冒険の書をあなたに2
そう言ってごつりと頭を押し付けてきたプックルを一撫でして、小さく唸った。
「……とうとう魔物にまで獣臭いって言われたよ」
仏頂面で発された言葉にリュカ以外の全員が一斉に吹き出して、プックルが尻尾でぺしぺしとリュカをはたく。
「あー、まあ多分おれのせいだろうなぁ。諦めろ」
「まあそれのお陰で魔族に見られたから、良かった……のか……?」
リュカは何だか納得がいかないと言いたげにガシガシと髪を掻きむしり、口をへの字に曲げた。
緩い坂道を下ったところで、ぽつぽつと街灯が見えてきた────港町コナンベリーだ。
明け方を迎え闇から刻々と視界が明るんでいく中、常夜灯の灯る港に大小さまざまな船が入っていくのが見える。
一行が街に入るまであと一息というところで、急に強い風が吹き抜けていった。
巻き上がる小石や砂などが目に入らないよう咄嗟に両腕で防御したリュカが、通常のつむじ風とは違うことに気付く。
雑多なごみを巻き込んで渦巻いた風が、視界の先で小型の竜巻になっている。
僅かな痛痒さに目を向ければ、両腕は切り傷にまみれて血が滲んでいた。自分で確認はできないが、頬にも微かに痛みが走っている。
「バギか。ってことは敵だな」
リュカがよくよく目を凝らすと、竜巻の中心に目のようなものがきらりと光った。
あいつが本体なのだろうと察したリュカの顔が一気に戦闘態勢に入る。
そんなリュカの横顔を、ホイミンはまじまじと見つめた。
(……やっぱり、似てる気がする)
竪琴を胸に抱えたまま呆けて立ち竦むホイミンを、見かねたピエールが声をかける。
「ホイミン殿、こちらへ!」
「あっ、は、はい!」
盾を構えてホイミンの前に立つ騎士をちらりと横目に捉え、リュカは安心した様子で神経を集中させる。
「このぼくにバギだって? 笑わせる」
右腕を胸の前まで持ち上げると、握りこぶしを囲むように光が巡る。
バギクロスの詠唱が終わると同時に標的へ向けてこぶしを向けた途端、リュカの足元から真空刃が沸き起こり真っ直ぐに敵へ襲い掛かった。
身に纏う竜巻よりも大型の竜巻に飲み込まれ、魔物かまいたちは断末魔を残して切り刻まれた。
ごとりと音を立てて落ちてきたクロスボウを拾い上げ、リュカは何事もない顔で戻ってくる。
「攻撃呪文まで扱えるんですね……!」
興奮冷めやらぬホイミンに、にやりと口の端を上げて答えた。
「言ったろ、ぼくの敵じゃないって。この辺りの魔物たちはおとなしいほうさ」
リュカの腕の傷を見たホイミンが手を翳しホイミを唱えた瞬間、先を越されしょんぼりと肩を落としたピエールを前に、リュカが慰め始めた。
「あーごめん、回復任せるって言ったもんなぁ。でもさっきのピエールはかっこよかったよ、流石だね。熱はどうかな」
リュカからすると妻より遥かに面倒くさい仲間である。生真面目で忠義に篤すぎる気質のせいもあり、リュカに関して彼に出来る範囲のことは他の者に任せたがらないのだ。彼にとってリュカの妻子はリュカと同等の位置づけのために大きな波乱はない。が、魔物たちの中では一番でなければならないという高いプライドを持っている。
そんな騎士の性質をよく知っているリュカは、慣れた様子で話題を変えて見せた。
ピエールの兜を外させ、額に手を宛がう。
「だいじょうぶです……」
「んー、どこが大丈夫かなー。また上がってきてるよ」
そのままベホマを唱えてよしよしとピエールの頭を撫でた。
「もうちょっとだから、頑張れ」
「またそうやって子ども扱いをなさる……」
「病人が普段通りに動くなって言ってるの。ほっといたら寂しがるくせに良く言うよ」
「さ、寂しがったりなど」
ピエールは言い淀み、誤魔化すように兜をかぶり直す。
そんなピエールの慌てた姿をプックルが思い切り茶化した。
「あるある。すーぐ理由つけてリュカんとこ行こうとするもんなー」
「ま、焼きもち妬かれるのも慣れてるから、悪い気はしないけどね」
リュカは恥ずかしそうに身を縮こまらせている騎士を見て、ふうわりと笑った。
そうして一行は、無事にコナンベリーへと到着を果たした。
仄かな朝焼けに染まる街並みの中を、行商人やクルーたちが忙しそうに荷物を台車に乗せて運んでいる。
それらへきょろきょろと視線を彷徨わせたリュカが振り返り、ホイミンへと話しかけた。
「さてとー、ここから船でミントスへ行けばいいんだよね?」
「はい。乗船場は奥にありますよ、あの建物です」
指差す方向へ目を向けると、遠目にも分かるほど大きな建物がちらと見える。
魔物たちの姿にも不穏な視線は注がれておらず、リュカは安心して隣の騎士へと話しかけた。
「ポートセルミみたいに街の中も海の匂いがするね、ピエール」
「そうですね。初めて乗った船で着いた最初の土地がポートセルミでしたので、感慨深いです……」
聞き慣れない地名に、ホイミンは小首を傾げてリュカを見た。
「ポートセルミ?」
「ぼくらの世界の港町だよ。大きな酒場や灯台があって、活気のある街なんだ」
リュカの向こう側を歩くピエールがひょっこりと顔を出してホイミンに話しかける。
「ポートセルミで山賊をぶちのめしたリュカ様を、ホイミン殿にもお見せしたかったです!」
主自慢が再び始まり、思わず苦笑いのリュカ。
「もー、それ蒸し返すのやめてくれよ。若気の至りだってば……」
恥ずかしげに目元を片手で覆ったリュカへ、今度はプックルが口を開く。
「山賊にいちゃもんつけられてた村人を助けたんだったよな」
プックルはその村人が住んでいたカボチ村を餌場にしていたため、その辺りの冒険話は仲間からのまた聞きである。
「そうです。下賤な山賊どもの剣をさっとかわして、拳で返り討ちにしたリュカ様の鮮やかな動きときたら!」
ピエールが意気揚々と当時の動きを再現し、シュッとパンチを繰り出して見せる。
「ピエール、恥ずかしいからほんと黙って!」
リュカは何とかやめさせようとディディの上からピエールを下ろし、ひょいと小脇に抱えた。荷物扱いをされていても、当のピエールは嬉しそうに笑っている。
微笑ましさにホイミンはつられてふふと笑い出し、プックルの尻尾も機嫌よく揺れた。
「こいつほんっとにリュカ大好きだよなー」
かく言うプックルも、種族を超えた友としてリュカを大切に思っている。父を亡くし頼るあてのない絶望の最中を、旅の当初からずっと支えてきたこの小さな騎士に心から感謝しているのだった。
「大好きも何も、リュカ様は私の生涯ただ一人の主ですから」
小脇に抱えられた姿勢のまま至極当然と言った声音で告げた内容に、プックルが笑い出す。
「うはっ、さらっと重たい告白ぶっこんできたぞ。頑張って責任取ってやれよ」
羞恥心が限界突破したリュカの顔つきが、とうとう憮然としたものに変わった。
「ピエール、プックル! もうその話やめないと爺さん送りだよ!」
言わずと知れたモンスター爺さん預かりを宣告され、ピエールが青ざめながらブンブンと頭を振った。
「い、い、嫌です……!」
「おれ完全にとばっちりじゃねーか」
あぁもう、と片手で再び顔を覆いながらリュカは溜め息をついた。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち