花一輪 続編
「やだ、もう!、怒ってるのよ!、分かるでしょ!。」
「うん、知ってる。」
こんな時に笑顔なのだ、林殊は。
「今朝になって手紙一つなんて、、、哥哥、あんまりよ。ずっと、楽しみにしてたんだから、、、、。」
「うん。」
林殊は、神妙に返事をする。
「もっと、早くなら、、、せめて昨日とか、、、、。」
「うん。」
「どこを歩こうか、、、、色々、決めてたんだから、、。」
「うん。」
林殊は霓凰の小言に、一々返事をしていたが、次第に林殊の声は低くなり、終いには「うん」の返事は聞こえなくなった。
「哥哥?。聞いてるの?、ねぇ。」
そしてスースーという、規則的な呼吸が聞こえた。
霓凰が小言を言っているさなかに、林殊は寝てしまったのだ。
林殊の肩を揺するが、全く起きる気配は無い。
「もう!。」
霓凰は呆れてしまった。
───どうしてここで眠れるの!!。───
だが本当に、林殊はクタクタに疲れている様子だった。
───、、、ずっと軍営にいたのかしら。───
ずっと軍営で、調練していたのならば、クタクタな筈だ。
赤焔軍の調練は、他の軍よりもずっと厳しい。夜通しの調練も度々ある。
休みを貰えなかったのか、それとも、赤焔軍の調練が魅力的だったのか。
林殊の汗の匂いがする。
頑張って、調練してきたのだろう。
───林府に帰って、私が書状を受け取らなかったのを知って、慌ててここに来たのかしら、、、。
私が、本当に怒ってるとでも思ったのかしら。
、、、、ちょっと、、、ちょっとだけ、寂しかったのよ。───
林殊のすっぽかしは、いつも仕方がない事ばかりだった。
───いつも忙しいのに、無理に私の予定を入れるんだわ。
でも、やっぱり、時間の融通が利かなくなって、いつもこんな羽目になるんだわ。
、、、哥哥は、私を喜ばせたいだけなのね。───
陽に焼けた林殊の顔が、頼もしい。
金陵の市を歩かなくても、こうして側に居るだけで、霓凰は幸せのだ。
子供みたいに、無防備に眠る林殊の寝顔。
───ずっと、こうして居られたら良いのに、、、。───
少し眠って、目が覚めたら、林殊はきっと帰るのだろう。
ふと、林殊の手に何かが握られているのが目に付いた。
そう言えば、さっき、背後から包まれた時にも、林殊は手に持っていたのだ。
布の包みの様な物だった。
林殊の左手を、霓凰はそっと引き寄せる。
林殊は熟睡してしまっている様で、力無く、霓凰のされるがままだ。
左手に握られた布を、霓凰は難なく手にすることが出来た。
絹の布の中に、何が固くて細長い物が包まれている様だ。
中の物は、自分から姿を現すように、絹布が開いていった。
「あ、、、。」
銀の簪だった。
七宝の白い菊をあしらった、簪だった。
林殊が、霓凰の為に用意したのが、見ただけで分かったのだ。
胸が締め付けられそうだった。
───あの日の小菊、、、、、、。
哥哥は私の事を、切り捨てた訳じゃなかったんだわ。───
林殊はギリギリまで、行ける様に工面をしていたのかも知れない。
自分で決めた事は、諦めない林殊だった。
色々、きっと、考えていたのだろう。
「哥哥、、ごめんなさい。我が儘を言ったつもりはなかったの。」
林殊はいつ渡そうか、きっと機会を、見計らっていたのだろう。
霓凰の小言が終わったら、渡すつもりだったのだろうか。
だが、霓凰の小言は終わらず、疲れた林殊は寝入ってしまったのだ。
武術も学問も、大人顔負けの怪童と言われる一方で、乱暴者だの、無作法者だの、あまり良くは言われない。
───でも、優しい人、、、。私は、知っているわ。
私は、林殊哥哥の心の中にちゃんと居る。───
大事な人を傷付けないように、優しい嘘をつくのだ。
林殊にとっては、嘘など何でもない事なのかも知れない。
二人を照らす、半月の月をもう、寂しいとは思わない。
天から自分を、優しく照らしているのだ。
林殊が目覚めたら、この簪を挿してもらおう、。
いつまでも、寝顔を見ていたい。
ずっとこうして居たかった。
「ぅ、、ん、、。」
林殊の目が覚める
真上にあった月が、だいぶ動いていた。
「あ〜〜〜、マズい、、ぐっすり寝てた、、。」
霓凰の膝が心地良く、、、頭の高さが絶妙だったのだ。
林殊は起き上がって、霓凰を見る。
霓凰もまた、柱にもたれ掛かって、眠ってしまっていた。
それもそうだろう、夜も遅いのだ。
霓凰は林殊を、起こさないように同じ姿勢で居てくれたのだ。
結構な長い時間だったろうに、じっと動かずに寝かせていてくれたのだ。
━━━ごめんな、霓凰。━━━
どんな林殊でも、ありのままを受け止めてくれる。
林殊は霓凰を、起こさぬ様に静かに抱き上げて、部屋に運ぶ。
女人の部屋に入るのは不味かろうが、、このままにもして置けない。
抱き上げたまま、そっと部屋の扉を開け、中に進む。
初めて入った霓凰の部屋は、女の子らしくて、普段の霓凰からは想像も出来ない。
整然としている、霓凰らしい部屋の佇まい。
林殊はゆっくりと、寝台の上に霓凰を下ろし、布団を掛けてやった。
霓凰の手の中の簪は、側の小机の上に、、。
林殊は、簪とは別に、小机の上に置かれた物を見て、嬉しくなる。
「ありがとう、霓凰。」
自分を受け止められるのは、霓凰だけだと思う。
林殊は、さっきまで簪を握っていた霓凰の手に口付けた。
━━━愛おしい者、、、、、。━━━
側にいて、大切にしたいのにままならぬ。
林殊は休みをむしり取ってやろうと思っていたのだ。
たった一日だけ、一日だけならば何とでもなる。
聶峰にも協力させて、せめて半日だけでも、、、そう思っていた。
そうしたら何と、赤焔軍の主帥林燮に、明日から聶峰軍の副将なとなって、国境を巡視して来いと命じられた。それが昨日の事。
巡視の用意、、、霓凰と会うどころでは無くなった。
昨夜は遅く帰り、今朝も早くから軍営へ行かねばならなかった。
とても会う時間が作れない、そう思って書状を霓凰に宛てた。
巡視となれば、金陵に戻って来るまでしばらくは会えない、だから、一目だけでも霓凰に会っておきたかった。
どの位会えぬのか、霓凰が寂しがらない様に、自分の気持ちの入ったものを、霓凰に贈りたかった。
昨日の夜中、職人町の銀職人の所へ押し掛けて、無理やり売ってもらった。
金陵を離れる自分の心を、霓凰の側へ置いてゆきたかった。
だが、今夜行く、そう書状に書いて届けさせたのに、書状は林府の林殊の部屋に置かれていた。
簪を取りに帰って、自分の書状を見つけた。
霓凰は受け取らなかったというのだ。
相当、怒っているのだろうな、そう思った。
だから、大急ぎでここへ来たのだ。
━━━巡視から帰ったら、真っ先に来よう。━━━
林殊もまた、このままここで霓凰の寝顔を見ていたかったのだが、軍営に戻らねばならなかった。
「じゃ、な、霓凰。」
そっと、手を離そうとした時、霓凰の手が林殊の手を握ったのだ。
「なんだ、起きてたのか。」
霓凰が寝台の上に起き上がった。
「、、、林殊哥哥、、ありがとう、、簪。」
霓凰は、小机に置かれた簪を、大事そうにまた手に取った。
神妙な顔の霓凰だった。
「うん。」
複雑そうな顔をしていたが、林殊には霓凰が嬉しそうなのが分かる。