冒険の書をあなたに2
デスパレス城内を彷徨い歩いていたホイミンは、冷たい石床を避けようと自然につま先立ちになりながら移動していた。
大柄の魔物があちこちにいて恐怖を覚えたものの、彼らに何か指示が出ているのか、ホイミンを見つけてもちらと見るだけで襲ってはこない。
ライノソルジャー二匹の前を通り過ぎたとき、ホイミンの頭上から声が降ってくる。
「こいつか? 二人目の人間は」
「元魔物と聞いたが……スライム臭いやつだな!」
「一人目は最近見ないよな」
「地下牢に入れられたらしい。何をしくじったか知らんが」
ライノソルジャーたちは人間には分からない魔物特有の周波数で会話していたのだが、ホイミンは聞こえていないふりをしながらしっかりと会話の中身を頭に叩き込み、そのまま通過した。
(誰か捕まってるのか……地下牢、どこにあるんだろ。助けてあげないと)
彼らから離れたところで柱の陰に身を潜め、緊張の糸を解く。
早鐘を鳴らす心臓をなだめているうち、通路の先から子供の泣き声が聞こえてきた。
泣き声は徐々に近づき、角を曲がってこちらへ向かってきた────ミニデーモンだ。
グスグスしゃくり上げながら歩いてくる姿を観察すると、片手に遠目にもわかるほどの傷ができていた。
「あっ……ねえ、君」
思わず声をかけたホイミンに、ミニデーモンはさっと顔色を変えて武器の巨大フォークのような三叉槍を構えた。
「あああごめん、何もしないよ!」
ホイミンが慌てて両手を上げ降参の姿勢をとると、怪訝な顔のまま武器をゆっくりと引っ込める。
「何だよ」
話くらいは聞いてくれそうな雰囲気に、ホイミンは少しだけ表情を緩めて話しかける。
「……手、怪我してるよね。治せるかもしれないから見せて」
恐る恐る差し出された片手────紫色の手袋には血が滲み、大きなカギ裂き状に破れている。
ホイミンは彼が痛がらないように細心の注意を払いながら手袋を外していく。
出血の多さの割に傷口はそれほど大きくもなく、これなら治せそうだと胸を撫で下ろし、ホイミを唱えた。
傷口が塞がったのを確認してから手袋を返す。
「はい、これで治ったよ。その手袋は洗ったほうがいいね」
ミニデーモンはにこにこ顔のホイミンと痛みの消えた手を交互に見比べて、困惑した様子で口を開く。
「……へんな人間」
「そうだね……元はホイミスライムだからかな?」
「ふーん。じゃあおまえも進化の秘法使われたのか」
も、と聞いてぴくりとこめかみが動いたが、そのまま話を合わせる。
「んー……まあ、そんなところ」
「ホイミスライムは絶滅するって話だからな、おまえは運がいいぞ」
「え……? ちょ、ちょっと待って。それどういうこと?」
「今、魔物の統廃合が進んでるんだ。不必要な種族は統合させて新種に変えたり、素材にしていくんだと。ホイミスライムは素材に────」
言い終わる前に、ミニデーモンの肩をがしっと掴む。
「その話、詳しく教えて」
ミニデーモンから詳細を聞き出せたホイミンは、いてもたってもいられずにとある部屋の近くにやって来た。
通路から顔を出して様子を窺うと、扉の前で一匹のアームライオンが見張りをしている。
(あの部屋かな……勢いで来ちゃったけど、話しかけるのは怖いなあ……)
こちらの唐突な質問にもするすると答えてくれた気立てのいい子だった、と先程の出会いを思い返す。
しかし彼の口から出てきた衝撃の事実は、石か何かで頭を殴られたような眩暈を引き起こした────現在何かのアイテムを作る素材としてホイミスライムが乱獲されており、そう遠くない未来に絶滅するだろう、と。
友や仲間と呼べる存在はホイミスライムの中にはいなかったが、それでも会えば挨拶を交わす程度の知り合いはいた。彼らまで捕まってしまったのでは────そう考えた瞬間、ホイミンは耳に入れたばかりの情報、アイテム製造部屋目掛けて駆け出していたのだった。
さて到着したはいいがどうやって侵入を試みようかと考えあぐねていると、酷い眠気に襲われた。
(なんで、こんなときに……!?)
ぐらりと揺れた体を咄嗟に壁に押し付け、そのまま屈み込む。視界までがぐらぐらと揺れ、自分の周囲にだけ大きな地震が来たかのようだった。
ここへ連れてこられる直前、ライアン宅に入ったときに感じたものと同種の異変に、今度は心臓がバクつきだして胸をぎゅうと押さえた。
不意にあの男の言葉が蘇る────ひとつ忠告する。君はまたこの部屋へ戻ってくるよ。
明らかに震え始めた体を抱き締めながら、ふと浮かんだ恐ろしい仮説に強く頭を振る。
(まさか。まさか、そんなはずない)
しかしどんなに否定しても、拭いきれない不安が後から後から首をもたげ、襲い掛かってくる。と同時に体の中から沸き起こる不快感は増す一方になり、ホイミンはとうとう呻いた。
「うぁ、ぁあ゛……ッ!」
声に気付いたアームライオンがこちらを向き、一瞬驚いた顔を見せたもののすぐに近づいてくる。
応援を呼ばれる前に、逃げなくては────既に力の入らない膝を叩いてどうにか立ち上がったホイミンが、アームライオンを見た。
「誰だ貴様は! ここで何をしている!」
今にも鋭い爪で襲ってきそうな怒鳴り声に、敵ではありません、と叫ぼうとした。
大きく息を吸い込み言葉を発したつもりが、口からは炎が溢れ出し、目の前にいたアームライオンを丸呑みにした。
「ギャアアアアアアア!!!」
「ひっ……!」
いきなり全身を炎に焼かれたアームライオンの叫びに、そして己の口から吐き出された炎にも驚き、ホイミンは両手で口元を押さえた。
目の前で黒焦げになったアームライオンに慌てて駆け寄ったものの、既に事切れてしまっていた。
まだ襲われたわけでもないのに、一方的な殺戮行為をしてしまった────悲しみと恐れが入り混じる感情に胸を塞がれ、両目から大粒の涙が零れた。
少しずつ砂に変わっていくアームライオンの亡骸を見ていられず、ホイミンは心の中でひっそりと謝罪を繰り返しながらそっとその場を離れ、彼が守っていた部屋の扉に手をかける。
部屋の中に入ってすぐ、薄暗い室内の半分以上を埋め尽くす巨大な水槽に目を奪われる。
水槽の中には青い液体が満たされているが、中に何かが入っている様子は見えない。大人一人がようやく通れるほどの狭い通路は部屋の奥へと続き、行き止まりで丁字路になっているようだ。
忍び足で進んでいくとほんのりと明るむ奥から聞こえてきた幾つもの声に、足を止めた────否、足が凍り付いた。
「いやだ、家に帰してくれ! 死にたくない! ひぃぃい!」
「あの人間を呼んでよ! 何でこんな目に遭うの!? 私たちが何をしたというの!!」
「子供だけは、どうか、どうか助けてください……!」
「……」
「…………」
水槽の向こうの壁が一瞬ぼうと赤く光った直後、口々に叫んでいた悲痛な声は、それきりしんと静かになった。
赤く光った際、壁面に伸びた影を見てしまったホイミンの背筋に、恐ろしい戦慄が走る。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち