冒険の書をあなたに2
すんすんと鼻を鳴らしたバトラーがこくりと頷く。
「していますな」
「宝石には何も問題ないっぽかったしなー……匂いの元が中にあるのかもな」
そして引き続き歯車をあちこち動かしては細やかに視線を散らし、異物がないかを確認すること三十分弱。小さな歯車の間に絡まった紐のような異物を発見し、ずるりと引き抜いた。
それと同時に鼻をつく匂いも強まり、三人は救い難い臭さの前に一斉に顔をしかめる。
引きずり出す際に途中でぬるりと千切れ、ゼフェルは手に残った紐状の束に視線を落とした。
「なんだ、これ……マジでくっせーな」
一本一本はとても細く、柔らかな管の集まりのようだ。千切れた側から黄色味を帯びた液体がぼたぼたと垂れ落ちている。
「腐ってるね。でもこれ何なんだろう」
「何かのチューブみてーだけど……」
「…………」
ポピーとゼフェルの指摘に再度鼻先をひくつかせたバトラーが考え込み、おもむろに口を開いた。
「もしや、触手ではないか」
バトラーの言葉に、ポピーの声が思わず上ずった。
「触手……って」
恐ろしい言葉を聞いたかのようにぞっと青ざめ、両手で口元を押さえる。それをちらと一瞥したバトラーが落ち着いた声音で喋り出す。
「……オレには、それがホイミスライムの触手に見える」
二人の会話で何かの死骸とうっすら察知したゼフェルが、頬を引きつらせながら手にしたものをそろりと床に置いた。
バトラーが爪の先で触手らしきものの本数を数え、小さく唸った。
「マーリンに尋ねたほうが良いだろう」
「……分かった、お爺ちゃま呼んでくるね。ゼフェル様をお願い」
ポピーがすぐに部屋を出て行き、残されたゼフェルが歯車へと目を向ける。
「まだ歯車に挟まってんのがあるな……それも取っ払っちまうか」
どちらにしても掃除をしなければと思い直し、歯車と格闘を始めた。
バトラーは無言のまま、ゼフェルの行動を見守っていた。
その頃、一足先にルイーダの酒場に到着していたルヴァがマーリンに知り得た情報を伝えている最中だった。アンジェリークやロザリア、他の守護聖たちも既に到着し、それぞれが好きな席で寛いでいる。
薬草酒を一口含みにこにことルヴァの話に耳を傾けていたマーリンが、一層愉快気に膝を叩く。
「……成程、竜の神も企んだものよの。実に面白い!」
ルイーダのお勧めブレンドだというお茶に視線を縫い付けながら、ルヴァは穏やかに答えた。
「マーリン殿が天空城に入れたのなら、もっと色々手掛かりを掴めたのかも知れませんがねえ。私にはそれがとても残念で……」
マーリンは深い皺に埋もれかけたグレーの瞳を僅かに細め、手にしていた薬草酒のグラスをテーブルに置くと、ゆっくり言葉を紡いだ。
「いやいや、わしなぞ大した者でもない。わしに分かることは、誰でも少ぅし注意しておれば十分気づいた筈じゃよ」
「そうでしょうかねえ……」
未だ納得のいかない顔をしたルヴァが、困惑気味に再び茶に手を伸ばした。
ず、と小さく音を立ててまだ熱い茶を口に含む。どくだみに似た甘い後味がじわりと喉を下っていった。
束の間の沈黙を破る足音が駆け足で近づいてくるのが聞こえ、マーリンはふと出入口へと視線を向けた。
何事かとルヴァもつられて同じ方向を見た矢先、視界に捉えた姿に目尻を下げる二人。
「お爺ちゃま! ルヴァ様、お話し中ごめんなさい!」
焦燥を皮膚に貼り付けたポピーの様子に、緩んでいた二人の顔つきがさっと変わっていく。まずは状況を聞き出そうと、マーリンが落ち着いた声で尋ねた。
「城の中では走るなと言われておるだろうに。何かあったのか?」
「うん……ロビンの中にね、触手みたいのが絡み付いてて……く、腐ってたの」
「……少し待っていなさい」
ポピーに優しく言い聞かせると、マーリンは静かに椅子から滑り降りて魔物たちの控え部屋へ向かった。
数分後に戻ってきたマーリンの顔が少し和らいでいる。
「触手を持つ者たちは全員無事じゃったぞ。少なくとも仲間の誰かではないようだの」
仲間が巻き込まれたわけではないと分かり、ポピーの緊張が緩む。
「そっか……そしたらあれ誰なんだろう。お爺ちゃま、一緒に来て」
マーリンの服の裾を掴んで頼りなさげな顔を見せるポピーに、マーリンは口の端を上げてやれやれと言いたげな仕草をしてみせる。
「あい分かった、そう怯えた顔をせんでもよかろう」
敵と分かれば容赦なく攻撃呪文を放つ娘が、とマーリンは笑い出したくなる。しかし孫のように可愛がってきた手前、そんな臆病な一面もまた愛らしく見えてしまうのだった。
「だって……いつから入ってたのかも分かんないんだもん……」
ふと気付けば、ポピーの手はルヴァの服もしっかりと掴んでいる。直接呼ばれたわけではなかったが、ルヴァはそのまま引っ張られていくこととなった。
「えっ、あの……ちょ、ちょっとポピー!?」
一言行先を告げなくてはと慌てて酒場を振り返り、アンジェリークの姿を探す。
何かを言いたそうな顔のまま引っ張られていくルヴァに、翠の瞳を丸くさせたアンジェリークが「いってらっしゃい」と小さく口を動かし、にこやかに手を振っていた。
ゼフェルはひとつひとつの部品を外し、床の上に順番通りに並べ置いていた。
腐臭には鼻がすっかり慣れてしまい、集中するごとに気にならなくなっていた。
歯車に錆びはなく、布で軽く拭くだけで十分だろう────とその後の段取りについても考えながら、ゼフェルは黙々と作業に没頭する。
背後にいるはずのバトラーはあれだけ大柄な魔物の癖に気配がなく、息遣いすら聞こえてこない。
部品がなくなり見やすくなった空洞部分に光を当てる。底に水風船のような、クラゲのような半透明のものが落ちている。
「……あれか」
先程のあれが触手だとすると胴体か頭なのだろうと思ったゼフェルは、一呼吸おいてから右手を突っ込む。
指先にぬめった感触が当たった。冷たい塊を取りこぼさないようにそっと鷲掴み、ゆっくり時間をかけて引き出した。
ビニール袋に少しだけ水を入れたような感触。ぶよぶよとしたそれを床に置いたときに顔らしきものが見え、やはり何かの死骸なのだと否応にも分かってしまった。
ゼフェルは眉間に深く皺を寄せて小さく舌打ちをすると、おもむろに自分のマントを外して床に敷き始める。一体何をしているのかと訝ったバトラーが口を開いた。
「冷えるぞ」
「分かってる。あとでなんか着るモン借りるさ……床に置きっぱじゃ可哀想だろ、こいつ」
そう言いながら丈の短いマントの上に頭と思しき部分と、先程の千切れた触手を並べている。
「……気持ち悪くないのか」
汚れ一つなかった質の良いマントに腐臭を漂わせた液体が染み込んでいく様を見つめながら、バトラーは呟く。耳の良いゼフェルはそれを聞き逃さず、ちらと背後を振り返った。
「気分のいいもんじゃねえよ。けど、死んだ後まで雑に扱われたくねーだろ、意識とかなくたってさ。なんつーの……尊厳って、あると思うし」
「…………」
バトラーからすれば雑魚と言いきれる、たかが魔物一匹の死骸。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち