冒険の書をあなたに2
「今だよ。皆逃げて!」
ホイミンの掛け声に、ホイミスライムたちが続々と飛び出していく。
澄んだ青空に溶け込んでしまいそうな彼らの青色に、無事を祈りながら目を細めた。
敵が現れる様子もなく、残るホイミスライムがあと数匹となったところで、背後から声が聞こえた────ホイミンが救った子供の父親の声だ。
「ああこら、放しなさい! 逃げるよ!」
ぎょっとして振り返ると、子供がライノソルジャーBの近くに転がり落ちていた赤い石を抱え込み、持ち出そうとしているのを父親が必死で止めている。
「おとうさん、これ、だめだよ」
「いいから! 置いて!」
焦った父親が捨てるように促すも、子供はなぜかぎゅっと抱え込んで放そうとしない。
「これ光ったら、みんな動かなくなったもん」
「……!」
子供の発言にホイミンは驚異の目を瞠り、詳細を訊こうとした矢先にぬうっと大きな影が視界に入った。
そちらに意識を向けるよりも早く、何かに弾かれた体が壁面にぶち当たり、何が起きたのか理解できないまま激痛が体を駆け抜けた。
「いっ…………た……!」
口の中に広がる鉄の味で口内を切ってしまったのだと気付いた。強く打ち付けた肩から先に力が入らず、腕をだらりとぶら下げた状態でどうにか立ち上がる。
いまだチカチカと光が入り乱れて定まらない視点で目を凝らす。
父子のほうへと近づいていくライノソルジャーを見て、心臓がばくんと飛び跳ねた。
「そいつを返しな……オモチャじゃねえぞ」
子供はドスの利いた声に怯えながらも赤い石を放さないため、父親が石ごと子供を抱えて遠ざかる。
「そんなに気に入ったか? だったらよく見てみな。中に何がいるのか当てられたら、くれてやる」
幾分か優しげな声音で言うライノソルジャーに、親子は訝しげな目を向けた。
「見るな!! 見ちゃだめだ!」
何かの罠だと勘付いたホイミンが叫ぶものの、子供は好奇心から恐る恐る赤い石に視線を落とす。
たちまち、赤い石が怪しげな光を放った。
「ぁ……あ……っ!」
小さく叫んだ子供が小刻みに痙攣を起こし始め、すぐにぐったりと力を失う。
「ホミレイ! ホミレイしっかりしなさい!」
浮力を失った我が子と石の重みでぐんと床に落ちそうになった父親が、幾度も子供の名を呼びながら子供の抱えた石だけでも叩き落とそうと奮闘するが、なかなかうまくいかない。
そこへニヤニヤと嫌な笑いを口の端に浮かべたライノソルジャーが歩み寄る。
「くっ……来るな!」
子供ごと手放せば余裕で逃げられる距離だったが、大切な我が子を見捨てるものかと強く抱き締めた。
そうして父子とライノソルジャーが対峙している間、ホイミンは負傷した体が徐々に回復し始めていると気付き、眉間に深いしわを寄せた。
(やっぱり……ぼくは、もう)
自嘲気味に心で呟いて、血液混じりの唾を吐き捨てる。
「ホイミンさん!」
父親の声にはっと意識を取り戻すと、彼が決死の表情でライノソルジャーの足の間を潜り抜けてきた。
長い触手を精一杯伸ばし、子供をホイミンのほうへと投げ飛ばす。
「この子を頼みます!」
ホイミンが赤い石を抱き締めたままの子供をどうにか受け止めると、視界の端でライノソルジャーが足を持ち上げているのが映った。
助ける間もなく、鈍い破裂音がホイミンの耳を嬲った。
大きな足にあっけなく踏み潰された父親の体液が、じわりとライノソルジャーの靴底を濡らす。
今起きた出来事が余りにも信じ難く、呆然とその染みを見つめたホイミンが喉から掠れた声を絞り出した。
「な……にしてんだよ」
先程の仲睦まじい父子の姿が目に浮かび、喉の奥が鈍く痛んだ。
ライノソルジャーはそんなホイミンを鼻で笑う。
「何って、雑魚をうっかり踏んじまっただけだよ」
「なんだと……ッ!」
感情が暴走しそうになった途端に肺の辺りがゴロゴロと鳴る。
アームライオンを一瞬にして黒焦げにしたときと似た感覚に、ぐっと口元を抑えた。
荒く吐き出した息が熱い。
(だめだ、気をしっかり保たないと……飲まれる!)
腕の中で石を抱き締めぐったりしている子供、ホミレイをちらりと見た。
全身が僅かに震えていて、見開かれた目で何かを訴えかける視線がホイミンを捉える。
(……麻痺?)
先程から見た事象と重ねると、恐らくはこの赤く透き通る石が捕らわれたホイミスライムたちの動きを奪ったのだろうと推察できる。
このまま敵側に持たせておくには危険な物と判断し、ホイミンはライノソルジャーを睨む。
だがホミレイを床に下ろした場合、もう一匹のライノソルジャーの手に落ちれば命はない。かといってこうして抱きかかえたまま戦えるほど、戦闘に長けてもいない。
「スカラ!」
ライノソルジャーは守備力を大幅に上昇させる呪文を唱え、ホイミンは厄介なことになったと唇を噛む。
どうするか────逡巡するうち、閉ざされていた扉が大きな音を立てて吹き飛んできた。
ひしゃげて外れた扉が巨大な壁になってライノソルジャーにぶち当たり、堪え切れずに数歩よろめいている。
扉の中央に小さく青い塊が見えた。その塊が扉から離れた途端にごうと大きな音がして、炎が真っ直ぐにライノソルジャーへと向かう。
「ぎゃあーーーっ!!」
炎に包まれたライノソルジャーの悲鳴が響き渡る中で、ホイミンは何が起きたのかと炎の出所を辿った。
小さな青い塊がぼよんと大きく飛び跳ねて、ホイミンの前へ着地する。
「ホイミン! 大丈夫かい!?」
「スラリン!」
小さな体で巨体のライノソルジャーをも圧倒するほどの力量を見て、流石はリュカの仲間だと感嘆する。
続いて駆け込んできたピエールが、全身から黒い煙を立ち昇らせているライノソルジャーへと真っ直ぐに向かっていった。
「スラリン、援護を頼みます!」
「合点だ! ルカナン!」
スラリンがライノソルジャーの守備力を元に近づけ、ピエールが愛剣で二度、三度と斬りかかる。そして大型スライムのディディをバネにしてぐんと飛び上がると、落下の勢いを乗せた剣は鮮やかにライノソルジャーの厚い皮膚を裂き、首を刎ね落とした。
頭部を失くした巨体がどうと倒れた。
時を置かずさらさらと砂に変わる亡骸を前に、呼吸を整えたピエールがホイミンへと話しかけた。
「ご無事でしたか」
「は、はい。ありがとう、二人とも……リュカさんは?」
「プックルと一緒に城内の入り口へ向かっています。私とスラリンだけこちらに」
足元でスラリンがぴょんぴょんと飛び跳ね、嬉しそうに話し出す。
「間に合って良かったよー!」
ピエールの視線が両腕に抱かれたホイミスライムへと移る。
「……その子は?」
「この石が光ったら、動かなくなっちゃって……」
触手を掴み、目の光り具合などを観察したピエールは状態異常に陥っていると判断を下す。
「……ふむ。麻痺しているように見えますね。それなら」
キアリクを唱えたピエールの手から光が溢れ、すぐにホミレイがぱちくりと瞬きをし始めた。
きつく掴んでいた触手から、石が滑り落ちる。
自由になった触手でホイミンとピエールに触れ、可愛らしい仕草に二人は思わず笑みをこぼした。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち