冒険の書をあなたに2
競歩レベルの早歩きで辿り付いた女王執務室内には、探し人はいなかった。
女官に訊けば既に私室へ戻られたという────ルヴァには想定内の状況だったが、私室となると逢わせて貰えない可能性が高まった。執務室を出てからさてどうしたものかと思案に耽る直前、悪魔の書が喋り出す。
「さっきあんたを殴ってったおっかねーのが、女王なのか?」
ひょっこりとルヴァの懐から抜け出て、目の前を浮遊する。
「ええ……」
「女王の部屋に本棚はあるか?」
発言の意図が掴めず、僅かに首を傾げるルヴァ。
「え、ええ……ありますけど、なぜです?」
「オレが様子見てきてやろうか」
近くを通った女官が目を見開いて悪魔の書を凝視していたが、ルヴァと会話をしているため「地の守護聖コレクションのいわくつき物品」と認識されたらしく、特に叫ばれることもなかった。
「で、できるんですかそんなこと」
「本棚のあるところならどこにでも行けるぞ。どこかの本棚にオレをしまってくれればいい」
執務室の一角には応接スペースがあり、そこに小さめの本棚があると思い出し、ルヴァはひとつ頷いて彼に釘をさす。
「行くのはいいんですけど……もう呪文を使ってはいけませんよ、いいですね?」
「分かった。ちょっと様子見てくるだけだよ、なんかオレが悪かったっぽいし」
決して悪気があったわけではなかったが、どうやら自分のせいで女王がご立腹なのは理解できた。この地の守護聖とやらは戦いに敗れた自分の頁を丁寧に元に戻し、それだけではなく見かねて修繕までやってのけたお人好しだ。可哀想だから誤解を解く手伝いをしてやろう────そんな思いで買って出たのだった。
そしてルヴァは再び女王執務室へ足を踏み入れ、本棚から一冊の本を抜き取り、入れ替わりに悪魔の書をしまい込む。
すぐに緑色の表紙がぼんやりと光を放ち、煙のように跡形もなく消えていった。
(大丈夫でしょうかね……悪さをしなければいいんですが)
それからものの三分と経たない内に、悪魔の書は戻ってきた。
自力で出てこようとしていたが何かが引っかかっている様子でもがいていたため本棚から引っ張り出してやると、その変わり果てた姿にルヴァは思わず叫びそうになった。
「……ごめん、まともに話できなかった」
表紙の目玉に深々とケーキフォークが突き刺さった無残な姿で、悪魔の書は落ち込んだ声を出した。
「それよりあなた、それ……大丈夫なんですか」
書物の魔物ゆえ血や体液のようなものは出ていないが、目玉の中央からぷらぷらとフォークをぶら下げている図はなかなかに怖い。
「邪魔くさいから抜いてくれ。致命傷にはなってないから、ほっとけば治る」
言われた通りにすぽんと引っこ抜くと、刺さった跡がすぐに見えなくなった。
「あの、これは誰にやられたんです……?」
まさかアンジェリークだろうか、と恐る恐る訪ねた。
「女王に近付いたら側にいた青い髪の女に刺されて、それから杖で床に叩き落とされたけど、なんとか逃げ切ってきた……」
恐るべし女王補佐官の戦闘能力────背筋にうっすら寒気を覚えたルヴァはごくりと唾を飲み込んだ。
「向こうはオレの姿は見てないと思ったんだけどなー。なんでか待ち構えてたみたいにすぐ気づかれたぜ」
本棚から抜け出して声をかける前に、横からいきなり刺された。的確に目玉を狙ってきたあの女は一体何者なんだろう、と悪魔の書は思った。
「それはあなたが魔物だから……なんでしょうね。この聖地は女王陛下のお力によって護られていますから」
流石は女王陛下ですよねと相好を崩したルヴァへ、悪魔の書は呆れたような声を出す。
「それを早く言えよー、ただの刺され損じゃねーか……。んじゃあんたにいい方法を教えてやる、古来から伝わる由緒正しい謝罪だぜ」
そう言って開かれた白紙の頁に浮かび上がってきた絵図を見て、ルヴァがぽつりと呟いた。
「土下座…………」
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち