冒険の書をあなたに2
双子の様子を見るに、恐らくは身内の者なのだろうとオスカーはうっすら悟ったが、念のため確認を取る。
「斬っていいんだな?」
「…………はい」
溢れ出ようとする涙を必死に堪え、メイスを掴む細い指先が白んでかたかたと震えていた。
だがここは戦場、例え裏切りがあったとしても同情している暇などない。必要であれば切り捨てなければならず、そうすることでしか生き延びられないこともある。この少女はそれをよくよく理解し、いま津波のように押し寄せる哀しみと恐怖に耐えているのだと、オスカーは憐れんだ。それを言葉にすることなく、静かな声音で応える。
「……承知した」
剣を携え、サンチョへ向かっていくオスカーをポピーは直視できない。
決して泣かないようにと眉間にくっきりとしわを刻んで兄同様に歯を食いしばったポピーは、クラヴィスとルヴァの言葉を思い出し、気持ちを切り替えようと服の裾で思い切り顔を拭って、大きく息を吸いこんだ。
「お兄ちゃん、ルヴァ様から伝言!!」
他の人間にはメイスだと思われていたそれは賢者の石という回復の力を持つアイテムで、ポピーが掲げた瞬間に眩い光を放つ。
「剣を翳して!!」
ポピーの声が届くほんの少し前、オスカーの剣がサンチョへと襲い掛かる。情け容赦なく突き出された剣先はサンチョの鎧の隙間を掻い潜り、肉厚の腹に易々と食い込んだ。
剣を半分ほど突き刺したままでオスカーは渾身の力を込めて前へと押し進む。深々と肉を抉る感触が伝わるが、それについて考えないようにしているうち、オスカーの剣はとうとう斬れる限界まで達した。サンチョはよろめきながら後退し、彼とティミーの間が四人分ほど開いた頃、柄を握る手首を僅かに返してから引き抜いた。
あっという間に鮮血を滴らせ前のめりに頽れるサンチョをかわし、オスカーは剣を一振りして刃に纏わりついていた血を払う。石床にぱたぱたと音を立てて散った血の列へ一瞥もくれず、一切の感情を失くしたその目は既に守護聖として慣れ親しんだものではなく、間近でその恐ろしい形相を見たランディの背筋をぞっと凍りつかせていた。
そしてポピーの掲げた賢者の石は仲間たちの体を青い光で包み込み、傷を癒した────サンチョ以外の傷を。
家臣の凶行に驚いて回復が遅れたティミーの傷も塞がり、妹の言葉が意味することにようやく気が回る。
「あー……そういうことかぁ……」
荒い息で片膝をついていたティミーが、不敵な笑みを取り戻して泰然と立ち上がる。そして一度威嚇するように大きな動きで水平に剣を振り、それから真っ直ぐに天へと翳した。
「正体を現せェッ!!」
剣の先から凍てつく波動が迸り、周囲の人々は肌を刺すような厳粛な空気に見舞われていく。
まず初めに血に塗れてうずくまっていたサンチョの姿がどろりと溶けた────おどろおどろしい姿ではあったが、家臣の裏切りではなかったと証明されてポピーたちは涙ぐんだ。
皮膚も髪も着ていた鎧も何もかもが湯煎したチョコレートのようにどろどろと流れ落ちて、その下から真っ赤な何かが見え始めている。
人の姿がぐにゃりと溶けていく不気味さにランディはごくりと唾を呑み込み、掠れた声でポピーに問う。
「あれも魔物なのかい……?」
問われたポピーがひとつ頷き、答えた。
「たぶん中身はジェリーマンだと思うんですけど……」
言葉を濁らせて、ポピーは顎に手を宛がい考え込んだ。
(今まで人に化けるジェリーマンっていなかったのに……なんで?)
かつ、と靴音を鳴らしてオスカーが群衆の前に立ちはだかり、鼻で笑う。
「ふん……人間に成りすましていたか。まだおまえたちの中にこんな化け物がいるんじゃないのか」
こいつはまだ生きているぞとオスカーが続ける前に、サンチョの姿を失ったジェリーマンがもぞりと蠢き、怯えた群衆から一斉に悲鳴が上がる。
人同士の戦いならばある程度いなす自信はあった。だが正体を現したこの化け物が一体どんな攻撃をしてくるのか見当もつかず、オスカーはひとまず腰を落として左足を前に出し、肘を上げた姿勢で剣を右側に構え、ジェリーマンの昏い両目を睨みつけた。
「人の姿をしていようがいまいが、敵なら容赦はしないがな……」
オスカーの上段の構えを見たランディもジェリーマンの反対側に回り込み、剣を右肩に真っ直ぐもたれさせるようにして構えた。
ジェリーマンはもぞもぞと多少動いていたものの、先程の一撃が効いているのか、逃げ場所を求めてうろうろとさまよい始める。
そこでオスカーが雄牛の構えから軽々と剣を回し、斜め上からばっさりと切り下げた。
サンチョに化けていたときの骨や肉の感触はまるでなく、名前の通りゼリーを思わせる塊が二つに別れた。が、オスカーはそこで休むことなく手首を返してジェリーマンを一突きし、向かいで立ち竦むランディをちらと睨み付けた。
「ランディ、何をボケッとしている!」
「あっ、は、はいっ!」
規則正しく流麗な動きの美しさに見とれていたとは言える訳もなく、ランディは恥ずかしさに赤面しながらもざっくりと切り下げてみせた。
ランディの一撃が致命傷になったらしく、ジェリーマンはさらさらと砂になり崩れ去る。
二人がジェリーマンと戦っている間に、ティミーのほうでも天空の剣を翳してモシャスの解除を試みていた。
それなりに戦えると思っていた数人全てがモシャスで化けていたジェリーマンで、魔物と共にいたと気付き絶叫して逃げ惑う一般人に襲いかかる。そこにすかさずティミーが割り込み、彼らは犠牲を免れていた。
次々飛びかかってくるジェリーマンを天空の盾でガードし、べったりと貼りついたところを上から剣で突き、外側へ放るように切り捨てていた。
そして、ぱたぱたと小走りで近づいてくる足音に気付いたポピーが振り返り、そちらへ大きく手を振ってからティミーに話しかける。
「お兄ちゃん、ルヴァ様とアンジェ様よ!」
最後のジェリーマンをばさりと切り捨てる間に聞こえた言葉に、ティミーはすぐに視線を向けた。
記憶のまま変わらない姿で駆け寄ってくる二人を見て、これで世界中の恐慌を止められるかも知れないという希望が、彼の中で重く沈んでいた胸の内に夜明けをもたらしていく。
ルヴァは額に浮いた汗をハンカチでそっと拭い、成長したティミーへ視線を縫い止めて柔和に微笑む。
ティミーは何だか照れ臭くて以前のようにお兄ちゃん、お姉ちゃんとは呼べず、はにかんだままただじっと二人を見つめ、ルヴァが先に声をかけた。
「お久し振りですね、ティミー。あなたもすっかり大きくなって……見違えるようですよー」
ポピー同様にティミーもまたぐっと背が伸びて、幼かった顔つきも引き締まり随分と凛々しくなった────もう弟を思い出しそうな面影はどこにもないことに一抹の寂しさを覚えながらも、ルヴァは素直に彼の成長を喜び、誇らしく思って片手を差し出す。
「ご無沙汰してます。ル、ルヴァ様とアンジェ様はお変わりないですね」
手袋を外しながら少しぎこちなくそう言うと、差し出された手を握って挨拶を交わした。
ルヴァの手を掴む力や話し方も、もはや大人の範疇に入るくらいにしっかりとしていて頼もしい。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち