冒険の書をあなたに2
リュカとビアンカが石化した後、サンチョ含め城の者総出で双子を育てた。当時グランバニアに他の赤子がいなかったために、他の街や城を訪れた際に赤子のいる母親から分けて貰った母乳を空飛ぶ靴で持ち帰り、仲間の魔物も混ざり交代で面倒を見たのだ。
そのときの記憶を持ってしても、一般的な常識を持ってしても、赤子が人肉や魂を好むなど聞いたことがない。可能性があるとすれば、それは────
「成る程な。化け物を産んだか」
ピエールが考えていた懸念を、ピサロがこともなげに口にする。
「真っ当な進化を捻じ曲げた成れの果てということか、参考になる」
皮肉を容赦なく投げつけ、ピサロはイゴーへ剣を向けた。
「自分のことは棚に上げて、良く言う」
イゴーは顎を軽く持ち上げて首を傾げ、皮肉に含まれた侮蔑の意を跳ね除ける。
「御託はいい。始末されたくなければ、かかってこい」
剣を向けられたイゴーは赤子を抱いたまま、ふんと鼻を鳴らす。
いつの間にか赤子の泣き声は小さくなり、小枝のように痩せ細った手でイゴーの胸を掴んでいる。仕草だけを見れば、本当に普通の赤子と変わりない。しかしその実態は、知る限りはアンデッドに近い生命体である。
イゴーはそんな不気味な赤子に頬を寄せ、嬉しそうに微笑んでいる。
「ふふ……いい子だね。ちょっと手強いけど、ピサロも食べちゃいな」
全体としては微笑んではいたが、目だけは少しも笑っていなかった。
仄暗く冷たい光を湛えてピサロを見据えたイゴーが元の姿に戻り、赤子からそっと手を離す。手を離された赤子は落下することもなく、そのまま宙に浮いてもぞもぞと手足を動かしていた。
手を翳したピサロがルカナンを唱え、イゴーと赤子の守備力を下げにかかる。
その直後を狙い、ピエールは大きく跳躍して斬り掛かった。
ピエールの剣が縦に一閃、赤子の頭部目掛けて向かうが、やはり髑髏に阻まれてしまう。それでも二つ三つ髑髏を叩き割ることができた。先程イゴーが唱えたスカラを打ち消したお陰だろうと思い、ピサロへ目礼をしてから後ろに下がる。バトラーが攻撃体制に入っているのが見え、ピエールは邪魔にならぬようにとすぐ場所を開けた。
ピサロもピエール同様に、バトラーの攻撃を察知して横に飛び退く。二人の間を通り抜けた灼熱の炎がイゴーたちを襲い、辺りは炎に包まれていく。
熱風がピサロの真っ直ぐな銀髪を散り散りに舞い上げる。焦げてしまうのではとピエールは思ったが、当のピサロは散らばる髪を気にも留めず、魔界の剣を振りかぶって一気に間合いを詰めた。
横顔からも分かるほどに赤くぎらついた瞳は、ただ目前のイゴーと赤子だけを映している。視力の良いピエールですら、魔剣士ピサロの攻撃は目が追いついていかない。
彼の動きと瞬時に大きく抉れた地面で、袈裟懸けに斬り掛かっているのは分かったが、一度だけの攻撃かどうかが全く見えないのだ。
一拍おいて斬撃が続き、向きの違う跡が地面に刻まれていく。
だが肝心の赤子には届かず、代わりに取り囲む髑髏の数が着々と減っていったところで、ピサロは己にバイキルトをかけ、連続で畳み掛ける。旧知の仲だったらしいイゴーには一瞥もくれず、話しかけもしない。イゴーの方もまた、憎々しげに睨むばかりだった。
ピサロの動きに、どうやら赤子を先に潰すつもりだと判断したピエールは、そちらはピサロに任せてイゴーの隙を窺う。
先程と同じく、特に戦いに秀でた印象はない。身構えることもなく、ただ口の中で何かをぶつぶつと呟いている────それに気付いたピエールがなんとはなしにピサロの足元へと視線を動かし、僅かに目を瞠る。うっすらと、本当に淡い色ではあったが、魔法陣と思しき円陣が現れている。これをピサロに伝えるべきか、一瞬躊躇った。彼の主人ではない上、ここで注意を呼びかけることで隙を作ってしまわないかと懸念したからだ。実際、ピエールのこの読みは正しかった。イゴーはまさにその一瞬の隙を虎視眈々と狙っていたのだから。
そこでピエールはピサロの周囲から赤子を狙い、魔法陣の中にピサロが入らないように己の身でさり気なくガードしたところ、ピサロからは怪訝な顔をされたが、特に何も伝えないまま攻撃は続いた。
バトラーは攻撃対象をイゴーに定め、果敢に挑んでいる。が、幾度鋭い爪で切り裂いても、灼熱の炎で飲み込んでも、ただ無表情のまま攻撃を受け止め続けるイゴーに不気味さを感じ取っていたようだ。
「ピサロ様……、あの者は何かを企んでいる気がいたします」
利き手側の右を広く開け、左側をピサロと背中合わせに寄せながら、バトラーは続けて疑問を口にする。
「これだけ傷を負わせているのに、眉ひとつ動かない……もしや、痛みを感じていないのでは?」
バトラーの問いに、ピサロが顔を振り向ける。
「……進化の秘法の効果かもしれんな。私も影響が真っ先に出たのは記憶と痛覚の喪失だ」
進化の秘法については文献に数行ある程度の情報しか知らなかったピエールは、ピサロの説明に内心驚き、彼なりの見解を口にした。
「……痛みを感じるのは、危機回避のために必要な本能ですからね。それが必要無くなったということは、つまり死を恐れずに済むと言うことです」
生き抜くため、誰かを守るために剣をふるい、他者の命を奪う矛盾ごと抱えてきた騎士ピエールからすれば、ピサロの言うところの記憶と痛覚の喪失、つまり心と体の痛みを感じないことを果たして進化と呼んでいいものなのか、それは強さなのかと首を傾げたくなった。魔物ではない生き物たちも、捕食される間際には恐怖を和らげるために感覚が麻痺するのだと、以前マーリンが言っていたことをふと思い出す。
(……ホイミン殿も、そうだったんでしょうか)
「人としていられる時間は少ない」と呟いた背後に垣間見えた、残酷な現実────頭をよぎるのは、元魔物だという優しい男の姿。
流れていた音色はもう聴こえない。彼はどうなっただろう────再びよぎっていく嫌な想像を、ピエールは首を振って掻き消した。
マーニャは二つ並んだ大きな麻袋を覗き込み、あらまあ、と呆れたような感心したような声音で話し出す。
「それにしても、よくこんなに集めたわねー」
ライアンと共に合流したポピーがその言葉へ答える。
「持って帰って、万が一栽培がうまくいかなかったら大変なので……」
ポピーの話にブライが大きく頷き、口を開く。
「そうですな。こちらでもソレッタでしか栽培できんらしいから、それなりに難しい植物だろう」
「ブライ様、こちらで何か栽培のヒントになるような文献はありませんか」
ポピーの質問に、豊かな顎髭をさすりながら明後日の方向を見つつ片眉を上げる。
「ふむ……我が国にはなかったと思いますな。他国にあるかどうかまでは分からん」
「そうですか……残念」
しゅんと肩を落としたポピーへ、ルヴァが励ましの言葉をかける。
「大丈夫ですよ、ポピー。土壌も調べましたし、土着菌もありますし、どうにかなりますよ」
「ルヴァ様……」
ルヴァの視線を受け、マルセルも頷いてどんと胸を叩く。
「そうだよ。なんたって緑の守護聖で、実家が大農場のぼくもいるんだから!」
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち



