冒険の書をあなたに2
「大声で大変失礼をいたしました。復活ならば杖で十分。すぐに持って参りましょうぞ」
そう言って静かな足取りで退出していく老魔法使いの小さな背中を一同は見送り、扉が閉じられてからランディが不思議そうに口を開いた。
「あのう……なぜあんなに怒ったんですか」
その質問へ、サンチョが答えを返した。
「対価が必要な呪文だからです」
「え、対価っていうと」
青い瞳を丸くさせたランディへ向け、サンチョの言葉は続く。
「神の領域を侵す呪文ですから……詠唱者の寿命を、使うことになります」
「使うごとに寿命が縮むってことですか……?」
ランディの少し掠れた声に、緊張の色が見える。その問いへサンチョはひたと視線をかち合わせてから、ゆっくりと頷いて見せた。
ポピーが彼らの気まずそうな空気を緩和させようと補足の言葉を紡ぐ。
「殆どの呪文は精霊さんの力を借りて行使できるんですけど、中には自分の寿命を削る呪文が幾つかあるんです」
そう話すポピーを見つめながらティミーが両腕を頭の後ろで組み、椅子の背もたれに身を預ける。
「ぼくだってそれは知ってるよ。お父さんもあんまり使うなって言うけどさ、使えるもんは使ったほうがいいでしょ。すぐ助けてあげられるのに使わないなんて────」
不服そうなティミーの言葉を鼻で笑う声がした。声のするほうを見れば、オスカーが冷ややかな目でティミーを見ている。
「そうして自分を犠牲にして、ぽんぽん助けた結果が早死にか。次期国王が聞いて呆れる」
露骨な批判に、ティミーの顔が赤くなる。
「なんだと……っ!」
今にも食いついてきそうな睨みを気にも留めず、オスカーは飄々と批判を続けた。
「奥の手はな、しっかり取っておいてこそ奥の手と言うもんだ。命の大安売りはやめておくんだな」
余りの言われように、悔しさからぎりと奥歯を噛み締めるティミー。
おまえに何が分かると言いたいのを堪え、拳を握って沈黙を貫く。
オスカーと同じことを、サンチョやマーリンからも言われてきている────そして、そちらの言い分が正しいこともまた、ティミーは分かっていた。
それでも、誰にでも習得できるわけではない呪文の使い手であるからこそ、助けてあげたいと思うのは間違いなのか。ティミーの中でそんな反論が沸き起こり、かと言ってそれを言葉にすることも躊躇われ、行き場を失くした拳は力なく下ろされた。
対して、オスカーは彼が稚拙な言い分で食って掛かってくるのを予想していたのに、喉まで出かかったであろう幾つもの言葉を堪える姿に驚き、称賛のまなざしを送った。
「……使うなとは言わん、有効に活用するならもっと厳選して大切にしろと言っている。無限のものなどこの世にはない」
国の舵取りを担い民草の命運を握る立場の者が、自らの命を軽視する────これは由々しき問題だ、とオスカーは思う。
ジュリアスが目を伏せたまま、オスカーを諫めた。
「いい加減にせぬか、オスカー」
穏やかだが有無を言わせない厳格さを持って、ジュリアスの声が響いた。
「はっ……申し訳ありません。少々言い過ぎました」
それまでティミーとオスカーのやりとりを聞いていたランディは、机の上で組んだ両手にぐっと力をこめ言葉を紡ぐ。
「俺は、ティミーの考え方のほうがいいと思います」
「……!」
悔しそうに唇を噛んで俯いていたティミーが、ぱっと顔を上げてランディを見た。
「オスカー様の仰ることも、正論だって思います。けど、もし俺にティミーと同じ能力があったら、俺だって目の前の人を助けたい」
ランディの青い瞳が真っ直ぐにティミーへと向かう。同意を求めるような視線にティミーはほんの少し照れ臭そうにはにかみながら、しっかりと頷いた。
口元をきゅっと引き結んでから、ランディが言葉を続ける。
「お子様だって笑われてもいいです。俺、間違ったこと言ってるなんて思わないから」
ランディが放った率直な意見は、いわゆる大人寄りの考えを持つ者たちを黙らせた。
アンジェリークは彼らのやり取りを微笑ましく思うと同時に頼もしくも思い、そして自らを戒めるために、黙したまま耳を傾けていた。
そこへ、小さなノックとともにマーリンが戻ってきた。
「お待たせしましたな。これが『復活の杖』と申しまして、半々の割合で魂を呼び戻すザオラルという呪文の効果があります」
守護聖たちが皆珍しそうにマーリンが掲げた杖を見つめる。
透明度の高い桃色の宝玉が上下についていて、杖の天辺には翼を大きく広げた女性の上半身が施されている、とても美しい杖だ。
リュミエールがふと思い浮かんだ疑問を口に出した。
「これは使っても使用者の寿命に影響はないのですか」
「ええ、何度使おうとも術者の魔力は使いませんのでな」
マーリンの説明もそこそこに、アンジェリークは杖の造形に興味がわいてくる。
「マーリンさん、ちょっとその杖よく見せてくれる?」
どうぞと手渡された復活の杖の天辺を、アンジェリークはしげしげと眺め入る。数秒を経ておもむろに口を開いた。
「こっちの女性も、祝福の杖のモチーフと同じ人みたい……ねえ見て、ロザリア。わたしこの人のお顔、先代の女王陛下に似ているって思うのよ、どう?」
そう言って祝福の杖を持ち出し、ロザリアの前に並べて見せる。
「陛下、今はそれどころじゃ…………あら本当ですわね」
並べられた杖二本をひょいと持ち、ロザリアもまた興味深げに凝視している。
「それにしても、なんて軽いんでしょう。補佐官の杖に比べたら雲泥の差だわ」
ロザリアの何気ない一言を聞きつけて、アンジェリークは新緑の瞳を輝かせる。
「この二本だったらどっちが軽い?」
「そうですわね……どちらも同じくらいに思えますわ」
突然奇妙な質問をされたロザリアが、不思議そうにアンジェリークの顔を見た。
アンジェリークは口元に柔らかな笑みを湛えたまま、静かに席を立つ。その足でルヴァのもとへ向かい、先程から考え込んだきりの彼の肩をトントンと叩いた。
「はっ……あ、陛下。どうされましたか」
物理的な刺激でルヴァは思考の海から現実に引き戻され、きょとんと視線が宙を彷徨っている。
「オロバスを出してくれる?」
いつものことと理解しているアンジェリークは気にも留めずに問い、ルヴァもすぐに彼女の言葉へ反応する。
「あー、はい。少々お待ちを」
懐から束ねられたオロバスを出して、アンジェリークに手渡した。
綺麗に纏められた束をそうっと抱え、アンジェリークはロザリアへと視線を投げた。
「ロザリア、復活の杖を使ってみましょう」
「えっ……!?」
突然の話に流石のロザリアも驚きを隠せない。すっかり目を丸くさせて戸惑っていたが、アンジェリークは更に言葉を続けた。
「だめならだめで、使える人にお願いしたらいいのよ。あなたが使いこなせたらとっても心強いから、試してみて」
アンジェリークの目がじっと注がれ、ロザリアは意を決した様子で頷いて見せる。
「……かしこまりました。もう、言い出したら聞かないんだから」
「ふふ、ごめんね」
くすりと笑っているアンジェリークをちらと見て、呆れながらプライベートのときの口調で言い返す。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち