甘い水の中で 5
連邦としてもスウィート・ウォーターへの支給が無くなれば負担は減る。アクシズも現状、特に採取可能な鉱物資源が確認できない為、正直管理に金が掛かるばかりで持て余している状態だ。連邦にとっては決して悪い条件では無い。
「アムロの事は?そういえば何故アムロが貴方の元に?拉致したのか?」
「拉致などとんでもない!アムロがスウィート・ウォーターに潜入してきたと報告を受けてね。彼とは一度ゆっくりと話がしたくて、少し強引だったが話し合いの場を持たせて貰った」
シャアのその言葉にアムロが冷たい視線を送る。
『銃で脅して取り囲むのは拉致じゃないのか?』
アムロの思考を読み取ったのか、シャアがにっこり微笑む。
「きちんとその場でアムロの同意は得ているよ。そうだろう?アムロ」
『同意?そう言われれば、発信機を見つけて…最後は投げやりになって、「好きにしろ」と言ってしまった気がする』
アムロは溜め息を吐くとコクリと頷き、
「ああ、そうだな」と答える。
「しかしなぜ今更アムロの除隊手続きを?さっきの話では既に死亡扱いで、アムロをこの場に連れて来なければ自動的にネオ・ジオンに取り込めただろう?」
ブライトの疑問に、シャアがにこやかに答える。
「アムロには納得した上で私の元に来て欲しくてね」
「それはそうかもしれんが…」
せっかくアムロが死んだと連邦が思っていたのにわざわざ知らせなくとも…とブライトは思う。
「アムロについては現状MIA(行方不明)扱いか死亡扱いだろう?正式な除隊手続きで、退役金を支払ってやって欲しい。アムロの金銭管理は全て君が代行していたと聞いた。その辺りの事もきちんとした方が良いと思ってな」
そう、無頓着なアムロの金銭管理は全てブライトがしていた。そして、収入の大半はかつての幼馴染であるフラウ・コバヤシへと送られていた。夫であるハヤト・コバヤシを亡くしたフラウを援助をしていたのだ。
確かに、先月あたりからアムロの口座への給与の支払いがストップしていた。まさか死亡扱いになっているとは思わず、何かの手違いだと問い合わせをしようとしていたところだ。今後は給与からの援助は出来なくなるが、まとまった退役金を渡せば充分生活が送れるだろう。
ブライトはシャアがそこまで調べ上げていた事に複雑な思いはあったが、フラウにとっては助かる条件だ。
「…そうですね…」
「ああ、それから、NT研究所のサンプルについては冷凍精子に至るまで全て破棄して頂きたい。これについてはこちらの人間を立ち会わせたい、宜しいかな?」
高官へとシャアが視線を戻して確認する。
「破棄…ですか…」
「ええ、こちらとしてもアムロのクローンなどを作るつもりはありませんので。それよりも他の組織に渡る事の方が問題だ」
『連邦にも…』と心の中で呟く。
「良いでしょう。分かりました」
「ああ、それから。アムロは今後ネオ・ジオンの管理下に置きます。まぁ、除隊した軍人のその後の事など関係ないでしょうが?」
「…それは!」
流石に最強のパイロットであり、一年戦争の英雄がネオ・ジオンに入るとなるとメディアが放っておかないだろう。連邦にとってイメージダウンになる。それならば事故に見せかけアムロを…
「ネオ・ジオンと連邦は和平条約を結ぶのだからイメージダウンにはなるまい?ああ、もしもアムロの身に何かあればこの条約は白紙に戻す」
「なっ!」
自身の心を読まれ、高官が顔を歪める。
「もちろんこの条件も受け入れてくれると信じている。貴殿らには悪くない条件だと思うが?」
シャアの余裕の微笑みに、高官達が苦虫を潰した表情をするが、和平を申し入れている手前、NOとは言えない。
少し思案し、他の高官達とも相談して、その条件を了承した。
そうしてネオ・ジオンと連邦政府との和平条約は締結され、高官はシャアへと握手を求める。
「我々の恒久的な平和のために」
その作った笑顔に、ブライトは眉を顰める。
『平和などと…ネオ・ジオンをねじ伏せる事しか考えていないくせに!』
シャアは高官差し出す手を握り返し。
笑顔を向ける。
「ええ。但し、分かっておられると思うが、今回の条件を一つでも破った場合には、和平条約を破棄し、ネオ・ジオンは全軍をもって宣戦布告をする用意があります。それをお忘れなきよう…」
笑顔を浮かべつつも、冷たい光を宿す青い瞳に、高官がぞくりと背中を震わす。
「わ、分かっている」
「地球連邦政府の誠意を信じています」
少し意味深な笑みを浮かべてシャアが手を離す。
「スウィート・ウォーターの外までお見送り致しましょう。今日は連邦とネオ・ジオンの和平のために御足労頂き感謝します」
にっこり微笑むシャアに見送られ、高官達が部屋を出て行く。
そしてスペースポートへ向かう車の中で、一人の高官が先ほどの締結書類をもう一度確認する。
「本当にこの条件でネオ・ジオンは和平に応じるのでしょうか?それに…スウィート・ウォーターの独立を許してしまって良いのでしょうか?」
それに対し、代表の高官が答える。
「ネオ・ジオンはまだそんなに大きな組織では無いのだろう。連邦に及ばない戦力で叛旗を翻すほど赤い彗星も馬鹿ではないという事だ。それに難民収容用のコロニーが一基独立したところで連邦は痛くも痒くも無い。寧ろ支給物資を送らなくてよくなるんだ。その分我々の懐が温かくなるだろう?」
不敵な笑みを浮かべる高官に、他の高官もそれもそうだと肩を撫で下ろす。
「しかし、アムロ・レイの事はどうしますか?和平を結ぶとは言え、かつての英雄がネオ・ジオンに寝返るとなると、メディアが放ってはおかないでしょう?かと言って彼に危害を加えればこの条約は決裂しますし…」
「ふふん、それならば問題ない。もしもアムロ・レイが死ぬ事になったとしても、我々が手を下したのでなければ関係ないだろう?例えば自殺とか?」
含みのある言葉に、他の高官が疑問の声を上げる。
「それはどういう…?」
「アレには発信機の爆弾以外にもある仕掛けがしてあってな…ククッ」
高官は笑いがこらえ切れず肩を震わす。
「仕掛け?」
「あるキーワードを聞くと、自殺をするようにマインドコントロールを施してある。身体に何か仕込んだわけでは無いからな、検査では見つからない。当然証拠も残らない」
「ほう、そのキーワードとは?」
車内に設置されているモニターから、聞き覚えのある声が響く。
その声に高官達がビクリと肩を震わせ、恐る恐るモニターへと視線を向ける。
そこには、先程まで会談をしていたネオ・ジオンの総帥、シャア・アズナブルの姿があった。
「シャ、シャア総帥!」
「キーワードを教えて頂きたい」
静かな口調ながらも、その迫力に高官達が息をのむ。
そして、そうこうしている内に、車はスペースポートへと到着してしまう。
運転席からシャアの護衛であるギュネイ・ガスが降りてきて、高官達の乗る後部座席のドアを開ける。
「到着致しました。どうぞ」
促されるまま高官達が車を降りると、その周りをジオン兵が取り囲む。そしてその中心には、氷の微笑を浮かべたシャアが立っていた。
「シャア総帥…何故貴方が…」
「スウィート・ウォーターの外までお送りすると言った筈だが?それに、まだ先ほどのキーワードも聞いていない」