冒険の書をあなたに2
言った矢先に階段に躓き、後ろにいたゼフェルが慌てて支えた。
「自分で言って即コケてんじゃねーよ、ったくジジくせーな……」
今回も入城した途端にアンジェリークの背には翼が現れていたが、それ以上に守護聖たちが天空人の注目を集めていたため、訝る視線が突き刺さるようなことはなかった。
ジュリアスやクラヴィスが歩を進める度に周囲のどよめきが大きくなっている。
他者からの遠慮ない視線に慣れてしまっている彼らは、少々不躾なそれらにも全く動じる様子を見せない。いちいち気にしてはいられないほど長く守護聖を勤めてきたからだ。
そんな様子をアンジェリークは後方から眺め、微かに笑みを浮かべた。
「……やっぱり、合うわね」
隣にいたロザリアが、そんな呟きに反応を示す。
「何がですの?」
「前にね、このお城にジュリアスがいそうだなって思ったことがあるの」
彼らに視線を縫い止めながらどこか嬉しそうな声音でそう告げたアンジェリークの話に、くすりと笑みを漏らして納得したように深く頷く。
「ああ……確かにそうですわね」
ロザリアは心の中で「だからか」と思った────守護聖全員を連れてくる計画そのものはルヴァの後押しもあったと言うが、今悠然と前を歩いている光と闇の守護聖の執務服は、まだ自分たちが女王候補として互いに切磋琢磨していた頃のものだったからだ。
そして女王交代を経て幾度か変わった執務服の中で、この荘厳な白亜の城に一番似合うのも、やはりあの当時の衣装である。
そう思っていたのはアンジェリークとロザリアだけではなかったらしく、天空人の他にいつもは城の中で世界樹の世話などをしている筈のエルフたちまでが、扉から恐々と顔を覗かせていた。
ざわついたままの彼らの横をすり抜ける際、オリヴィエがひらひらと片手を振ってぱちりとウインクを決めてみせた。
「ハーイ、ちょっとお邪魔するよ」
好奇心旺盛ながらも臆病なエルフたちが、小さく悲鳴を上げ慌てて顔を引っ込める。
「あーらら、隠れちゃった」
残念そうなオリヴィエの声に、すかさずオスカーがツッコミを入れた。
「いきなり気持ち悪い生き物を見たせいだろうな、可哀想に」
「むしろアンタに食われるとでも思ったんじゃない?」
オスカーの軽口を鼻で笑い飛ばしてオリヴィエは言い返すが、オスカーは全くへこたれる様子もない。
「俺はただ怯える小鹿たちにこの胸を貸してやるだけさ。俺の熱いハートで誠心誠意慰めて、それから────」
オスカーが陶然と言い終わる頃、隣にいたはずのオリヴィエは既に先へ行っていた。
神鳥の一行は先導する母子についていき、謁見の間に辿り着いた。竜の神マスタードラゴンが堂々たる姿で見下ろしてくる。
「我が名はマスタードラゴン。世界の全てを統治する者なり……よくぞ来たな、異世界の者たちよ」
腹に響く低い声を、アンジェリークとルヴァは密かに懐かしむ。恭しく一礼をしたアンジェリークが口を開いた。
「お久し振りです、マスタードラゴン様。わたしを覚えていらっしゃいます?」
マスタードラゴンのまなざしがふっと和らぎ、一度瞬きをしてから話し出す。
「無論だ。久方振りの再会、嬉しく思っている……が、今回は大人数だな」
やや苦笑気味に話すマスタードラゴンの視線が守護聖たちからゆっくりとアンジェリークへと戻り、彼女は微笑みを浮かべ頷いて見せた。
「ポピレアからの要請を受けて、わたしの補佐官と守護聖一同を連れてきましたので、ご挨拶に伺いました」
アンジェリークはそう言ってから隣のルヴァへと目を向けた。守護聖を代表して話せと言いたげな視線を感じ、ルヴァは筆頭守護聖を差し置いてか、と僅かに驚きの色を滲ませて自分を指差してみたが、満面の笑みで頷かれてしまった。やれやれとほんの少し肩を竦めつつ、マスタードラゴンへ話を切り出してみる。
「あー、リュカが過去から戻れなくなっているようでして、私たちはその手掛かりを探しに来た次第です」
マスタードラゴンは首を傾げひととき考え込むようなそぶりを見せ、グルルと喉が鳴った。
言葉を持たない単なる音として響き渡った呻きのようなものだったが、すぐに彼の言葉は紡がれた。
「砂絵が変わってしまったという報告は既に届いている。私もできる限り力になろう」
「ありがとうございます。また色々と調べたいことがあるので図書室を使わせていただきたいのですが……その前に」
ゆったりとした口調でそこまで声にして、ルヴァの目の奥に鋭くも強い光が宿った。
「先程、ラインハット城および城下町全域にて、住民全てがいなくなっていました。彼らがどこへ行ったのかご存知ないでしょうか」
ルヴァの口調は更にゆっくりと、一言一句を聞き洩らされぬように落ち着いた声音へと変わった。
その間も彼は身じろがず、瞬きさえもせずにただじっと竜の神を見つめ続けている────不遜な振る舞いと言える程に。
隣で伏し目がちに会話を聞いていたアンジェリークは、ルヴァの声色で彼がマスタードラゴンに対して何かを疑っているのかも知れないと感じていた。
「ふむ……確かに人間の気配が一気に消えたまでは把握したが、何があったのかまでは私にも分からぬのだ。そなたたちにはそれも含めて調べて貰いたいのだが、頼めるだろうか」
言葉が途切れ、再びマスタードラゴンの喉が鳴る。
静まり返った謁見の間は静寂の中に微かな緊張を孕んだが、ルヴァは穏やかな顔のまま、真っ直ぐに竜の神を見据えていた。
「分かりました、では質問を変えます。進化の秘法とは何ですか」
グル、と短い唸り声が響いた。
ゆっくりと瞬いたマスタードラゴンが、金色の瞳でルヴァをじっと見下ろす。
「……全ての災いの元だ。この世に在らざるべきものを作り出す、禁忌の秘法……」
「なるほど」
ルヴァの返答もまた短く、その先の言葉を促していた。
「リュカ一家が討伐した魔王もまた、元は人間だった者。進化の秘法を用いて究極の進化を遂げたのだ」
「……! ではやはり、」
「その辺りも書庫に記録が残っているだろう。司書に尋ねてみるといい」
ルヴァの言葉を遮るようにして告げると、マスタードラゴンは静かに目を閉じる。
その仕草に会話の終わりを感じ取ったルヴァは、言いかけていた言葉を飲み込み仕切り直した。
「そうですね、調べてみます。ありがとうございました」
その後ルヴァは図書室へ向かいながら、先程のマスタードラゴンの様子について考えていた。
ルヴァの少し後ろを、アンジェリークがついていく。ロザリアと他の守護聖たちにはマスタードラゴンの了承を得て自由に散策するよう指示を出し、何か考え込んでいる様子のルヴァの意見を聞こうと思ったのだ。
「ねえルヴァ、さっき何を言いかけてたの?」
やや大股で前を歩くルヴァはいつものゆったりとした速度ではなく、どこか急いでいるようにも見えた。
ちらと後方のアンジェリークへ視線を流し、彼女の速度に歩調を合わせたルヴァが声を潜める。
「……失踪の件を調べて欲しいと言っていましたが、それ以上の何かを我々にさせようとしている気がしましてね。杞憂ならばいいのですが」
「何か知っている感じだったけど、先に調べてくれって言いたげだったわよね」
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち