冒険の書をあなたに2
元々持っている自前のタロットよりも明確に魔力を帯びたアイテムゆえか、使えば使うほど占術を得意とするクラヴィスとの親密度が上がっているらしい。意識外に追いやっていたそれがやたらと気になり始めるのだ。
手の中で鈍く光を反射するそれへと視線を落とす。使い始めた当初よりも、随分とくすんでいる気がする。これほど短期間で色味が変わるものなのだろうか────とクラヴィスは首を傾げた。
「引くべきか────」
薄い唇からぼそりと発された呟きの直後、カカシュが身じろいだ。
「そなたでも迷うことがあるのか」
カカシュの言葉にほんの僅か、眉が顰められる。
「……私を何だと思っているんだ……」
明らかに不快を告げる視線を受け、カカシュは己の失言に頬を引きつらせた。
「ああ、いや。気に障ったならすまなかった。他の守護聖たちよりも人知を超えた者のように感じていたのでな」
フォローのつもりが取り繕い切れていない言葉を無視し、クラヴィスはむっすりとした顔を崩さず袂から水晶球を取り出す。
いつも何かを気まぐれに映し出す水晶球はどうだろうかと見てみたが、そちらには光の一点すら何も映し出されてはいなかった。その落胆を溜息に乗せて外に逃がす。
(何も映さぬか。自分で決めろと)
諦めて視線を前に向ける。巨人はリュカ一行、ソロ一行のほうへ集中して攻撃を繰り返していたが、彼らの猛攻により体の七割ほどが崩れ去っている。
復活の兆しは見えない。だが何か心の奥に引っ掛かる────それへの答えを探すうち、視界の端にきょろきょろと辺りを見渡すルヴァを捉えた。
「どうした」
「……何か、臭いませんか」
言い終えてから、すんと鼻を鳴らす。
「先程から時折、卵の腐ったような臭いが鼻について。どうにも気になるんですよねえ」
うーんと考え込むルヴァを前に、クラヴィスも辺りの臭いを探し出す。
「よく分からんな……」
「本当に一瞬なんですよ……」
顎に手を宛がいふうむと唸るルヴァへ、今度はやりとりを聞いていたカカシュが声をかける。
「誰かの屁ではないのか?」
げふっと盛大に咽込んだルヴァが顔を赤らめて反論する。
「ま、真面目に話しているんですよこちらは!」
「そうか、それは失礼した」
ルヴァとカカシュの酷い会話の最中、手の中のタロットが一気に熱を帯びた。
熱した鍋のような温度になり、その熱さに驚いたクラヴィスは指先を袖に引っ込め、袖越しにそろりと持ち直す。だが熱は止まることを知らず、薄手の布地をあっさりと貫通してきた熱さにとうとう端正な顔が歪み始めた。
「くっ……!」
このままでは、手を離さざるを得ない────その意味に気付いたクラヴィスは唇を嚙み締める。
タロットを引かず保留したクラヴィスを、どうやら銀のタロットが「焚き付けている」らしい。
(私が耐え切れずに落とせば……出て来れるんだろう。何かが)
堪えようときつく噛み締めた奥歯が、ぎりぎりと音を立てた。
「仕留めた!」
リュカの一言に、周囲にいた者たちからの歓喜の声が上がった。
息を吐く間もないほどの猛攻の末、巨人の姿は今やざらざらと砂になり崩れ落ちていた。
ほうと安堵の息を吐いたマルセルが、抱き締めていたパデキアの麻袋から腕を緩めて瞳を潤ませた。
「終わったんですよね……?」
乾いた呟きを拾い上げたリュミエールもまた、竪琴から手を離す。
「……そのように見えますが……」
困惑の混じる声色────これまで倒したと思った矢先に姿を変えて再び蘇ってきた存在ゆえ、いまだ警戒してしまうのも無理はない。
タロットの異変が気になり、自前の水晶球を見ていたクラヴィスがはっと顔を上げた。
「リュミエール! マルセル! そこから離れろ!」
日頃は聞くことのないクラヴィスの大声に守護聖たちは相当に驚き、そして一斉に視線を向けた。
顔色を変えたクラヴィスが大股で駆け寄る。
「逃げろ!」
突然の変わりように、マルセルもリュミエールも驚愕に目を見開いたまま固まっている。
「どうシてアイツだケ生きてイるんダ……?」
背後から聞こえたしわがれ声にリュミエールが振り返ろうとしたそのとき、視界いっぱい黒くなった直後に体が突き飛ばされた。
ぐう、と低い呻き声とマルセルの悲鳴が重なる。
「クラヴィス様ぁ!!」
悲鳴と続いて発された名に、リュミエールの頭の中が一気に白んだ。
慌てて身を起こして顔にかかる前髪を掻き上げ、そしてひゅっと息が止まる。
わあわあと泣き喚くマルセルの声が遠くに聞こえていたが、あまりにも現実味のない光景に我が目を疑ったまま呆然とへたり込む。
「……はやく、逃げ、ろ……!」
片腕を押さえたクラヴィスがぜいぜいと肩で息をしていた────が、その足下に見慣れた手が見える。
「うでっ、腕が……クラヴィス様ぁああ!」
ぼろぼろと大粒の涙を溢れさせ叫ぶマルセルの前で、否応なく眼前に突きつけられた現実にリュミエールの心音は激しさを増した。
手が、落ちている。
静かにタロットを手繰る、長い指先をそのままに。
「どう、して」
震える喉から口をついて出た声は、酷く掠れて音の形を成してはいなかった。
クラヴィスの向こうに立つ人物へとゆっくり視線を移し、名を呟く。
「デズモン……」
緊急事態に気付いた者のうち、駆けつけたティミーがいち早く剣を掲げた。
「退いてて!」
天空の剣が眩い光を放ち、デズモンを包み込む。
すぐに唱えられたルヴァの回復呪文により腕は元通りになったものの、夥しい量の血を流したクラヴィスはよろけて膝をつく。元々白い肌を一層青白くさせ、眉をきつく寄せていた。
剣から発された凍てつく波動を浴びても、デズモンの姿に変化はない。
土気色の肌に、開いているはずの瞳は塗り潰されているような黒色。彼がいつからこうなっていたのか、知る者は誰もいなかった。
デズモンはぼんやりと突っ立っていたが、彼の手にした短剣から血が滴っている────闇の守護聖の血が。
クラヴィスに突き飛ばされていなければ、今頃腕を失っていたのは────と考えたリュミエールは、襲い来る震えを宥めるように両腕で体を抱き締めた。
駆け寄ったルヴァはクラヴィスの腕を肩に回してぐるりと視線を巡らせる。
「クラヴィスの出血が酷いです。誰か、手を貸してください」
「わ、わたくしもお手伝いいたします」
貧血が酷いからか、安堵からか────クラヴィスは両目を閉じ、ルヴァに抱えられ大人しくしている。へたり込んでいたリュミエールがその声に立ち上がり、空いている方の腕を肩に回してクラヴィスを支えた。
ルヴァの両目には険しさが宿り、眼前のデズモンを睥睨している。
理力の杖を構え視線をひたとデズモンに合わせたルヴァの横顔には、ありありと怒りが浮かんでいた。
そこへ上空から舞い降りてきたカカシュが声をかけてきた。
「私が運ぼう」
カカシュと目を合わせることなく、ルヴァは首肯する。
「そうですか、ではお願いします。マルセルも『あれ』から離さなくては」
流れるようにカカシュと入れ替わり、ルヴァは戦闘体制に入った。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち



