冒険の書をあなたに2
大股で水たまりをひょいひょい避けながら、視線をルヴァへと向けた。
「はい?」
ちらと横目で視線を合わせてきたルヴァの返事に、そのまま話を続ける。
「昨日さ、早く合流したいって言ってただろ」
「ええ、確かにそう言いましたね。歩きながらで良ければ説明します」
宿屋に入る際、ルヴァが険しい表情のまま押し黙っていたことを思い返し、ソロと双子が頷いている。
「単純な話ですよ。リュカならデズモンを知っているであろう点と……城がどこにあるのか不明ですが、別の実験をしていると言いかけていたのが気になりましてね」
ルヴァの青灰色の瞳がしっかりとソロを見つめ、彼にしては低い声で言葉は続く。
「恐らくは、人の子を何らかの実験台にしている……と、私は考えています」
そう言うと口元をきつく引き締め、視線を俯かせた。
昨日ルヴァが急ごうとしていた理由の一つに挙げられるが、ソロの認識とのズレ────彼の言った「被害」の範囲は「今現在街で暮らす人間」が対象だったのだが、ルヴァの考える「被害」とは「どこかで実験材料にされている新たな生命の可能性」までを含んでいる。かといってあの場面で押し切れるほどの説得材料はなく、ただ気持ちばかりが焦っていたのだった。
重苦しい静寂が場を支配する中、ソロが小さく話し出す。
「心配するな。城の場所なら、アタリはついてる」
住む地域や生い立ち、旅の目的もバラバラだった仲間を纏め上げていたソロには、ルヴァの焦燥はお見通しだった。その上でやや強引に休息を申し入れたのには、この先いずれ向かう場所が生半可な気持ちでは入り込めない危険性を示唆している。
落ち着いた口振りに二人の視線が再び重なり、どちらからともなく頷き合った。
「それでしたら尚更、合流して情報を出し合ったほうが得策でしょう」
「そうだな」
そんな会話を聞きながら水たまりを避けて歩いていたポピーがぬるりと足を滑らせ、咄嗟にティミーにしがみつきつつ話に入ってきた。
「あの……こんな泥だらけの足でおうちに入っちゃだめですよね。洗えるところがあるといいんだけど……うわぁ」
今度は道幅いっぱいに広がり避け切れない大きさの水たまりを前にポピーはぴたりと足を止め、それに気づいたティミーとソロが苦笑して片腕を差し出す。
二人の腕にぶら下がったポピーは両足を上げて水たまりを回避した。一方、男性陣は観念して水たまりの中をゆっくりと進む。
「ありがとうございます、ソロさん」
微笑んで礼を言うポピーに、ソロは頬を緩めている。
「いいよ別に、礼なんか……水桶ならライアンが持ってくるだろ。家にいればの話だけどな」
「父もいるといいんですけど……」
何事もなかったようにソロと会話を続けるポピーをティミーが凝視する。
「えっ、ぼくには一言もないの」
唇を尖らせて不服そうなティミーのぼやきに、ポピーがきょとんと聞き返す。
「ん? 何か言った?」
「べっつに!」
ティミーの機嫌が少し斜めになったことには気づいたものの、ポピーは特段気にすることもなく歩き続けた。
しっとりと濡れた森の香気にもすっかり慣れた頃に石造りの家が見えて来て、ソロがそちらを指差して振り返った。
「着いた。あれがライアンの家」
そう言って小さく笑んだソロが扉を乱雑に叩いてライアンを呼ぶ。
「おーい、ライアーン。ソロだけど、いるかー?」
ソロの呼びかけに室内から慌ただしい足音が聞こえ、扉が小さく開いた。
ライアンにしては静かな開け方だと思ったソロがぐいと扉をこじ開けると、さらりと揺れる蜂蜜色の長い髪が目に飛び込んでくる。
「……あれ? あんたは……」
整った顔に不釣り合いなほど真ん丸に見開かれた空色の瞳が、ソロの視線と重なる。
「ご、ご無沙汰してます。あの、ぼく、ホイミンです」
「……久し振りだな。なんだ、やっぱり知り合いだったのか。ライアンいる?」
見覚えはあるが思い出すのに時間がかかったのか、少しの間をおいてそう話すと、ホイミンは遠慮がちに口角を持ち上げた。
「昨晩から出仕していますけど……あっ、わた、私が留守を預かっています」
ライアンやリュカたちと過ごしすっかり一人称が元に戻ってしまい、些か慌てているホイミンとは裏腹にソロは気にする様子もない。
「ふうん。客連れて来たんだけど、入れ違いか……参ったな」
困り果てて眉尻を下げているソロへ、ポピーが声をかける。
「一旦バトランドに戻りますか?」
ポピーの声が聞こえた途端、ホイミンの背後からぱたぱたと駆け寄ってくる黒髪の少年が一人。
「ポピー様!? ティミー様も……!」
少年は緑色のチュニック姿だったが尖った耳をしており、ぱっちりと印象的な深海色の瞳だとソロが見つめた直後、彼の顔と声に覚えのあったポピーがあっと叫んだ。
「ピエール!?」
完全に人の子の格好をした姿を初めて見た双子が食い入るように視線を注ぎ、まじまじと見つめられたピエールが照れ臭そうに頬を掻いている。
「はい。すみません、このような姿で……」
兜自体は食事時に外していたので顔は知っていたが、それも旅を共にしていた数年前までの話である。ここまで衣装替えした姿を見たのは実質初めてのことだ。
一行の後方にいたスラリンが突然駆け出し、ホイミンの足の隙間からするりと室内へ入っていく。
「ピエール! ピエールだー!!」
ピエールの胸元目掛けてぴょんと飛び跳ねたスラリンを両腕で受け止める。
「スラリン! 君まで……」
「ねえリュカは!? リュカどこにいる!? 無事だよね!?」
しっかりと抱きかかえられたスラリンがふるりと身を震わせて矢継ぎ早にそう言うと、ピエールの顔が柔らかく笑みに変わる。
「ご無事ですよ。今プックルと一緒に奥の部屋にいらっしゃいますから、私が呼んできます」
ピエールが小走りでリュカを呼びに行き、その小さな背を見ていたソロが双子に笑いかけた。
「親父さんいるってさ、良かったな。ホイミン、中で待たせて貰ってもいいか?」
ソロの提案に頷いたホイミンが中へ入るように手で仕草を取った。
「皆さん中へどうぞ。お茶を用意します」
柔和な笑顔に促され気が緩んだのもつかの間、ソロははっとして一同を止めた。
「あー待って待って、先にこれ落としたいんだけど」
足元を指差し、それへと視線を落としたホイミンが靴の惨状を見てわあと情けない声を出し、それから気恥ずかしそうに小さな咳をした。
「……はい。すぐに桶をお持ちしますね」
洗い桶が用意され、一行は各自靴の泥を丁寧に落としてから室内へ入る。
温かい茶をそれぞれの前に置いたホイミンが、ちらちらと視線を散らして切り出した。
「それでソロさん、この方たちは……?」
早速カップに口をつけてふうと息をかけていたソロが、その姿勢のまま答えた。
「んー、この二人はリュカって人の子供で、そっちは友達だってさ」
「ええっ!? じゃ、じゃあ皆さんも未来から?」
「なんだ、知ってんなら話は早いな。ま、そーいうこと」
熱い茶を嚥下して一息ついていたルヴァが、穏やかな口調で話し出す。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち