冒険の書をあなたに2
「……悪いな、シンデレラ。十二時だ……」
口から出た言葉は同情の思いを内包したせいか、酷く寂し気に響いた。
ここから先、彼女が生き延びる道はない。そもそも元の魔物の姿をはっきりと思い出せるにも関わらず、本物よりもずっと無邪気な瞳の女が哀れに思えて、オスカーは小さく唇を噛んだ。
その表情を見たジュリアスが一言言い放つ。
「情は要らぬぞ」
「……承知しております」
息を弾ませながら近づいてきたティミーが、捕らえられた女の姿にぎょっとした顔で一瞬立ち止まる。
「……今度はアンジェ様か」
どこまで模倣されているのかは分からないが、アンジェリークが本来持っている魔力は桁違いだ。マダンテを使われなくて良かったとティミーは心底思う。
そして、天空の剣を天に翳して叫ぶ。
「お二人とも離れてください!」
ジュリアスとオスカーがすぐに女から離れた。
オスカーは一瞬の隙に逃げるのではないかと思ったが、女はこの後に待つ運命を受け入れているのか、穏やかな表情でうつ伏せたまま静かに目を閉じる。
天空の剣が凄まじい輝きを放ち、一同は眩しさに目を開けていられない。
そんな中でオスカーは空いた左手を眼前に翳して光を避け、剣を持ち直して身構える。
どろ、とアンジェリークの姿が崩れた。
咄嗟にサングラスをかけたゼフェルは、精巧に造られた蝋人形が熱で一気に溶けていくような様子を興味深げに見つめていた。
アンジェリークだったものは今、オスカーの膝下くらいの高さで真っ赤なゲル状になり、うぞうぞと蠢いている。
ティミーが呪文の詠唱に入った隙に、まずはオスカーが先制してばっさりと切り下げていく。
ジュリアスがゼフェルの隣へ並び立つと、やや興奮した様子でゼフェルが話し掛けた。
「オスカーがまともに戦ってんの、初めて見たぜ」
「そうであろうな……聖地でこのような実戦はまず見られまい」
そのほうがいいと思うが、とジュリアスは心で呟く。
「オスカー様離れて!」
怒号に近いティミーの大声が響く。彼の体の周囲がばちばちと爆ぜて、帯電しているような様子が視界に入り、オスカーは慌てて飛び退いた。
それと同時に、勇者だけが使える呪文が発動する。
「ギガデイン!!」
白銀色に輝き爆ぜて落ちてくる雷が、すぐにジェリーマンの体を直撃した。
重く轟く音と、目まぐるしく入れ替わる激しい光の洪水────それらが治まった頃、ぶすぶすと黒煙を上げた塊が視界に映り込む。
ジェリーマンだったものは今の攻撃で蒸発したのか、黒く変色し人間の頭程度の大きさになり、ぴくりとも動かない。
ティミーは掲げていた剣を持ち替え、既に瀕死となった塊へ向けて思い切り突き刺し────ジェリーマンは砂と化した。
緊急招集により聖地サイドから全ての人員が、グランバニアからは王妃と子供たち、サンチョとマーリンが大会議室に集まった。
まずはティミーが襲われたときの説明をし、それからルヴァとジュリアスが同様に起きた出来事をかいつまんで説明すると、すかさずマーリンから手が上がる。
「……よろしいですかな」
それへアンジェリークが頷いて見せる。
「このジェリーマンという魔物は元来、我々魔物にのみ化けられる奴らでしてな、これまで人間に化けた試しはないのです」
マーリンの言葉に、ビアンカと子供たちも頷いている。ルヴァが興味を引かれた様子で問い返した。
「では、何がしかの要因により変化の範囲を広げたと?」
「そう考えて良いでしょう。現在絶滅した魔物の中には、人に化けていた魔物もいたようですがの」
ルヴァは顎に手を当てて、ひとつひとつの情報という点がどこかで線になりはしないか、思案を巡らせる。そして二、三度瞬きをしてからゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……妙に子を生すことへ執着しているのが気がかりです。彼ら同士の繁殖に人間は無関係の筈なのに、何故わざわざ人の姿を真似るのか……」
人間の子種と胎を必要とする、その意味は何なのか────ルヴァの中で早速幾つかの考察が始まり、それきり言葉が途切れる。
物思いに沈んだルヴァの代わりに、オスカーが沈黙を破った。
「どうやら黒幕もいるようだしな。あれはセンセイと呼んでいたが」
ジュリアスがそれへ頷き、ちらとアンジェリークへと目を向ける。
「人の子を得るために、標的の親しい者に化けていたようだ。理屈の上では確かに、全くの他人よりは成功しやすいだろうな」
あの魔物が「好きな人と」と言っていたのを思い返し、オスカーの視線がちらりとゼフェルを追う。彼は微かに眉根を寄せ俯いている。
ゼフェルの前に現れたのがアンジェリークだったということもあり、オスカーは誰に化けていたかは公表しないようジュリアスとティミーに進言していた。
好意を持っていた相手が誰であるかが明らかになってしまうのは要らぬ火種となると懸念しての意見だったが、幸いにも二人はそれを快諾し、女の姿については伏せて説明をしたのである。
光の守護聖の言葉に深く頷いたマーリンが、低い声で言葉を紡ぐ。
「花が蜜を出して虫を誘うように、彼らもまた子を生しやすい姿に変わるのでしょうな……」
そこで何かを思い出した様子で、ティミーが口を開いた。
「ねえ、人に化けてたと言えばラインハットの太后様だよね。お母さん、お父さんから詳しく聞いてる?」
訊かれたビアンカは片方の頬を手のひらで押さえ、困り顔をして答える。
「うーん……本物は地下牢に入れられてたってのは聞いたけど……結婚前の話だし、あんまり詳しくは聞いてないわ」
再び重い沈黙が室内を覆った。数秒して、ゼフェルが退屈そうに机に両腕を組み、顎を乗せた姿勢でポピーへと話し掛けた。
「なあポピー、そのジェリーマンが使う変化って、なんかそういう呪文があるのか?」
「あ、はい。ジェリーマン以外に使っている魔物や人は見たことないんですけど、モシャスっていう古代呪文のひとつらしいです」
ポピーの言葉に、ルヴァの眉がぴくりと動く。
(……いま、何かが通り過ぎた、ような)
ルヴァの頭の中をひらめきが掠めていったが彼はそれを捕まえきれず、何かの手掛かりになるかも知れないとすぐにメモを取り始める。先程からの要点を片っ端から書き出してみて、ふとあることに気が付いた。
「マーリン殿、さっき絶滅した魔物と仰いましたね。その魔物について、何かご存知ですか」
「さあて……古い文献にはマネマネという魔物がモシャスを使うという少々の記述があったのみでしてな。オロバスならば知っているのでは?」
ルヴァは一瞬言葉に詰まり、言い辛そうに話し出す。
「それが……オロバスは、先程の戦いでバラバラになったままで」
間髪容れずにティミーの声が飛んでくる。
「え、死んじゃったの?」
避けていた言葉が出てきて、ルヴァは思わず眉根を寄せた。
「…………恐らく」
苦々しい口ぶりにも負けず、ティミーが話を続ける。
「じゃあ復活させてあげようよ。ぼくがザオリクしようか」
「なりません!」
口を開きかけたサンチョよりも早く、強張った顔でマーリンが制止し、その剣幕にティミーは驚いた顔でこくりと頷く。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち