冒険の書をあなたに2
こほんと小さく咳払いをして、青灰色の瞳はデズモンを厳しめに射貫く。
「……幾つかお聞きしてもよろしいですかね」
声音は実に穏やかなものだったが、守護聖らしいとも言える威圧感を肌身に感じ、その恐れからデズモンが首をすくめた。
「まずはお名前とご職業を教えていただけますか」
「デ、デズモンだ。職業は……」
そこで僅かに言い淀む姿をルヴァはじっと見つめ、黙したままゆっくりと瞬きを繰り返す。
「……学者をしている」
僅かな沈黙の後、小さな声が耳に届いた。すぐに手帳を開きそちらに目を走らせているルヴァを、デズモンは怯えた目でちらちらと盗み見る。
「成る程、ありがとうございました。もう結構ですよ」
さらりと何かを書き付け、手帳を閉じたルヴァが視線を上げる。
「ラインハットで進化の秘法について調べていた学者デズモン────あなたで間違いないですね?」
問われたデズモンは俯きがちに長い溜め息を吐き、それから一度頷いた。
「もう一つ答えてください、進化の秘法の実験場は何処ですか」
逃げ道がないと理解したのか、それまでの怯えた表情がじっとりとした陰気臭い眼差しに変わる。
「……西の外れだ」
卑屈さを伴う媚びた上目遣いでそう告げると、どこか諦めたような笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「あんたたちも早く逃げたほうがいい。上には手に負えない魔物がいる」
デズモンの発言に一行は多少ざわめき、ソロが鼻で笑い出す。
「は、誰に向かって口きいてんの。もっと手に負えないのが目の前にいるんだけど」
そう言ってアリーナを指し示し、指差されたアリーナは案の定怒り始める。
「わたしーーーーッ!? ちょっとソロ、それどういう意味!」
心外だと怒っているアリーナに、クリフトも加勢し始める。
「そうですよソロさん。姫様ほど華奢で美しくたおやかな姫君はいないのに」
陶酔してそう語るクリフトへ、ソロは戸惑った声音で口を開く。
「城の壁蹴破ったりドラゴンを秒で〆る女が、たおやか……?」
大きく頷いているブライをよそに、その後も続くソロとアリーナの口論を前にして、呆気に取られた守護聖の中でルヴァがオスカーに問う。
「あー…………オスカー、つかぬことを伺いますが、あなたのご意見は?」
小声で訊かれたオスカーが僅かに振り返り、自信たっぷりに微笑む。
「うん? 全ての女性は等しく素晴らしい。か弱かろうが強かろうが関係ないだろう?」
オスカーの答えにルヴァは安心したようにくすりと笑い、オリヴィエが半目になった。
「通常運転で何よりだよ……ったく、この緊張感のなさと来たら参っちゃうねー」
オリヴィエは首の後ろに手を宛がい、ふうと息をつく。
「……ん?」
地面に視線を落としたオリヴィエがふいに顔を上げた。
「ねえ、何か音がしない?」
横目でちらとリュミエールにコンタクトを送ると、隣にいたリュミエールも気付いていたらしく、こくりと頷いた。
「竪琴の音色が、微かに聴こえるような気がしますが……」
それまで水晶球を覗き込んでいたクラヴィスも天井を振り仰ぎ、微かに眉根を寄せる。
「……地響きに紛れて聴こえているな。あまり良い兆候とは言えぬ」
クラヴィスは袂に水晶球をしまい込み、アメシスト色の瞳をルヴァへと向ける。どうするのかと言外に問う眼差しを受け、ルヴァが唇を噛んで思案に暮れる中、マルセルもうろうろと視線を這わせ、硬い声音で話し出した。
「なんだか建物も揺れてませんか……?」
不安げな言葉に、ルヴァの中にあった幾つかの選択肢がひとつに絞られる。
「このまま地下にい続けるのは危険ですね。屋外に避難、と言いたいところですが……」
話し始めて間もなく、程近い場所からピィーッと呼び笛が鳴った。
主の口笛に反応を示したディディが牢から飛び出していく。
「あっ、ディディどこ行くの!?」
一目散に駆け去っていくディディに、マルセルの声は届かない。
階段の向こうへ消えたディディはすぐに引き返してきた────血塗れの主、ピエールを背に乗せて。
「あ、ああのっピエール殿、リュカは!?」
ルヴァの声に一度顔を振り向けたピエールは、そのまま視線を戻し猛スピードで駆け抜けていく。
離れた位置でこちらの様子を監視していた魔物たちの間をすり抜け、あっという間に騎士の姿が見えなくなった頃、マルセルがキョトンと呆けた顔で呟く。
「な、何が起きてるんだろう……凄い怪我してた……」
ぱちん、と音がした。
音のする方向に視線が集まる。マーニャが扇を手の平に打ち付けた音のようだ。
「……デズモンって言ったっけ、この人。そっちで預かれる?」
少し早口でそう告げたマーニャに先程までの気怠そうな雰囲気はなく、真剣な眼差しはルヴァを射貫くように見ていた。
「え、ええ。それは勿論……元の時代に連れて帰らねばなりませんので」
気圧されながら話すと、マーニャはソロへと向き直る。
「おっけ〜。ソロ、鎖切ってやって」
「おう」
姉の背後に控えていたミネアが歩み出て、穏やかな声で話し出す。
「わたしたちは上の様子を見てきます。もう戦いが始まってるようですから」
イゴーと対面していたリュカ一行は、窮地に立たされていた。
リュカは立てるほどに回復を果たしたホイミンを背に庇い、ぜいぜいと肩で息をしている。今の戦況は芳しくない────否、明らかに劣勢と言っていい。
正面に立つイゴーは冷めた眼差しで一行を見つめ、それからつまらなさそうに指先で己の長い髪を絡め取っている。満身創痍のこちら側とは一線を画す立ち姿に、リュカは下唇を噛みしめた。
物理攻撃の得意なリュカとピエールが幾度斬りかかっても、体に触れる直前見えない壁に阻まれ、かすり傷すらつけられない。リュカをはじめピエールの魔力もほぼ底をつき、スラリンの魔力にはまだ多少の余裕が残されていたが、最早それも時間の問題だった。
「……足止めさえできればなぁ」
リュカの呟きを耳にしたホイミンが問う。
「どれくらいの時間を稼げばいいんですか」
「……ピエールが逃げ切れるまで、かな」
彼の右腕を逃がせば明らかな戦力減となる。リュカの返答に驚き、ホイミンは目を見開いたまま固まった。
「……ど、して」
どうにかその一言だけが喉を通っていった。リュカが顔を振り向けて、ホイミンと視線を合わせる。
「賭けに出る」
黒曜石色の瞳にぎらついた闘志を宿し、リュカの言葉が続く。
「援軍が先か、全滅が先かの……賭けに」
耳の良いピエールにはリュカの決定が聞こえていたが、剣を握る手に力を込めた以上の動きを見せない。
主の右腕を自負するピエールにとっては、勝負の命運を分けるこの采配に主からの絶対的な信頼を感じられ、騎士として湧き上がる喜びを堪えていたほどだ。しかしホイミンはこれまでどこか楽観視していた自分に冷や水を浴びせられたような気持ちになり、ごくりと唾を飲み込んだ音がやけに大きく聞こえた。
「ごめんね、守ってあげられそうになくて」
リュカのその声音で彼の胸中を慮り、強く首を振った。
全滅を想定に入れた苦渋の決断を前に、何ができるのだろうとホイミンは考えあぐね、辿り着いた答えを口に出す。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち



