冒険の書をあなたに2
プックルの言う、バイキルトの重ね掛けとは言い得て妙だ。彼らが仄かに纏っている三つのサクリアは、誇り、勇気、そして強さ────この世界で疑似的にバイキルトに匹敵するだろうと考えられたからだ。何故サクリアが個人に波及しているのかと疑問はあるものの、神鳥女王の采配だと思えば妙な納得をしてしまう。こちらの呪文を会得したルヴァと同じくアンジェリークもまた、あちらで試行錯誤の末に見つけた方法なのかもしれない。そう思うと、時代を隔てている今でも愛おしさがこみ上げる。
ピエールがふと、キラーマシンの残骸へと視線を向けてからルヴァを見た。
「賢者様、それならあのキラーマシンは?」
問われたルヴァが思い出していたのは、前回の旅で垣間見たアンジェリークの戦い方だ。
「うーん……邪気を払った……とは考えられませんか」
大いなる慈愛の力の前に、立ち向かうことすらできずにただ消えていった魔物たち。
「そういえば、天使はゾンビナイトをまとめて浄化してたっけな。解毒も同時にやっていた」
どうやら同じことを思い出していたプックルの話に、バトラーが片眉を上げて意外そうな声を出す。
「ほう、あのお嬢さんにそんな力があったとは。アンデッドを消したのなら、あいつも……」
バトラーの言葉に皆、思い当たる先は一緒だったらしい。イゴーの隣にいるはずの赤子に目を向け、そして驚愕に目を丸くした。
その青白さに死体のようだと思われていた赤子の肌が、赤黒く変色していた。
嫌がっているらしく手足をばたつかせてはいたが、これまでの耳を聾する声量の泣き声はない。ただ静かに────まるで息絶える間際のような静けさで、小さくもがく。
赤子のそんな動きに対し、イゴーはさしたる関心を示さない。
自らを女体に姿を変えてまで産んだ子に対する親の態度としては非常に不可解で、リュカが険しい顔で呟いた。
「どう捉えたらいいんだ……?」
その呟きを、ピエールが拾い上げる。
「まだ回復の必要なし、といったところでしょうか。しかし苦しんでいるようにも見えますが」
「今が勝機と受け取っていいのかな、あれは」
意見を求めるリュカの視線に促され、しばし考え込んでから口を開いた。
「罠と考えられたほうがよろしいかと」
「んー、だとすると分かりやすすぎない? 君たちどう?」
次いで意見を求められたバトラーとプックルも、少し考えてから話し出す。
「どちらの可能性もありますが、かと言ってここでただ突っ立っているだけではあいつらを倒せない。行くべきです」
「おれも仕掛けるほうに一票だ。動きが鈍っているなら一気に畳みかけようぜ」
攻勢に出る意思をはっきり示した二人から視線を外し、今度は息子へと目を向ける。
「……ごめん、ぼくはちょっと嫌な予感がする。ここら辺がジリジリする」
言いながらこめかみを指で押す。隣ではポピーも寒気を訴えている。
「あの赤ちゃん、やっぱりすごく嫌……」
邪悪な気配に敏い子供たちが揃って拒否の姿勢を見せたことで、リュカが僅かに唇を噛んだ。これまでの戦いの流れを見るに、罠と言ったピエールが正しいと思えたものの、できればこの隙を好機と捉え、潰してしまいたいのも本音だったからだ。
「……こっちから攻撃させて引き込んだところで、何か仕掛けてくる気はする」
リュカたちが思案に暮れている近くでは、クラヴィスとルヴァが話し込む。
「弱っているのは、事実のようだな」
「ええ……陛下のお力の影響でしょうか」
アンジェリーク自身は攻撃力を備えた武器を一切装備できないものの、女王のサクリア自体はこれまで強力な回復力と同時にドラゴンやアンデッドを瞬時に消し去るほどの威力を見せている。神鳥宇宙の慈母として、害をなす存在に対しては強く作用するのかもしれない────そう考えての発言に、クラヴィスも納得顔で頷く。
「違う、とは言い切れんな。聖地でも感じたことのない加護だ……我々も女王も、こちらの世界に適応している証左らしい……」
「以前、マーリン殿が似たようなことを言っていましたよ」
「真実がどうであれ、今は問題を片付けるのみ」
上空では、神鳥がゆっくりと旋回を繰り返している。
守護聖と魔物たちに加護をもたらした後も消え去ることはなく、人間と魔物との争いを静かに観察しているかのようだった。
水晶球を覗き込んでいたクラヴィスが紫の瞳をちろりとルヴァに向け、ほんの僅かに微笑んだ。
「後は任せる」
言うなり、早足でイゴーへと向かっていく。
「あっ、ク、クラヴィス!」
ルヴァは一瞬のことに戸惑い、引き止める手と声を持て余す。
ピサロやソロ一行からの猛攻に耐え切れなかったイゴーはひゅうひゅうと息を漏らしていたが、その度に見えない何かから無理やり立たされているような、不自然な動きを見せていた。
「…………、……」
目の前に立つクラヴィスを見上げたイゴーの唇が小さく動き、何かを発言したらしい。
「楽になりたいか」
先程まで無表情だったイゴーの瞳が、明らかに揺れた。
「女王陛下のお力は、おまえには辛いだろう……楽になりたいか」
クラヴィスはもう一度重ねて問いかける。優しく謡うように囁かれる甘言────砂漠に染み渡る一雫の水の如く、その言葉はイゴーの心の内へじわりと入り込んでいく。
「ここでいくら粘っていても、勝ち目はあるまい……我々には女王の加護があり、勇者たちには竜の神の加護があるだろう。そこの男は王として、この城の者たちを守るだろう。残るは、おまえたち二人だけだ」
両膝をついた姿勢で短く息を吐くイゴーを見下ろして、クラヴィスは言葉を繋ぐ。
「死を否定され、最早姿を保つだけでも精一杯のはず」
ふいに風が止み、静まり返った場でクラヴィスの声が妙にはっきりと響いた。
顔も声もいつも通り、穏やかなままで問うた内容は、間近で聞いていた者たちに少なからぬ衝撃を与えた。特に進化の秘法の功罪を身をもって知るピサロには、クラヴィスの言葉の意味が痛いほどよく理解できた────軽率に不死を望む者の愚かさ、そして通常の進化に必ず存在する生と死の尊さを。終わりのある喜びを。
紫の瞳が、すいと細められた。
「おまえが望むなら、永遠の安息を与えよう」
「でき……、……か」
で、き、る、の、か。
声は失われ、ただ肺から息を通すだけの管と化した喉が震える。鮮血を溢れさせながら紡いだ言葉に、クラヴィスは小さく首肯する。
毒針のカバーを外し、逆手に持つ。
「安らかに眠るがいい────」
言葉とは裏腹に、力強くイゴーの喉へと毒針を突き立てた。
一度天を仰いだイゴーは、遥か上空に舞う神鳥を視界に入れて、それからゆっくりと両の瞼を閉じ合わせた。
片手を添え重ね、両手でぐっと押し込んだ毒針からクラヴィスのサクリアが伝わっていく。
イゴーの体を侵食するようにじわりじわりと広がる淡い紫を、一同は食い入って見守る。
サクリアに覆い隠され、顔かたちの輪郭が解けた。シャボン玉のように光が弾け、体が霧散する。
さらさらと小さな音を奏で崩れ去る砂の中から、クラヴィスは親指ほどの赤い硝子片のようなものを拾い上げ、空いた片手でそっと握り締めた。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち



