冒険の書をあなたに2
緊張感のかけらもない声で答えを返したオロバスは、バラバラとルヴァを取り囲んでいた頁を元に戻してルヴァの後頭部の辺りに留まった。それとほぼ同時にルヴァの詠唱が響く。
「来たれ、凍つる槍!」
オスカーの二度目の攻撃と重なるように紡がれた詠唱は、理力の杖から迸る光になり瞬く間に魔法陣を描き出した────今この場にいる呪文のエキスパートたちですら知らないいにしえの呪文、マヒャデドスが発動する。
巨人の鋸歯を弾き飛ばしたオスカーの剣は、勢いを保ったまま斜め上から叩き込まれた。
硬化してはいるものの、弱っているのか今度は噛みついてくる様子もなく、まるで訓練で使われる藁束のような手応えで切り下げた。背後でルヴァの詠唱が聞こえた矢先、背に凄まじい冷気が届く。
(……来たか!)
ちらと背後に視線を流す。
ルヴァを包む青い光────周囲を巡る魔力の大きさが、これまでとは桁違いに大きい。瞬きの間に光は体を離れ魔法陣に変わり、巨人の胴体をすでに凍てつかせ始めている。
(なんっ…………だ、あれは!)
心の声ですら一瞬言葉を失った。先に攻撃をしていたオリヴィエはと探してみれば、目の端にさっさと退避している姿を見つけた。
即刻この場を離れなくてはと慌てて飛び退いたオスカーだったが、直後に降り注ぐ無数の氷の槍にぞっと鳥肌を立て、ルヴァを睨んだ。
「おい! 俺を巻き添えにする気か!」
焦りを含んだ怒りの声が響き渡るが、ルヴァはおや、と眉を持ち上げるだけだ。
「……あなたなら、避けられますよね?」
「そっ……んんんっ」
何をおかしなことをとでも言いたげな口調に、抗議の言葉は途中で奇妙に途切れた。
「さて、どうなりますかね」
ヒャド系最大級の威力で長く足止めを狙ったルヴァは、腰を屈めたまま汚泥の巨人から視線を外さない。
頭部の上半分は削ぎ落とされ地面から上半身だけを晒した巨人が、無数の氷の槍に貫かれて藻掻いている。大地に縫い留められた身を捩るたびに凍りついた腕や胴が欠け、脆く崩れ落ちていく。
「ウオォォォォォォォー────」
口の半分は既にないというのに、犬の遠吠えにも似た悲鳴が轟いた。
終わりが見えてきた────そう考えた勇者ソロが声を張り上げた。
「全員、続け!」
固形ならいける、と瞳をぎらつかせたアリーナが意気揚々と駆け込んでくる。
短い気合いと共に回し蹴りが炸裂し、巨人の片腕に大きな亀裂が走った。アリーナの二撃目はもう片方の腕に振り払われ、追撃を与えられないままひらりと身をかわす。
攻撃ができず口を尖らせたアリーナと入れ替わるように、今度はピサロが魔界の剣を振りかぶる。
「一体何なんだ、あいつらは」
呆れ混じりの淡々とした声音で、つい今しがた目の当たりにした魔力の大きさに独り言ちる。
剣は再び闇色の光を纏い、地中から出てきた片足を斬りつけていく。
巨人は力任せに凍りついた身を起こし、片足を地面に引っ張り上げている。膝を乗せた姿勢で、未だ一行の攻撃に倒れる気配はない。全身が地上に現れたなら何かとても恐ろしい事態を引き起こしそうな危惧感が、その場にいた者たちの警戒心を刺激する。
ティミーが天空の剣を天に掲げ、裁きの雷を呼ぶ。
「ギガデイン!」
呼ばれ出でた雷が、激しい光を放出しながら巨人を貫く。
ルヴァの放ったマヒャデドスの効果は、雷に打たれても続いていた────効果が術者の魔力量に大きく左右される高難度さゆえに、徐々にその存在を埋もれさせていった古代の呪文は、前回の旅ではとどめの一撃になったほどの威力を誇る。だがその強力な呪文でさえ、巨人を倒すほどではない。
胴から上は凍りついたまま、攻撃を受け少しずつ崩壊している巨人の顎に位置する場所から、ギョロリと目玉が現れた。
禍々しい赤い目がティミーをはっきりと睨み据え、片腕を大きく振り回して弾き飛ばす。
「うあっ!!」
手の甲で殴られた衝撃にティミーは小さな悲鳴をあげて吹っ飛び、慌てたバトラーがすかさず背後に回って受け止める。
「大丈夫ですか、ティミー様」
落ち着いた声に顔を上げ、バトラーと視線を合わせたティミーが照れ臭そうに笑う。
「あ、りがと……! っは、びっくりした……」
話しながら呼吸を整え、落とした剣を拾い上げた。
巨人の眼球の上、なだらかだった切り口の部分が再び隆起し始めている。
最初に気付いたリュカが叫んだ。
「頭が復活し始めてる! 口を作らせるな!」
「御意!」
リュカの声に応え、ティミーの背後にいたバトラーが飛び出していく。
大きく息を吸い込み、灼熱の息を吐く。空気を取り込みながら真っ直ぐに向かう紅蓮の炎が当たる直前、巨人の片腕が薙ぎ払うように腕を振り、炎は二つに割かれたものの、その腕からは立ち上る黒煙。辺りに広がる燻された匂いは、それなりにダメージを与えたことを周知させた。
そして、真一文字に口を引き結んだソロが続く。白銀の光を放つ天空の剣で斬りかかった。袈裟懸けに深い傷を負わせ、すぐに軽やかなバックステップで巨人の攻撃が当たらぬように退避する。
高位呪文が飛び交い緊迫感がいや増す中、穏やかな竪琴の音が流れ始めた。
戦場に全く似つかわしくない優しいメロディに、ピサロが居心地悪そうに少し口をへの字に曲げ眉を寄せていたが、耳の良いピエールは逆に口角を持ち上げた。
得体の知れぬものへの本能的な警戒に強張る体から、何故か余計な力が抜けていく。五感が研ぎ澄まされる感覚に、綻ぶ顔を抑え切れない。
「はっ!」
踵で強く蹴り付け、相棒へ指示を出す。ディディは指示通りにギュンと速度を上げ、敵の喉元へと主を連れていく。巨大スライムの体が地面に当たりそうなほどたわみ、そこから反動を使って弾丸よろしく一直線に飛び上がる。跳ねる勢いに落とされぬよう両腿の内側に力を込めたピエールが大きく剣を振りかぶり、そして素早く打ち下ろした。
未だ凍てついている首元に、切先が食い込んでいく。そこに骨らしき感触は、ない。ただ砕け散った氷片が四散して、冷気が兜の熱を僅かに冷ましている。
もうすぐ首を落とせる────そう思った矢先、巨人の手が小さなピエールの体を掴み、そのまま地面に叩きつけた。
「ぐう、ぅ!」
手のひらに潰された衝撃で、食いしばっていた口から呻き声が漏れ出た。息を吸おうにも腹部に激痛が走り、思うように呼吸ができない。
地面に転がったまま立ち上がれずにいる主を拾おうとディディが近づき、巨人の裏拳にあっけなく弾き飛ばされていく。
「ディ、ディ……!」
回復をかける前に再び巨人の手に囚われたピエールは、圧迫の痛みに堪え切れず叫ぶ。
「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁ!!!」
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち



