冒険の書をあなたに2
「そうみたいだね。この二人はぼくの大事な仲間だよ。プックルはぼくが六歳の頃に出会ってるし、ピエールも割とすぐ仲間になってくれたから、どっちももう古株」
ねっ、と相好を崩したリュカへ、ピエールとプックルは同時に頷きを返している。
「ずっと一緒に旅をなさってるんですか?」
「グランバニアって国があってね、仲間の魔物もぼくら人間も、皆そこで一緒に暮らしてるよ」
魔物は爺さん預かりだけど、とは言わずにおいた。彼なりのささやかな見栄である。
リュカの言葉に、ホイミンが目を輝かせた。
「魔物と人間が一緒に……? そんな夢みたいな国があるんですか!」
「うん、珍しいでしょ。ぼくの時代でも、他にそういう国はないね」
少しの自慢を織り交ぜて喋りながらプックルの赤いたてがみに指先を通していると、ゴロゴロと喉が鳴った。
「……いいなあ」
ホイミンは軽い溜め息に紛れ込んだ本音を誤魔化そうと、リュカを真似してプックルの艶やかな毛並みに指を這わせた。
「…………」
無言でプックルを撫で続けている詩人の顔がいまは余りにも寂寞に満ちていて、リュカは何故かとてもいたたまれない気持ちになった。
だが、会話の流れで気になったことを尋ねてみる。
「君、一人旅っぽかったよね。さっきの、ぼくに似てるって人はどうしてるの」
「…………」
問いに答えようと口を開きかけたホイミンはぱくぱくと口元だけを動かして、適切な言葉が見つからなかったのか、そのまま口を閉ざした。
「言いたくなければ無理に言わなくていいからね。単純に疑問に思っただけだからさ」
リュカの優しい声音に後押しされ、きゅっと引き結んでいた唇からようやく言葉が漏れ出た。
「会えないんです」
ホイミンは滴るほどに潤った目でそう告げると、しょんぼりと肩を落とす。
リュカはその反応にうっかり踏み込み過ぎたと思い、思わず顔を強張らせた────彼にとっては「二度と会えない存在」を思い浮かべてしまったからだ。
「……もういない……とか?」
やや硬質さの入り混じった声にはっと顔を上げて、慌てて頭を振るホイミン。
「あ、いえ、今もバトランドにいると思います。ただ……私の気持ちの問題で」
相手が生きていると分かり、安堵の溜め息をついたリュカが再び表情を緩めた。
「会っちゃいけない決まりとかじゃないんだよね? 元魔物ってばれたらだめだとか、そういう」
「そういうのはないんです……けど」
「けど?」
一体何に戸惑っているのかと言外に問うリュカのまなざしの前に、ホイミンはかっと頬を染めた。
「は、恥ずかしくて……っ!」
ホイミンが両手で抱き締めた竪琴に頭をくっつけながら言い切ると、リュカが苦笑いを浮かべた。
「なんでー。会えばいいじゃないか、人間になりたかったんでしょ?」
「そ、そうですけど……心の準備が」
「ひとつ訊くよ。その人は、君が願いを叶えたと知って、嘲笑するような人なのか」
リュカの問いに、脳内で自分の名を呼ぶ懐かしい声が思い出されて、彼の名誉を傷つけてはならないと顔を上げた。
二人の視線が交差する。互いの間に軽い笑みはなく、ただ真摯なまなざしがそこにあった。
「いいえ……いいえ! そんなこと絶対にない、そんな人じゃないです!」
言葉よりも多くを語る、かつての姿と同じ色の瞳────いい目だ、とリュカは思う。
「じゃあ堂々と会いに行こうよ。もしぼくがその人だったら、きっと嬉しいけどなあ」
「そうでしょうか……いきなり人の姿になってましたけど、人間社会をさほど知らないままだったので……今でもまだ、変なんじゃないかって思うんです」
そう言って俯いたホイミン。突然右も左も分からぬ社会に放り込まれれば、誰でも手痛い失敗をして躓き、自信を失ってしまうだろう────とリュカは慮った。
長い間奴隷として世間と隔離され育ったリュカにとって彼の苦労は想像に難くなく、むしろそれ以上の苦難だったろうとさえ思えた。
「うーん……」
顎に指先を宛がい、天を仰いで束の間の思案に耽る。それからぱちりと指を鳴らすと視線をホイミンに戻した。
「じゃあさ、パデキアを手に入れるまでで良かったら、ぼくたちと一緒に来るかい。ピエールが今こんなだし、ぼくの代わりに看病して貰えたら助かるんだけど」
「ええっ!?」
ディディの上で寛いでいたピエールが、魔物使いリュカのタラシな本領発揮にやや苦笑しながら成り行きを見守っている。
「ぼくなら君が変かどうかなんて気にならない。敵が出ても皆で守ってあげるし、一緒に街に行って買い物もできるよ。もし予定がないんだったら、どう?」
「それは……魅力的なお誘いですね」
リュカの片頬がニイッと悪戯っぽく上がった。
「だろ。決まり!」
片手を掲げて見せ、戸惑いながらも同じように片手を出したホイミンの手をぱちんと叩いて握手を交わし、合意の合図を送る。
こうして元ホイミスライムの吟遊詩人、ホイミンが旅に加わることとなった。
アネイルを後にしたリュカ一行は、進路をそのまま南に向かう。
時刻は既に日暮れを迎え、地平線の上にだけ仄かに明るさを残す。
間もなく深い闇へと沈むだろう視界の先には草原が広がり、それを左右に分かつような道が一本────行き交う数多の足に踏まれて剥き出しの土と砂利だけになった道を、人と魔物の混合チームはゆっくりと歩いている。
道の脇に生えていた猫じゃらしを無造作に一本摘み取ったリュカが、プックルの鼻にそれを擦り付けつつ口を開いた。
「とりあえず南に行けば、ミントスまでの直行便がある港町に着くって聞いたけど……」
へぶしょん! とプックルが盛大なくしゃみを披露する中、ホイミンがリュカの言葉に応えた。
「ミントスから更に南下していくと、パデキアの一大生産地、ソレッタですよ」
探し求めた薬草が間近に迫り、リュカが笑みを引っ込めて呟く。
「パデキア……ようやくだな」
自然と視線は後方にいる彼の右腕、ピエールへと向けられた。
相棒ディディにしがみついているほうが体が冷えて楽だと当人が言うため、抱えて運ぶつもりでいたリュカは彼の意思を尊重した。ディディも主の指示通り這うように動き、極力ピエールに負担が行かないように頑張っている。
振り返ってちらちらと心配そうな視線を送っているリュカを見て、仲の良さを微笑ましく思ったホイミンはそれについて言葉にすることはなく、淡々と話を続ける。
「今は魔物がおとなしくなったので、コナンベリーは航路を増やして世界各地へ行ける街になっています。人気の航路はエンドールとモンバーバラですね」
再び猫じゃらしを鼻に突っ込まれそうになったプックルが小さく唸ってリュカを窘め、ホイミンの話に興味を示した。
「なんで人気なんだ?」
プックルの素朴な疑問にも、ホイミンは羊のような柔和な表情で答えを返す。
「エンドールには大きなコロシアムがあって、そこで武術大会が開かれてるんだそうです。ここ数年はサントハイムの王女様が連勝してて、余りの人気に観戦チケットがなかなか手に入らないと聞きました。モンバーバラには勇者様と旅をした姉妹がいるので、その人たち目当てだそうで」
リュカが顎に手を当て、ふうんと感心している。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち