冒険の書をあなたに2
「キィィィィィィアアアアアアアア!!!!」
赤黒いままの赤子が耳をつんざく叫び声をあげ始め、一行の意識が現実に引き戻される。
至近距離でそれを聞いていたクラヴィスは甲高い声に眉を寄せてはいたが、その眼差しはイゴーを見ていたときよりも険しくなっていた。
「……へその緒が切れたか」
逆手に持ったままの毒針を構え、赤子と対峙する。
クラヴィスについて、ザラキに匹敵する力をより広範囲に使うおっかない人、とざっくり理解したソロが、慌ててクラヴィスと赤子の間に割り込む。
「ちょ、危ないってあんた!」
「構わぬ。こんな茶番にいつまでも付き合ってはいられん」
「はあ!? 茶番って何だよ」
「言葉の通りだ」
イゴーの体から拾い上げた赤い欠片を、ソロに見せた。
「あれとこれは繋がっている……いた、と言うべきか」
クラヴィスが「これ」と言った視線の先には赤子がいる。ひとしきり叫んだのち再び弱々しく藻掻いており、こちらを攻撃してくる気配はない。
近くにいたピサロもクラヴィスの手にある欠片へ目を落としながら話に耳を傾けていたが、視線をすぐに赤子へと戻して呟く。
「……本体は赤子か。やはりな」
あっけないほどの最期を目の当たりにしたルヴァが駆けつける。
「クラヴィス! あなたまた無茶をして!」
言葉に責めるニュアンスを含めていたルヴァだったが、それを意に介さないクラヴィスは手の中の欠片を見せた。
「ルヴァ、これを」
「話を逸らそうとしてもいけませんよ……、おや、これは?」
知識と知恵の守護聖は、理屈屁理屈で言い包めるのが少々難しい。だが物珍しさには良く釣られる────それを今の一瞬でまざまざと見せつけられた者たちの中には、堪え切れずふすっと笑いを漏らす者もいた。
「砂に埋もれていた。イゴーの中にあったものだ」
クラヴィスの簡素な説明にルヴァは唇を引き結び、すぐに考え込んだ。
亡骸が残ることもなく、他の魔物たちと同様に砂と化した。その中に埋もれていたとすれば────と、硝子片に見える尖ったかけらをじっと見つめるうちに、行き着いた仮定が頭に残る。
(核……?)
横からソロが指先でちょんちょんと欠片をつつき、ピサロへ目を向ける。欠片は脆く崩れ去ることもなく、未だ原形をとどめている。
「なあこれ、ルビーの涙みたいだけど」
何故こちらを見るのかと言いたげに顔をしかめたピサロも、ソロの言葉に答えた。
「涙の結晶にしては大きすぎるだろう」
「そーだけど……」
「涙だったならば?」
クラヴィスからぽつりと発された言葉に、ソロとピサロが固まった。
聖地にて、クラヴィスは早くからピサロとロザリーの慟哭を受け取っている。ロザリーの涙が肌から離れた途端に赤く煌めき、瞬く間に結晶化したことも記憶にあったため、ピサロの発言からヒントを得た。
「一度に流した涙が数滴程度でも、それが幾年も積もり積もったなら────」
クラヴィスの発言に、ルヴァがはっと目を瞠る。
「鍾乳石のように、長い時間をかけ堆積していったのだとすれば……有り得ますね」
それへは懐疑的な表情で、ソロが片眉を持ち上げる。
「そんなこと、有り得るのか……?」
ちら、とクラヴィスの瞳がソロへと移る。
「涙が結晶化する……それとて我々からすれば有り得るのか、と思うが」
ゆったりとした口調で告げた内容に、ソロが答えを返した。
「嘘じゃないよ。出会ったエルフの中でもロザリーだけで、これは人間が触ると崩れる……筈なんだけど」
確かめようともう一度欠片を小突いたソロは困惑したように視線を彷徨わせ、最終的にピサロを見た。
「そもそもあれと同じかどうかも分かるまい。色の似た石などよくある」
だからどうしてこちらを見るのかと内心苛立っていたピサロではあったが、律儀にフォローへと回る。それを一笑に付したのはクラヴィスだ。
「……この欠片からは、随分と強い思念を感じる。嘆き、悲しみ、そして絶望────」
捉えどころのない闇の守護聖の声に、一度何かを言いかけたソロが僅かに口元だけを動かし、それからキッと顔を上げて話し出す。
「ルビーの涙って、流した者の強い願いがこもるって聞いたけど」
「…………」
ソロの視線の先にはピサロがいる。進化の秘法を消滅させるほどの強い魔力を伴っていたルビーの涙について、かつて得た情報を口にした。ピサロの赤い瞳は無感情に瞬きを繰り返し無言を貫いていたが、クラヴィスが話を引き繋ぐ。
「おまえを止めて欲しいと懇願していたロザリーの思念は、異世界に住む私や他の者のところへもやって来た」
会話に耳を傾けつつ脳内で情報の引き出しをひっきりなしに開閉していたルヴァが、その言葉へ頷きを返す。
「それについては女王陛下も感知しておられましたからねえ……邪悪な波動と、それを上回る強い思念が届いたと言っていました」
イムルの夢の波動が遥か彼方の異世界へも波及していたと知り、ソロとピサロの顔が同時に険しくなった。
「なあピサロ。ロザリーの他に、いたか」
戸惑いを含んだ声音で問うソロへ、ピサロもまた重い口を開く。
「……知らぬな。ロザリーから仲間や家族の話は殆ど聞いたことがない……」
名前すら持たず、森のあちこちで暮らしていたことは知っている。それはつまり、村のように集まって暮らす必要がなかったと言うことでもある。集まれば否応にも会話が生まれ、必然的にどこの誰かといった情報が必要になってくるからだ。
つらつらとそんなことを考えていたピサロへ、クラヴィスの言葉が続く。
「ならば、他に似た能力を持つ者がいないという証拠は、何もないな」
ドのつく正論を前にソロとピサロは言葉を失い、少し気の抜けた顔を見合わせた。
話に聞き入っていたルヴァが、クラヴィスの手のひらから結晶をつまみ上げる。
光を透過してキラリと光るそれを遠目に見たピエールが、顔色を変えた。
「あれは……!」
脳裏に浮かんだのは、ホイミスライムの子が抱えていた巨大なルビーの塊────小さな欠片とは言え、同様の危険物かも知れないと焦ったピエールが駆け出して、ルヴァに声をかけた。
「賢者様! 見てはいけません、もしかしたら麻痺の効果が……!」
「ピエール殿、どういうことです?」
「それとよく似た石を知っています。覗き込んだ者は全て麻痺してしまう、曰く付きでして……」
「ソレハドコニアル?」
それまで大人しかった赤子が滑るような速度でピエールに接近し、がらがらにひび割れた声音で問いかけてきた。
「なっ……んだ!?」
見た目にそぐわない老成した声色に、驚きを隠せないピエールが攻撃に転じるよりも早く、リュカががつりと拳を叩き込んだ。
あっさりと吹っ飛ばされた赤子は数歩分離れた空中で止まり、にい、と唇の端を吊り上げた。
リュカが斜め上に視線を向け、それからルヴァの手にある欠片を見てから納得した様子でふむと唸る。
「あぁ……あれか。確かによく似てるね」
それぞれの思い描くものに手掛かりの気配を感じ取り、ルヴァは手帳を取り出す。
「お二人とも、もう少し詳しく教えていただけませんか」
先程のクラヴィスの指摘なども素早く書き連ねながら、リュカに情報を乞う。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち



