冒険の書をあなたに2
日没までには到着したいと思っての行動だったが、ここまでまともな休憩を挟まずに走り続けたプックルへ、リュカは労いの意味を込めて回復呪文を唱えた。
その頃、ミントスで留守番中のピエールとホイミンは────
扉越しに応対していたホイミンが木組みのトレーを持って戻ってきた。
「お食事ですよ。宿の方が持ってきてくださいました」
ホイミンは小さめの丸テーブルの上にトレーを置くと、寝台で大人しく横になっているピエールのもとへ歩み寄ってきた。
「起きられますか?」
ピエールはリュカに怒られたのが余程堪えたのか、その後すぐに熱が上がりふうふうと苦し気に息を吐いている。
呼びかけられたピエールがうっすらと目を開け、小さく笑んだ。
「……ホイミン殿、お先にどうぞ。私は後で食べますから」
こうも食欲がわかない感覚は、彼にとっては久し振りだった。
以前は腹が減れば気まぐれに食べる程度だったが、リュカと旅をし始めてからはある程度の規則性でもって食事を摂るのが習慣になっていたのだ。
賑やかに火を囲み、常に誰かと共にいるのが当然になっていた。
今だってホイミンが側にいる。それでも陰のごとく付き纏う孤独感────覚えのある恐怖を思い出し、ピエールは脳内のそれを振り切るようにぐいと身を起こした。
「すみません、やっぱりご一緒してもいいでしょうか」
ピエールの言葉に、ホイミンはにっこりと頬を上げた。
「勿論です。温かいうちに食べましょう!」
楕円状の硬いパンが均等に切られている。ホイミンはその一枚を手に取ると、無造作にちぎってスープへ浸した。
「えへへ、ごめんなさい。私こうやって食べるの、好きなんです」
人間の姿になって、沢山あった触手が十本の指先に変わった。
彼が人間の体と味覚を得て真っ先にしたことは、ライアンの真似である。
「ライアンさんがこうやって食べていたんです。それがとっても美味しそうで、でもぼくホイミスライムだから、前は味とか分からなくて」
ライアンの携帯食の中にはパンを乾燥させたものもあった。通常では歯が立たぬほどカチカチのパンを、スープに浸しふやかして食べるのだ。
何でお肉もパンも葡萄も干からびているの────そう不思議そうに尋ねたホイミンへ、こうしていれば持ち運びしやすくて腐らないんだよと笑顔で教えてくれた。
束の間の回想に耽りつつ、スープを吸い込んでひたひたになったパンを丁寧に咀嚼して、こくりと飲み込む。
「今なら、一緒に美味しいねって言えるのになあ……」
ぽつりと呟かれた言葉は、静かな部屋に拡散して消えていく。
ライアンと言う人物の話題になった途端口調が変わったことにピエールは気づいたが、そのあどけない口調のほうが何故かとても自然に思え、これがきっと彼の素なのだろうとそのまま黙って頷いた。
一口大にちぎられた生野菜をフォークでぷすりと刺しながら、ピエールは何と答えようかと考えあぐねた。
口の中で瑞々しい葉がぱりぱりと音を奏でる間、頭の中で適切な言葉を探す。
「……かつて、リュカ様にもう二度と会えないのではと思った時期があるんです」
ピエールが思い出していたのは、デモンズタワー決戦後の話だ。
「リュカ様が石にされて……長い間、我々は主を失っていました」
完全に石化する直前、子供たちを頼むと叫んだリュカの願いをひたむきに守り抜き、グランバニアでただ待つしかできなかった日々。健やかに育ちゆく双子の世話をしながら、共に旅をし戦った記憶が過去へと追いやられていくことも、もはや永遠に失ってしまったのではと時折脳裏を過る最悪の想像にも、ピエールは恐れを抱いた。
「今でもあの頃を思い出すと、体が震えます」
「うん……」
それであれだけ一緒に行くとごね倒していたのか────と、ホイミンはすぐに納得した。
ピエールはパンの上にたっぷりとたれを絡めた肉を乗せ、ぎゅっと握るようにして挟み込みながら言葉を続ける。
「リュカ様も仰ってましたが……寂しいと思うなら、会いに行くべきです。会えなくなってからではどうしようもありませんから」
言うなり肉を挟んだパンにかぶりつき、口の端を親指で拭っている。
「この肉、美味しいですよ」
勧められるまま切り分けた肉を口に運んだホイミンが、ふふと笑った。
「ほんとだ!」
咲き零れるような笑みにつられ、ピエールの頬も思わず緩んだ。
リュカとプックルがソレッタに到着したのは、日が暮れて辺りが蒼に染まった頃だった。
入り口付近で呆然と立ち竦んでいたが、プックルがようやく口を開く。
「なあ……ホイミンの野郎、国だっつってたよな」
「そう言ってたよ、ね……?」
「おれにはカボチ村レベルのド田舎にしか見えないぞ」
「奇遇だねプックル……ぼくもだよ……」
松明の明かりはちらほらと灯っている。が、いくら見渡せど城と思しき建物もなければ、宿屋と思しき建物もないのだ。
ガリガリと頭を掻いて、弱ったなあと呟く。一頻り唸った後、ふうと息を吐いて気持ちを切り替える。
「とりあえず宿はあるらしいから、朝までひと眠りしよう。王様と話すにもこの時間は無理だろ」
「なんで豚だの牛だのが普通にうろついてんだよ……人間より多いんじゃないのか……」
左側には大きな松明を灯した教会があり、右側には宿屋の立て看板と屋根がある。屋外の簡素な机の前に恰幅のいい男が佇んでいるのが見えた。
まさかと嫌な予感に話しかけてみれば案の定そこが宿屋で、宿泊は可能なもののどうにか雨だけは凌げる状態である。厚みについてはかなり心もとない毛布を借り、プックルと寄り添って眠りについたのだった。
日の出前、二人は雄鶏のけたたましい鳴き声で目を覚ました。
リュカはのっそりと体を起こし、眠気の残った顔を手のひらで擦る。
「うー……体いって……」
すっかり城の贅沢暮らしに慣れてしまった体には、ゴザの上で雑魚寝は少々堪えた。軋む体を伸ばせば、ぱきぱきと関節が鳴る。
屋外に置かれた水瓶から洗面器に水を汲み、顔を洗って身支度を整えると、プックルも前足をうんと伸ばしているところだった。
「おはようプックル。行こうか」
空腹感が酷かったが、素泊まりゆえ食事は出ない。
パデキアを入手したらルーラですぐに戻ろうと決め、国王との謁見に臨んだ。
宿屋の主人に話を聞き、大きなテントにも見える建物へ向かった。
だが肝心の玉座はもぬけの殻、挨拶できたのは大臣だけで、国王は畑にいると言う。
畑に向かう途中、プックルが呟く。
「カボチ村も国って言い張ったら国になるのかな」
「どうだろうねぇ。自称ならなんとでも言えそうだけど」
そう広くもない畑の中央で、腕まくりをして植物を収穫している人物が見えてきた。
「すみません、こちらの国王様にお会いしたいのですが」
豊かな髭を蓄えて、随分と筋骨逞しい体つきの男が愛想よく笑う。
「うん? 国王は私だが……旅のお方かな? ようこそソレッタへ!」
それから、リュカは自分の世界で起きている病のことをかいつまんで説明し、ソレッタ王に深々と頭を下げた。
「……そういう訳で、パデキアの根っこと、できれば種を少々分けていただきたいんです」
作品名:冒険の書をあなたに2 作家名:しょうきち