冒険の書をあなたに2
間を取り持とうとホイミンが口を開く。
「まあまあ、お怒りはその辺で。ほら、見えてきましたよ」
造船所を目の前にして、リュカはふとあることに気が付いた。
「あ、そういえば……先にこれ売ってくるよ。お金作らないと」
リュカはそう言ってクロスボウを売るため武器屋へ立ち寄り、代金を受け取るとすぐに戻ってきた。
「お待たせ。二百六十二ゴールドになった〜」
にんまりと口角を上げたリュカは、そう言って嬉しそうに真新しい袋を掲げた。
造船所に併設された受付で、リュカが全員分の乗船券を申し出る。
「四名で」
二の腕に入れ墨のあるいかつい男がぶっきらぼうに答えた。
「……二十ゴールド」
不愛想な低い声。だが不躾な視線などもなく、男は目を合わさずにぷいとよそ見をしている。
リュカは言われた通りに真新しい袋から二十ゴールドを取り出して支払い、手渡された乗船券をそれぞれに配った。
「ミントス行き第一便、まもなく出港します!」
中型船の手前にいた別の船員の声が聞こえ、一行は無事にミントス行きの船へと乗り込んだ。
やがて、定刻通りに船は大海原へと漕ぎ出した。
水平線を離れた太陽が真下の海を照らし出している。
餌を求めたカモメが群れをなして船を避け、一斉に飛び去っていく────リュカとピエールが目の前の光景を懐かしそうに眺めていると、背後から声がかかった。
「温かいお飲み物はいかがですか」
リュカが振り返ると、見習い甲板員と思われる若い青年が一人、二段台車の上段に飲み物を乗せてにこにこと笑みを浮かべている。
二段台車の下段には、ブランケットがかごに入れられている。いずれも早朝の寒さ対策なのだろう。
「ありがとう、いただくよ」
リュカは丁寧に礼を告げて、青年からカップを受け取った。
木を削って作られたカップに入ったお茶は香り高く、少々冷える朝の空気によく合っていて、喉を温めながら腹に流れ込んでいく。
リュカと同じお茶を選んだホイミンとピエールは、二人してふうふうと息を吹きかけて茶の温度を冷まし、少しずつ口に含む。
温まったことで空腹よりも先に眠気を催したリュカがふあ、と大きな欠伸を漏らし、ちょうどそれを目撃したホイミンが、眼前の島を指差した。
「あの島にある街がミントスですよ。もうすぐ着きますから、宿でひと眠りされてはどうですか」
「ん……そうしようかな。なんかちょっと、疲れた……」
以前より無理がきかなくなってきた────そんな些細な衰えを感じながら、リュカは再び海原へと視線を戻した。
隣のピエールが両手でカップを持った姿勢でふいに海面や上空へと視線を飛ばし、それからリュカに話し掛けた。
「魔物の襲来もなさそうですね」
「そうだね。気配すらない」
海上の波も凪いでおり、至って平穏そのものである。日が昇るにつれて気温も上がり、肌寒さが和らいでいった。
久し振りに夜通し歩いた疲労もあってウトウトし始めたリュカへ、ピエールが気遣う。
すぐに先程の青年の元へと駆け寄り、彼は人の言葉で話しかける。
そうして片手にブランケットを抱えて戻ると、遂に座り込んでかくんと頭を揺らしている主の肩へと覆い被せてからプックルを呼びつけた。
「プックル、こちらへ来てください」
「うん?」
リュカの横に座るよう手で合図を送り、プックルがそろりと身を寄せて座り込む。
起きているのか寝ているのか、リュカは目を閉じたままプックルの毛並みに潜るようにくっついて丸まった。
「ホイミン殿もよかったらどうぞ」
平然とソファー扱いをするピエールの口ぶりに、プックルの尻尾が床板をバンバン叩く。
「どうぞって何だ、おい……まあいいや、あんたも横に座っとけ」
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて」
香箱座りのプックルを真ん中にして、リュカとホイミンが両側に寄りかかる。
ホイミンはせっせとプックルの毛並みを撫で、嬉しそうに口元を綻ばせた。
船体に当たり砕けた波が、水煙となって再び海へと還っていく。ざざ、ざざと波風に紛れてぶつかり合う潮音が心地よく耳を舐り、より一層眠気を誘う。
束の間の深い眠りの中、プックルの体温と耳から入ってくる現実の情報がパパスと共に聴いた瀬鳴りの記憶と重なり合い、リュカは懐かしい父の夢を見た。
振り返って笑んだ父の顔に刻まれた目尻の小さな皺をじっと見つめた。そして自分の名を呼ぶ優しい声に、リュカはなんとか応えようと声を出しかけた瞬間にハッと目を覚ました。
胸の奥に、微かな痛みの余韻を残して────
「……」
刹那の再会に喜びと寂しさが混じり合う胸の内を気取られぬように、うんと背伸びをして誤魔化す。
リュカの動きにホイミンがパッと顔を上げて口を開いた。
「あっ、お目覚めですか。そろそろ到着しますよ」
ホイミンの言う通り、船着き場が近づいてきた。ぽつりと突き出た桟橋の先に幾人かが待機している。奥に小奇麗な建物があり、彼らは船の到着までそこにいるのだろうかとリュカは思った。
尻尾をぴんと立ててごつごつ頭を押し付けてくるプックルを撫でていると、横からピエールがブランケットを回収して丁寧に畳んだ。
「よくお休みになられましたね。こちらは返却してまいります」
畳んだブランケットと空のカップを青年に返し、双方がぺこぺこと頭を下げ合っている。
結婚前には幾度もピエールに子供の格好をさせては街の中を連れ回していた成果か、人の世界にすっかり馴染んだ行動にリュカはくすりと笑みを漏らす。
一緒に乗船した人々が一足先に移動を始め、リュカたちも続いて船を降りた────ソレッタ地方への上陸である。
無事に下船したリュカたちは崖に設置された蛇腹階段を上り、道に刻まれた轍の後を追って進路を東に向かう。
太陽は天頂へ差し掛かり、海から吹き付ける潮風が汗ばんだ肌を冷ました。
気温が上がったせいでピエールが再び発熱し、彼は列の後方でディディにしがみつきながら辺りの様子を窺っていた。
(……あれは何だ?)
視界の遥か先にチカッとまばらに光るものが見えた気がして、片手で目元に影を作り目を凝らす。
ごく近い場所で四つか五つほどの鏡のような反射光が、蠢いているようにも見える────敵かも知れない、と彼の経験からくる勘が警鐘を鳴らす。
嗅覚はプックルのほうが上だったが、視覚と聴覚はそこそこに優秀な騎士である。
先程一緒に乗船していた人々の半数ほどが前方にいることを確認し、前を歩くリュカとホイミンの隙間からじっと注意を向けた。
近づくにつれ、やがてその懸念は確信へと変わる。危機と判断したピエールは、声を潜めて傍らのプックルへと話しかけた。
「……プックル」
「あ? どうした」
プックルが目を向けると、兜の奥から覗く青い目には警戒の色が滲んでいた。
「妙な胸騒ぎがする……後を頼む」
「分かった。無茶はするなよ」
「承知した」
言うなり姿勢を正してディディに早く駆けるよう指示を出し、主を追い越して列の先頭へと躍り出る。
リュカはぐんと加速していくピエールの姿に驚きつつも、人間を上回る感覚で何かを察知したのだと思い黙って見送った。
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち