冒険の書をあなたに2
「謝るな。あれはぼくの指示ミスだ、君は怒ってくれていい」
生真面目な性格のピエールはそれでも顔を俯かせていたが、じっと瞳を覗き込んでくるリュカに根負けして口を開く。
「……では、焼き菓子を十個くださいますか」
「ふ……そんなのでいいの? かぁわい」
ピエールの兜を外して顔周りの汚れもふき取りながらそう茶化すと、遮るもののない騎士の白い頬がかっと朱に染まる。
「ほ、他に思いつきません」
怒っていいと言われても主に口答えなど易々とできるはずもなく、かと言って何か答えなければ話を終わらせて貰えないことも知った上での提案だったが、ピエールの回答に満足げな笑みを浮かべたリュカはピエールの頬を両手で軽く挟んで首肯する。
「いいよ、十個でも百個でも用意するさ……だから全員無事で城に戻るぞ」
リュカの言葉にピエールは「御意」と一言告げ、再び兜を装備して気を引き締めた。
リュカがピエールの蘇生に挑んでいた間、イゴーは威嚇し続けるプックルに見向きもせず椅子に腰かけて本を開いていたが、リュカとピエールの様子を横目で確認すると本を閉じ、静かに立ち上がった。
途端にプックルの威嚇の声が大きくなり、普段は滑らかな毛並みが一気に逆立つ。
「……さて、君たちに質問があるんだ。もう話してもいいのかな」
イゴーは「君たち」と言ってはいたが、その視線はリュカ一人に注がれていた。
リュカは僅かに腰を落としながら剣の柄に利き手を近づけ、じっとイゴーを見据える。
「そこの騎士君は持っていなかったから、君が預かっているの?」
「……何の話だ」
「これくらいの大きなルビーだよ。母の形見なんだ、持っているなら返して貰いたい」
ルビーの大きさを身振りで示しながら言うが、リュカはイゴーの薄紫の瞳を睨んだまま答えた。
「さあ、知らないね」
「ふうん……困ったなあ……」
顎に手を当てて首を傾げたイゴーは、リュカたちをスルーしてホイミンに近づき隣に腰を下ろした。びくりと肩を震わせたホイミンへ優しげな笑みで話し出す。
「ねえホイミン、あの人だったら知ってるかな? どう思う? 知らないなら訊いて回るしかないよね」
「……!」
見開かれた瞳の奥にまた仄暗い闇が見え、ホイミンはぐっと身を寄せてきたイゴーから己を守るように、片腕で胸元を押さえた。
「君が悲しむ姿は見たくないから、やっぱりやめようと思って引き返してきたんだけど……君からも訊いてくれないか、誰がルビーを持って行ったのかって」
明るい声音で調子よく話した後、ホイミンの後頭部の髪をぐいと掴んで強引に上向かせる。
「いっ……!」
ぶちぶちと数本抜けたか千切れたか────髪を引っ張られた痛みにちりちりとした痛痒さが幾つも重なり、ホイミンは思わず呻く。
「私にとっては君以外の誰が死のうがどうでもいい。そこの子たちでも、君の想い人であっても……何なら全員死んでくれて構わない」
低い声に含まれた脅しに、ホイミンはどうしてこれ程に執着してくるのかも分からず、得体の知れない恐怖が背筋を凍り付かせた。
「……訊いてくれるね?」
表向きには頼み事の体を保ってはいたが、実質は強制────腹立たしく思いながらも小さく頷きを返すと、イゴーは満面の笑みとともに手を離して立ち上がる。
ほんの少し距離が空いた隙に、ホイミンの視線は真っ直ぐにイゴーを捉えた。
いまだ緊張に強張る体を心の中で叱咤し、両手で思い切り突き飛ばす。背こそ高いが華奢なイゴーの体は、ホイミンの力にあっさりと競り負けて数歩よろめいた。間髪容れず大きく息を吸い込んだホイミンが炎を吐き、驚いた表情のイゴーを一飲みにしていく。
ホイミンの決死の行動で生まれた僅かな隙をリュカたちが見逃すはずもなく、即座にイゴーを取り囲む。
武器を構え、既に臨戦態勢に入っているリュカ一行に囲まれながら、イゴーは呆然と立ち竦んでいる。
炎に飲まれる直前にフバーハが発動したのか、衣服と髪が少々焦げ付いた程度のダメージで、ぱたぱたと煤を落として見せた。
激しく脈打つ胸を押さえながら、ホイミンは頭を振った。
「ルビーの在り処は知らない。脅しにも屈しない。これ以上ぼくに関わるな!」
時折見せてきた穏やかさや優しさに気持ちが揺れ動かないように意識して、きっぱりと言い放つ。
「……どうして? 私と一緒にいれば、何も怖くないのに」
独り言のような声音だったが、イゴーの視線はまごうことなくホイミンを捉えていた。
「勝手に決めるな。ぼくの人生はぼくのものだ」
はっきりと拒絶を示す表情に、イゴーの視線はちらりとホイミンの膝へと移る。
「君はもう人の中では生きられないのに。その選択は後悔するよ」
シーツや服が血にまみれているが、傷口からの出血は既に止まっている。ホイミン自身もそれについては自覚していて、イゴーからの言葉と視線にぎゅっと唇を噛み、それからゆっくりと声を絞り出した。
「……世界中どこにも居場所がなくても、どう生きるかは自分で決める。あなたの側にはいたくない」
言うだけ言って、口元を引き結ぶ。
ホイミンの拒絶に何か思うところがあったのか、イゴーは僅かに下を向いた。
「君も、か……」
零れ出た呟きがピエールの耳にだけ届く。凍てつく氷のごとき無表情にふと血の通った感情が浮かんだようにも見え、先程の対峙を思い出したピエールが身構えたまま口を開いた。
「アルヴィンとは誰ですか」
ピエールの口から出てきた問いにたちまち鋭い視線が注がれたが、問いは続けられた。
「貴方は先程、私を見て『アルヴィン』と言いました。スライムナイトに知り合いでも?」
「……貴様に関係ないだろう」
切れ長の瞳がくっと細められた。憎悪が乗った視線にも怯まず、ピエールは毅然と言い返す。
「いいえ、大いに関係があります。その者が実在していて、且つ貴方に与しているのなら────騎士として、道を外した者は同胞であろうとも許すわけにはいかない」
リュカの視線がちらりとピエールに移り、ピエールもまた主に目線を返した。叩けば埃が出そうだと判断したリュカは、小さく頷いて密かに半歩詰め寄る。
「スライムナイトは今この時代には存在しない。知り合いなら、君は元々ぼくたちの時代の人なんだろう?」
「…………」
「答えないのが答えか……ピエール、吐かせるぞ。ホイミンを頼む」
「承知しました」
一方、バトランドで情報交換を終えたルヴァたち一行はルーラでデスパレスへと到着していた。
魔城と呼ばれている割にはさほどの禍々しさはなく、堅牢な扉は閉ざされたままで魔物たちが襲ってくる気配もない。
勇者ソロを筆頭に導かれし者たちが颯爽と歩くその後方で、神鳥守護聖たちの中で案の定ルヴァだけがあちこちに視線を飛ばして口を開く。
「はー、ここが噂に聞く魔城デスパレスですかー」
緊張感のないいつもの声音に、少し呆れた表情のオスカーが諫める。
「キョロキョロするなよ。気を引き締めろ」
「ええ、そうですねえ。恐らくはここが正念場でしょうから……」
おっとりとした喋りを気持ち改めてはいたのだが、それでもまだオスカー視点では絶望的に足りない緊張感に、先を行くソロたちへと顎をしゃくって見せた。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち