんだ」
そうしてオリヴィエがぽつぽつと語り出す中、雨は変わらず降り続いていた────
リュカとの合流を急ごうと出立したルヴァたちは、先にライアンが出仕していないかを確認しにバトランド城を訪れていた。
ソロが兵士の一人を呼び止めて問うと、落ち着いた様子でライアンの不在を告げられ、一行は城下町まで戻ってきた。
「非番じゃしょうがないな。んじゃ家に向かうかー」
ソロはそう言って肩を竦め、空を見上げる。
辺りは灰色の雲が覆い、今にも降り出しそうな湿った風が吹き始めている。
てくてくと城下町の外へ向かって歩く途中、ティミーがふと道具屋に目を留める。
一見すると店主と客が会話している光景だったが、ティミーは怪訝な顔で隣のポピーを呼ぶ。
「ねえポピー、あれ見て。おじさんの持ってるの……」
顔を寄せて声を潜める兄に、ポピーはうっすらと警戒しながら指差す先へと目を向けた。
そしてすぐにティミーと同じく怪訝な表情を浮かべ、二人は目配せをして頷き合う。
「……空飛ぶ靴だよね、あれ」
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち