冒険の書をあなたに2
「お若いの……賢者の石について、聞いたことはあるかな」
長の言葉に小さく頷きを返す。
「あ……はい。妖精族が作っていると」
「妖精族が作っているものは未加工の魔石でな、石自体に強い魔法力があってとても強固なものだ。死期の近いホイミスライムの中から志願した者が入って出来上がる」
「そうなんですか……」
老ホイミスライムは青い宝石をひとつつまみ上げ、ホイミンの手の中に置く。
「それに引き換え、見てみなさい、この綺麗な八面体を……これは人工結界石。我々を圧縮し、強制的に閉じ込めるためのものだ」
長老の言葉を聞きながら、ホイミンはじっと水槽を見上げ、ゆっくりと話し出す。
「……この水槽と変な機械も、壊したほうがいいですか?」
「是非そうしてくれ。これがある限り、我々はまた捕まってしまうだろうから」
石を元の場所に戻したホイミンはライノソルジャーの斧を手に取り、躊躇うことなく水槽を叩き割る。
青い水が硝子の隙間から漏れ出てくる。続けて二度、三度と斧を当てた。
水浸しになった床の上に幾つもの塊が点在しているのが視界に入り、足を滑らせないように気を付けながら近づく。
「……頭かな」
両手で持ち上げると、体液が流れ出てひも状になった触手がだらりと垂れ下がる。
「ホイミ!」
ものは試しにと回復呪文を唱える。唱えた本人を含め、その場にいた誰もが無理だろうと諦めていた────僅かな輝きとともに触手が元に戻るまでは。
「生きてるよ!」
嬉々としたホイミンの声に、遠巻きに見ていたホイミスライムたちが一斉に歓声を上げかけて、慌ててしいっと口を押さえ合っている。
素直に嬉しさを表したいけれど、敵を呼んでは元の木阿弥だからと小さなガッツポーズで喜んだ。
そしていつの間にか、ホイミンの周りに全員が集まっている。
ホイミンは額に浮かんだ汗を手の甲で拭い、周囲のホイミスライムたちに呼びかける。
「……みんなもホイミしてあげて。全員でやれば早く逃げられると思う」
そうしてホイミンが部屋中の水槽と変換装置を破壊している間に、ホイミスライムたちが息も絶え絶えの仲間へとホイミをし続けた。
回復が進むにつれ立ち直った者たちも救援側に回り、即席の流れ作業は順調に進んだ。
不思議なことに、これほど大暴れしているにもかかわらず敵側の動きが全くない。
ホイミンとしてはあまりにも不自然すぎて何かの罠の可能性を感じたが、それよりも同胞の救出を目指す。
「あとは、これだけか」
山積みの賢者の石を前に、ホイミンは額の汗を拭った。
「あの中で生きてたってことは、こっちでも圧縮されてるだけかもしれない……」
手のひらに乗せた石に視線を落とし、それからぐっと握り締めた。
胡桃を割るのと同じような感覚で、硝子のような質感のそれにビシッと亀裂が走る。
更に力を込めて石を粉々にしたところ、ホイミンの期待通り、少しの水とともに瀕死のホイミスライムたちが床に落ちてきた。
「やった!」
「これで助かるぞ!」
あちこちから聞こえる声は希望に満ち、すっかり気を良くしたホイミンは次々に賢者の石を破壊しにかかる。
しかし、半分ほど壊した段階でひとつの事実に気が付いた────作られて間もない賢者の石からは数匹のホイミスライムが救出されたが、下に埋もれた石からはただの水だけが出てきたのだ。つまり、時間が経過すればするほど水と同化してしまうということなのだろう、とホイミンは考えた。
その後残り十数個となったところで部屋がすし詰め状態となり、そろそろ脱出を図らねばならなかったが、壁に穴を開ければ流石に敵側も気付くだろう。いよいよ時間切れとなれば、残りはもう捨ておくしかない────そんな苦渋の決断を前に、長老がホイミンに労いの言葉をかけた。
「もうよい、あなたは十分に力を尽くしてくれた。感謝してもし足りないほどだ」
優しい言葉につんと鼻の奥が痛む。
「……でも、まだ、まだ誰か生きてるかもしれない……!」
最後まで希望を捨てたくないホイミンは潤んだ空色の瞳ですがるような目を向けるが、長老はゆっくりと頭を振った。
「もう十分だよ。底に残っていた石には、誰も残ってはいなかった。可哀想だが力尽きてしまった者はどうすることもできまいよ」
「そんな……」
両手で顔を覆い悔しそうな声を絞り出したホイミンへ、長老がぽんと肩を叩いて慰めた。
「我々はあなたを忘れない。生きている限り、偉大なる英雄として後世へと語り継ぐだろう。そう悲しまなくてもよい」
両手の指の隙間から、悔し涙が一筋流れ落ちた。強く強く噛み締めた唇は、せり上がる嗚咽と悔しさを飲み込み震えている。
救出されたホイミスライムたちが気遣わしげに見守る中、静寂に満ちた刹那の時を経て、ホイミンはゆっくりと顔を上げた。
ミニデーモンから情報を得て辿り着いたこの建物は、かつては宝物庫のあった場所だ。
一階部分が増設されており、地下の宝物庫を通って奥の階段を上った先にこの部屋はある。
脱走防止の意味もあったのか通路は細く迷路さながらに入り組み、階段のある広間と実験部屋は壁で仕切られ、扉や階段の前に見張りを置くだけで格段に逃げ辛い仕組みになっている。
元来た道を引き返すルートでは追手と遭遇する────そう考えたホイミンは城の警備兵から死角になる方角の壁の前に立ち、背後に集まったホイミスライムたちへ声をかける。
「……ここの壁を壊すから、出られそうならすぐに逃げてください」
長老が穏やかな声で問いかけてくる。
「あなたはどうするのかね?」
「ぼくは……」
もう戻れない、と言いかけて言葉に詰まり、咄嗟に頭の中で言葉を探し出した。
「……ここに残ります。敵が出てくるかもしれないし」
何かの決意を秘めたまなざしを受け、長老が壊し損ねた賢者の石をひとつ手渡してくる。
「それなら、これを持っていきなさい」
頭を振って受け取ろうとしないホイミンの胸元に無理やり押し付けると、ようやく手の中に収めた。
「犠牲になった者たちの魂はここに在る。あなたが持つなら、彼らの死は無駄にはならんよ」
引っ込んだと思った涙が目の端に滲み、ホイミンはもう一度大きく頭を振る。
「で、でも……ぼくには使えません」
「無理に使えと言っているわけではないよ。形見として受け取ってくれればいい」
「そ、れなら……はい」
押しの強さに根負けして、両手でひんやりとした石を抱き締めた。
「必要と判断したら遠慮はいらない。しっかり役立てて欲しい……それが彼らへの弔いになるから」
長老の言葉に首肯し、複雑な思いを抱えながらも僅かに口角を上げた。
気絶しているライノソルジャーから腰の布袋を取り外し、賢者の石をそこにしまい込む。布袋は大きく紐も長すぎたため、やむなく肩から斜め掛けにした。
それから落ち着いた様子で壁面へと向き直ったホイミンは、目を閉じて意識を集中させる。
沸々と体の内側から溢れ出るような熱感を右腕に集め、ぐっと拳を固めた。
「やぁっ!!」
呼吸を整えて一撃を叩き込むと石壁は大きな音を立てて崩れ、新鮮な外気が流れ込んできた。
外の様子を窺い、敵がいないことを確認したホイミンが片手を上げて合図する。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち