冒険の書をあなたに2
がつんと硬い感触が剣に伝わった────明らかに人の、それも赤子の骨の比ではない硬さに「これは人ならざるものである」との思いを強くして、ゴリ押しの力で押し退ける。剣に割かれ煙が霧散した一瞬、隙間から顔を覗かせた赤子が歪な笑みを浮かべていた。
足元にひんやりとした冷気を感じたリュカがすかさず飛び退いた矢先、先程守護聖たちを狙ったものと同じ質の氷柱が出現し、ふくらはぎを掠る。
咄嗟にかわしたリュカの耳にパキパキと何かの破裂音が聞こえたが、それに集中する隙がない。何かがあるとは思ったものの、マーニャの声に掻き消される。
「メラゾーマッ!!」
氷柱にぶち当たった火球が四散して、冷えた空気を瞬時に温め、否、むしろ熱いほどだ。ふくらはぎからたらりと垂れ落ちる感覚がする────氷柱に裂かれた箇所が切れたらしい。背を向けず赤子を睨み据えたまま大きく飛び退いてみる。氷柱は標的を狙い続けるようで、リュカの想定通り執拗に追いかけてきた。
それを次々とかわしている間、バトラーが本体めがけて灼熱の炎を吐いた。
通り過ぎただけの熱でじゅうと蒸気を上げて溶け消える、幾本かの氷柱。
「バトラー、ナイス!」
思わず漏れたリュカの褒め言葉にもバトラーは反応を示さず、戦いの行方を窺う。
次いでアリーナが高く跳躍し、右の拳を叩きつけた。指の間に挟まれたキラーピアスが赤子の肉を深く抉る。そして間髪容れずに左の拳が下から叩き込まれ、赤子は裂傷を負いながらそのまま後方へ吹っ飛んでいく。
アリーナの初動に合わせピサロとソロは反対側に駆け抜けて待機しており、飛ばされてきた赤子へ先に剣を差し向けたのはピサロだ。
魔神斬りで左腕を斬り飛ばした直後、ソロが天空の剣を掲げ、落雷を受け止めた。
刀身にばちばちと激しく爆ぜる雷を宿し眩い光を放つ天空の剣が、弧を描き右の二の腕から先を切り離す。
宙に舞う小枝ほどの細い腕をちらりと視線で追いかけたピエールが「行け」と相棒に指示を出す。ディディが全速力で間合いを詰める間にソロが飛び退き、続くピエールの攻撃を導く。
猛者たちの見事な連携と配慮に感動を覚えながら、青の双眸が狙うは、目前の赤子のみ────瞳と同様に青く輝く吹雪の剣が、上方から赤子の大腿部を捕らえた。
ざり、と異質な感触が剣から伝わってくる。
ソロたちのような剣技を持ち合わせていないピエールは、少しでも爪痕を多く残そうと足掻く。その思いは気合の声となって表れた。
「オォォォォォォオオオオッ!」
肉に食い込む剣先から、僅かに白煙が上っている。
ドラゴン属やガメゴンロードのような筋肉質の硬い肉が刃を押し戻してくる中、懸命に剣を押し込む。
(せめて、足の一本……!)
それまでとは違う手応えを感じたところで剣を引き切る。
渾身の力を込めた一撃はぶつりと骨を断ち、勢いを保ったまま片足を切り落とした。
踵で相棒に下がれと伝え、すぐにその場を離れ始める。
離れる間際、赤子と視線がかち合った────赤黒かった肌は更に黒化が進み、両腕と片足を失った無残な姿で宙に浮いている。目の奥から発せられたおぞましい気配に、ざわりと背筋が冷えた────凍てつく波動だ。
「……っ!」
ピエールの耳に、無数の泡が弾けるような音がさわさわと聞こえた。ごく微かなその音がもしや次の攻撃に関わってくるのかと警戒したピエールは、主と赤子の間に割り込む位置を陣取る。
氷柱が消えたと思った矢先、赤子の瞳が再び赤く光った。
大地が鳴動する────斬られた箇所全てから黒い霧が噴き出し、瘴気の繭とも言うべきそれに身を隠した奥から、怪しい光が漏れた。先程聞こえていた破裂音の正体────例えるなら羽化の直前、さなぎを突き破る幼虫の如く、人の皮膚とは思えないほど乾燥した音を立てた赤子の肌がパリパリと割れていく。が、剥がれ落ちても下から新しい肌が見えるわけでもなく、そこには深淵の闇があるばかり。
その闇の中に再びちらちらと雷が走っているのを確認し、リュカは呟いた。
「第二形態か……?」
「お父さん! 来るよ!」
愛息子の声と被さって、ソロも叫ぶ。
「全員、防御!」
天空人の血筋がいち早く感じ取った異変────勇者の指示に、全員が従った。
間を置かず、白く輝く猛吹雪が一行を襲う。
たちまちホワイトアウトする視界と同時にもたらされる猛烈な寒気により、凍てついた肌に凄まじい痛みが走る。
赤子は輝く息の中心にいる。既に赤子としての形を保ってはいなかったが。
「ぐっ……!」
外套で顔を覆っていたオスカーが小さく呻き、家宝の愛剣を取り落とす。
いきなりもたらされた凍傷により、肌が見えている部分の殆どが水膨れで腫れ上がったが、その感覚は全くない。耳に切るような痛みが走ったのも一瞬のことだった。
それよりも今の恐ろしい攻撃で他の仲間はどうなったのかと振り返り、軽症者でも白斑と水膨れ、重傷者は皮膚に壊死寸前のダメージを負いながらも、全員が目を開けていることにまず安堵すると共に、女王陛下の加護の力をひしひしと感じて感銘に浸った。
リュカはイゴーが砂と化した際に王者のマントを回収して装備し直していたため、被害は最小限に抑えられていた。
「バトラー、大丈夫か」
吹雪系の攻撃に耐性のないバトラーが、肩で息をしながらもそれに答えを返す。
「はい。思ったよりは平気です……命拾いしたようだ、オレもあいつも」
視線がピエールへと移る。ピエールもまた寒さに弱い魔物だったが、こちらもダメージは思っていたよりも浅い様子で、リュカとバトラーの視線に頷きと共に口を開く。
「これも、天使様のご加護でしょうか……」
正面から吹雪を浴びている最中でも、体の内側から負けるなと言わんばかりに冷気を押し返す熱が生まれ続けていて、その今までにない感覚を反芻したピエールは胸元をそっと押さえた。
ゆったりと上空を旋回していた神鳥が、再び猛スピードで舞い降りてくる。
全員の視線を集めながら、虹色の神鳥は緩やかに解けてその姿を変えた。
赤子だったものと対峙する姿を見て、彼女を知る者たちの目が驚愕に大きく見開かれる。
真っ先に声を上げたのは、恋人であるルヴァだ。
「……陛下!?」
背に純白の翼を広げていたが、いつもの女王然とした笑みはない。普段余り見ることのない険しい表情を浮かべ、真っ直ぐに伸ばした腕の先、手のひらを赤子に向けた。
「下がりなさい」
手のひらを中心に薄氷のような光が瞬く間に広がっていく。それと同時に、一行の身に優しい輝きが満ちて傷が塞がる。
バン! と強い音がして、結界或いは盾のような半透明の光に赤子だったものが弾き飛ばされるさまを、一同は余すことなく目撃した。
「……邪魔ヲスルナ……!」
赤子だった闇の塊から、先程と同様にしゃがれた声が聞こえてくる。それは地鳴りと合わさって、一同の鼓膜をびりびりと震わせた。
現在の位置関係は女王アンジェリークが最前面、矢面に立つ状況である。
赤子だったものと同程度の高さに浮かび翼を広げる姿は、その容貌も相まって神々しく、天からの使者にも見える。
「天使様……」
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち



