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しょうきち
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novelistID. 58099
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冒険の書をあなたに2

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 微動だにせず遠くに視線を飛ばしたアンジェリークが、長い睫毛を一度閉じ合わせた。
「……それでもまだまだ足りないはずよ。リュカさんが戻るまで、なんとか支えられたらいいんだけど」
 物憂げな声でそう語ると翠のまなざしが再びルヴァを捉え、思案に耽る顔で祝福の杖を胸に抱え込む。
 湿度を多く含んだ風が弱まり、周辺から立ち上って来た濃密な森の香気が鼻先を掠めていく。ルヴァはその爽やかな香りを心地よく思いながら言葉を紡いだ。
「リュカを探すにしても、私たちが過去へ行けるのかどうか、これから情報を集めなくてはいけませんからねえ……おや、もう行かれますか」
 つま先を階段へと向けたアンジェリークが、首を傾けてルヴァを促す。
「ええ。ルイーダさんにも挨拶したいし」
「そうですね、そろそろ行きましょうか」
 二人が立ち去った後間もなくして、雲の切れ間から溢れた光が海原目掛けて天使の梯子を下ろしていた。

 一方、ルイーダの酒場では────
 ティミーとランディを引き連れて少しご機嫌なビアンカが、この酒場の主であるルイーダへと片手を振ってみせる。
「こんにちはルイーダ。ちょっと一服しに来たんだけど、今忙しいかしら」
 グランバニア全住民の避難指示が解除され、取り急ぎディナーの時間帯に備え何かの煮込み料理を作り始めていたルイーダが顔を上げ、恭しく一礼をしてからにっこりと微笑む。
「どうぞゆっくりしていってくださいな。お茶になさいます? エルヘブンから届いた新茶がありますわ」
 実は時間が押し迫っていて人手が欲しいくらいだったルイーダだが、王妃の前で慌ただしい動きは一切見せず、てきぱきと手際よくお茶の準備を始める。そんなルイーダの背に、ビアンカが言葉を返す。
「もうそんな季節なのねー。じゃあわたしはそれで! ランディさんはどうする?」
 ルイーダの視線がちらりとランディに注がれた。
「あ……じゃあ、俺も同じのにしようかな」
 そもそもこの店に何があるのかが分からないし、とランディは頭を掻いた。その横で兜を脱いだティミーがふうと一息ついて首を回していた。
 疲労でややぐったりした様子の息子を優しい目で見つめながら、ビアンカが催促の言葉をかける。
「ティミーは何にするの」
「ぼくはコールドベリーのジュースにするよ」
 コールドベリーはチゾットの中腹やエルヘブン北側で主に採れる、見た目も味も桑の実に近い果実である。比較的標高の高い寒冷地で良く育つ落葉低木で、秋から冬にかけて実が熟す。
「かしこまりました」
 ルイーダは湯を沸かしている合間にも、煮込みの下準備も忘れない。ぱっぱと幾つもの小瓶の蓋を開けて小皿にハーブを取り、まとめて鍋へと放り込んでいる。
 木べらで掻き混ぜた拍子に匂いが立ち、その美味しそうな匂いにつられるようにランディのお腹がぐうと鳴った。慌ててお腹を押さえて赤くなるランディをルイーダは微笑ましく思い、提案を持ちかける。
「チゾット鹿のパイで良かったら、すぐご用意できますよ」
 紅色の口元が嫣然と笑みを形作るが、対してランディは困り果てた顔で口ごもる。
「……食べたいんですけど、あの俺、こっちの世界の通貨を持ってなくて……」
 ランディは守護聖として視察に出掛けた際でも、立場を利用して好き放題飲食することは少ない。できることならきちんと自分のお金で取引したいと考えているためだ。
 ここに先輩であるオスカーやルヴァ、女王陛下であるアンジェリークがいたのなら話は違ったが、どう振る舞っていいかと思案に暮れて正直に答えた。
 若者らしい謙虚なその姿勢はビアンカとルイーダには好印象だったようで、特にビアンカが嬉しそうにランディの二の腕の辺りをぺしぺしと叩きながら喋り出す。
「もーやだぁランディさんったらかーわいい!! 何にも気にしなくていーのよ、あなたはわたしたちのお客様なんだからそんなこと言わないで。ルイーダ、わたしのも頂戴。ティミーも食べられるでしょ?」
 矢継ぎ早に捲し立てると淡い青の瞳が悪戯っぽい笑みを浮かべ、ティミーとランディの顔を交互に覗き込む。
「ん、余裕。あと十個は入るよ」
「えっと……じゃあ、いただきます。ありがとうございます」
 そうしてすぐに温められたチゾット鹿のパイが三人の前に置かれ、続いてコールドベリーのジュースとエルヘブン産の紅茶一式も出された。
 手袋を外し、おしぼりで両手の汚れを落としたティミーがさっくりと焼き上がったパイ生地のふちを手で掴み、豪快にかぶりつく。
「んー、おいひー」
 大きな一口だった。緊迫した場面を無事に切り抜けたせいか、落ち着いた途端にティミーの胃袋も空腹を訴えていたようだ。そのまま幸せそうに咀嚼している。
「あっこら、またナイフとフォーク無視して」
 テーブルマナーについて小言を言い始めたビアンカをよそにティミーは平然と手掴みで食べ続け、ジュースを一気に飲み干すとしれっと言い返した。
「こんなのでちまちま食べてらんないよ、お腹空いたんだもん。あ、ランディ様も食べてみてよ。美味しいから!」
 母と息子の会話を聞きながら紅茶を口に含んでいたランディが、促されるままパイを切り分けて口に運び、深い青の目を丸くする。
「……ほんとだ。ちょっと香辛料が効いてて美味しいなあ」
 新鮮な鹿肉自体それ程臭みはないが、香り高い香辛料とマッシュポテトがほんのりと風味を引き立てており、後を引く美味しさだった。
 ナイフで切り分ける大きさが徐々に大きくなっていくのを見ながら、ルイーダが簡単に説明を入れる。
「ここのすぐ近くにチゾットっていう険しい山があってね、そこの崖に住んでる鹿なの。粗びきにしてスパイスと一緒に炒めてるのよ」
 一口一口を噛み締めながらじっくりと味わっているうち、一切れのパイはすぐになくなってしまう。
 きゅっと口元を拭ったランディが、ルイーダへと真っ直ぐに視線を向けてお礼を告げる。
「ご馳走様でした、ほんとに美味しかったです!」
 人懐こい笑顔と礼儀正しさがもたらすランディの好青年ぶりは、どこか国王の若い頃を思い起こさせ、ルイーダの目尻も下がる。
「こんなもので良かったら、いつでも食べにいらしてね」
 そこでティミーが何かを思い出したように、カウンターの向こうにいるルイーダに話し掛けた。
「そうそう、ルイーダ。前にさ、天使様と賢者様が来た時のこと覚えてる?」
「ええ、覚えてますわ。とても仲のいいお二人でしたわね」
「ランディ様はあの人たちの仲間でね、今回ポピーが連れてきてくれたんだけど、人数が全部でー……」
 そこでティミーのまなざしがランディへと向かい、ランディは求められた答えをすぐに答える。
「女王陛下と補佐官、あとは俺たち守護聖九人の、合計十一人だね」
「だそうだよ。勿論こちらでおもてなしするけど、細かいところはルイーダに任せてもいいかな」
 グランバニアでは王族の食事はある程度給仕の時間が決められていて、来賓であっても同様であった。この酒場は兵士の食事を賄ってもいるが、来賓に自由に飲食して貰う場でもあるのだ。その通達がある場合には、一般兵たちの食事場所は別の部屋に変えられる。