冒険の書をあなたに2
「しゃ、喋った……!?」
リーダー格の男が驚いて後ずさる向かいで、アンクルの足元からひょっこりと顔を出した女児が言い放つ。
「さっき急にお喋りできるようになったんだよ! ねっ、クックル?」
「そーよぉ。あっ、危ないからまだ下がっていなさいねー」
またしても子供たちにもみくちゃにされながら、クックルはくちばしでつんつんと子供たちの服をつついて下がらせる。
オークスも一緒に子供たちを後ろに追いやり、壁に槍を立てかけてからおもむろに話し出す。
「驚かせてすまないが、グランバニアとはこういう国だ。この国では主君が一番獣臭いくらいだからな」
言えてる、リュカ様ってたまに臭い、あれってプックルのよだれの匂いだよね、などと言って町人たちが吹き出している姿に、乗り込んできた人々は唖然としている。
本来は不敬罪で首が飛びそうな会話を王子と王女の前で堂々と話しているのだから、これは至極普通の反応だろう。
町人の的確な突っ込みに、ティミーは笑いを堪え切れないまま言葉を紡ぐ。
「その獣臭い王様が今、症状を完治させる薬草を採りに行っていますよ。疫病を止めるためにね」
完治の一言に、群衆が色めき立つ。
「その情報は本当なのか? 絶対に治ると確約できるのか?」
その中の神経質そうな細面の男がこれまた面倒くさい質問を浴びせてきて、アンクルが呆れたようにため息をつく。
「絶対などというものは世の中に存在せんよ。ここでわしらを殺して僅かな可能性を全て潰すか、生かしておいてもう少し様子を見るのか、好きな道を選べばいい」
「やだよ! アンクルを殺すなんて────」
話を遮るように叫んだ子供をクックルが軽くつついてたしなめる。
「しっ、黙ってなさい。大人の会話に割り込むんじゃないの」
「だって、だってクックル……皆、死んじゃやだよお……」
わあわあと泣き出した男児につられ、周囲の子供たちまで涙目になってきて、弱り果てたアンクルが慌てて屈みこむ。
「ああ、泣くな泣くな! 言い過ぎたか、すまない……」
黙って話を聞いていたポピーが歩み寄り、泣いている男児に声をかけた。
「死なせないよ。誰も」
「ポピーさまぁ……」
子供たちは皆鼻をすすりながらアンクルにべったりとくっつき、強く抱き着いている。そんな子供たちをアンクルは慈しみの目で見守り、少し困ったように笑った。
伝説の魔物使いだというグランバニア王以外でこれほどに仲の良い人間と魔物がいただろうかと、群衆は当惑の眉をひそめてその様子を眺めた。
真率な表情を浮かべたティミーが落ち着いた声音で群衆に訴えかける。
「父が戻るまで……もう少し時間が欲しい。それまでの間、薬草を援助することもできるよ」
一人一人を真っ直ぐに見つめる一国の王子直々の切実な訴えは、群衆の心を揺り動かす。
ひそひそと会話をする者、どうしたものかと視線を絡ませる者と様々ではあったが、そこへオークスの声が後押しをする。
「魔物でも構わないのなら、優れた回復呪文の使い手はこの国に山ほどいるぞ。おれは蘇生の呪文も使える」
幾人かがオークスを凝視した。
藁にもすがりたいといった様子の受け取る人によっては都合良くも感じる眼差しを、オークスは穏やかに受け止め、彼らへ頷いてみせる。
「少なくとも王の元に集まったおれたちには、人間を傷つける理由はない。それだけは分かって欲しい」
言葉を選びながらとつとつと噛み締めるように語るオークスの横に、宿屋の女将が並ぶ。
「うちのバカ息子はね、この二足歩行の豚から槍の使い方を習ったんだよ。言葉も通じなかったのにさー」
ピピンの母に二足歩行の豚と言われた当人が不服そうにぶふと鼻を鳴らし、それを聞いた民衆にも笑いが起こる。
「……女将……せめて猪と言ってくれ……」
「あら、あんた猪だったの!? あっはっはっ、ごめんねえ〜! まあどっちでもいいじゃないか、そんなの!」
目尻の皺を一層深くした女将が快活に笑ってバシバシと彼の背を叩く。だがすぐにその手を止め、他国からの闖入者を満遍なく見渡す。
「今までこの子と会話なんてしたことがなかったんだよ、身振り手振りはしたけどさ。魔物の中には喋るのもいるけど、殆どは人の言葉が難しいみたいでね」
女将の肉付きのいいぽってりとした手が、ぽんと小さな音を立てて優しくオークスの腕に触れた。
「王族と魔物の言葉が信用できないって言うなら、グランバニアで長年宿屋を営んできた、女将のあたしも保証するよ。この子たちは脅威じゃないってね」
ピキーッとクックルが小さく鳴いて、よたよたとよろけながら歩み出てくる。
「こっちを見てご覧なさいな、アタシなんてこうよ。これのどこが怖いって?」
またまた子供たちに撫でくり倒されてもみくちゃになっていて、「あんたたち乱暴すぎるわヨ」などと子供に忠告をしてから話を続けた。
「怖いっていうのはさっきの赤毛の騎士たちのほうよ。あの人たちのボスって天使様なんでしょ、敵に回したくないわァ……でもそのお陰で、魔族じゃなくてもこうして人間とお喋りできるのよねェ。不思議なことに」
クックルの艶やかな毛並みは、小さな手が縦横無尽に這い回ったせいでもはや原形をとどめていなかった。後の毛繕いにどれだけ時間がかかるだろうかと嘆息しつつも、人の子が幾度も嬉しそうに撫でてくる姿が微笑ましく、クックルは止める気にもならない。
乱れ切った羽根をくちばしで丁寧に整えながらのクックルの言葉は、闖入者たちに先程のオスカーの戦いぶりを思い出させ、城内はしんと水を打ったように静まり返る────王妃ビアンカが攫われた晩を彷彿とさせるほどに。
人々の息遣いだけが微かに聞こえる中、ティミーがおもむろに沈黙を打ち破った。
「……武器はこちらで全て没収します。いいですね?」
勇者と崇められてきた王子の視線の強さに気圧され、リーダー格の男が神妙に頷く。
後に長らく語られることとなる決戦の始まりは、ここで一応の決着をみせた。
ティミーと仲間たちが対話をしていたちょうどその頃、アンジェリークたちは大会議室へと辿り着いていた。
女王陛下を護るようオスカーとランディが前に立ち、剣に手を添えて硬い表情を見せる中、ルヴァがいつもの調子で佇む────実は彼もそれなりに緊張はしていたが、それを表に出さないようにしていた────扉の前で仁王立ちしている兵士が口を開いた。
「何用ですか。今は誰もお通しできません」
警戒し強張った顔をそのままに、兵士ピピンが問う────ターバン頭になんとなく見覚えのある人間だと思ったが、誰に化けているか分からない。用心するに越したことはないと判断して訝しむ。
ルヴァはこの反応も想定内だったようで、穏やかな顔のままだ。
城を守る兵士として、この警戒ぶりは実に正しい。過去の出来事から着実に学んでいるのだと察した。
「突然の来訪を失礼いたします。私はリュカ王の友人で地の守護聖ルヴァと申しますが、王妃様に拝謁を賜りたく……」
話の途中で扉が開き、隙間から細い腕がにゅっと伸びてくる。
「ちょっとピピン、どいて!」
声と同時に兵士が思い切り後ろに引っ張られ、その陰から見慣れた顔がひょっこりと現れた。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち