あの日の夏は海の底 前編
ーそれは、高校3年の初夏だった。
まだ夏というにはそんなに暑くないこの時期
の授業はとても眠いものだった。
僕ら六つ子も高校生になり、各自の個性が出
始めた。
おそ松兄さんは、相変わらず自称”カリスマ
レジェンド”を謳っていた。
そんなおそ松兄さんとコンビを組んで悪さを
していた、暴君チョロ松兄さんはアイドルに
目覚め、真面目なヲタクへと変貌を遂げてい
た。
十四松はというと、野球部に入り性格も底抜
けに明るくなっていた。
トド松は女の子たちと遊ぶようになり、カラ
松も演劇部に入ってから、芝居染みた話し方
をするようになった。
当然僕も変わった。
真面目で一生懸命勉強してた頃の僕はもうい
ない。
ボサボサの頭にマスクをつけて、常に猫背。
コミュ障な上に、実兄に不毛な片想いを拗ら
せている燃えないゴミになった。
友達などいないし、必要ない。
裏切られて傷つくならいない方がいいし、僕
には兄弟たちがいる。
そんな風に思いながら高校生活を送っている
が、最近そんなに皆んなとも話せていない。
ぼーっと1日を過ごし、帰りの支度をしてい
ると、聞き慣れた声が耳にはいる。
「失礼しまぁーす!」
ホームルームの終わった騒ついた教室に、通
る声。十四松が僕の元に近づいてきた。
「一松兄さん!帰りまっせ!」
「十四松…今日部活は?」
「休みでっせ〜」
「さよか〜」
あっけらかんと笑う十四松に、僕もいつもの
調子で返した。
学校を出ようとした時、門の前で演劇部が発
声練習をしていた。
僕はそれを横目で見て、想い人を探す。キリ
ッとした眉に自信に満ち溢れた顔で、一生懸
命発声練習をしているカラ松が視界に入っ
た。
「一松兄さん!
カラ松兄さん頑張ってまっせ〜」
十四松の言葉にドキッとして、カラ松から目
を逸らした。
「別に俺には関係ないよ…」
ボソボソと呟いていると、カラ松はこっちに
気がついたらしく走って近づいてきた。
「今帰りか?」
「そうでっせぇ〜
兄さん部活頑張りマッスル!」
「フッ…勿論だ!ブラザー」
十四松とカラ松は楽しそうに話していた。
僕は目を逸らして、足元に視線を逃がす。
「それじゃあ、もう練習に戻らないとならな
いから…気をつけて帰るんだぞ?」
カラ松は僕と十四松の頭を撫で走って戻って
いった。
恥ずかしくなった僕は、舌打ちをして背を向
け歩き始めた。
十四松も僕の後に続いて歩き、二人で肩を並
べて帰路に着いた。
ー 夏も本番になってきた。
猛暑日が続く中、カラ松は嬉しそうに家に帰
ってきた。
「聞いてくれブラザー!俺、主役に抜擢され
たんだ!」
子供のようにキラキラした目に、僕の鼓動は
早くなる。
「良かったねぇ〜カラ松ぅ〜」
「凄いじゃん!カラ松兄さん!」
「わっはぁ〜主役っすか!!」
「カラ松は、なんの劇やんの?」
みんな自分のことのように喜び、激励してい
た。チョロ松兄さんの質問の答えに、そっと
耳を傾ける。
「人魚姫だぞ」
「え?人魚役やんの?」
「いや、王子様役だが?」
「やめてよ!びっくりしたじゃん
ついにイタ松兄さんは、イタさのスキルア
ップしちゃったかと思った!」
トド松とカラ松の会話におそ松兄さんが、大
笑いしていた。
「カラ松ぅ〜俺は似合うと思うよぉ〜」
「おい長男!小馬鹿にしてるじゃねーか!」
お腹を抱えて笑うおそ松兄さんに、すかさず
チョロ松兄さんがツッコミをいれた。
”カラ松…王子様か…似合いそうだなぁ”
僕は、楽しそうにしている皆んなを見ながら
隅っこでそんなことを考えていた。
カラ松は、皆んなの会話を遮り
「もう一つあるんだが…」
と、きりだした。
「あのな…彼女が出来たんだ…」
「「「え?!」」」
カラ松の一言に三人はピタリと笑うのをやめ
て、カラ松の方を見る。
「ちょっと…へ?何?カラ松兄さんいつの間
彼女作ってたの!?」
トド松は、カラ松につめ寄る。
「今日、告白されてな!」
「ちょ!詳しく!誰に告白されたの?」
「同じクラスの佐渡さんだ」
「しぇー…お兄ちゃん知らなかったよぉ〜
カラ松は意外にモテるんだな…」
「お前みたいに雑でバカじゃないからじゃな
いの?」
「チョロ松!本当のことでも言っていいこと
と、悪いことがあるよ!」
「自覚してんのかよ…」
カラ松はトド松に質問攻めにされていて、お
そ松兄さんとチョロ松兄さんはいつものやり
とりをしていた。
”終わった…”
僕は皆んなのやりとりが耳に入らないほど、
目の前を真っ暗にして頭を真っ白にしてい
た。
「佐渡さんって言ったら、結構可愛いって有
名だよ?!」
トド松の声に、意識を引き戻された。
おそ松兄さんは、隅っこの僕のところに来て
抱きついてきた。
「なんだよぉーお兄ちゃんより先なんて羨ま
しいぞ〜!な!いちまちゅ!」
抱きつかれた僕は、半ば諦めながらおそ松兄
さんの背中をポンポンした。
「いいことなんじゃないの?これでクソ松も
少しはまともになるんじゃない?」
柔らかい笑顔で言葉を紡いだ。
「ありゃ?一松、今日は素直だねぇ〜」
頭をグリグリしていたおそ松兄さんが、顔を
上げて僕の顔を覗き込む。
「まぁ、クソ松のことなんて1ミリも興味な
いけど…佐渡?さんだっけ?
いい人なんだし、これで演劇も頑張れるん
じゃない?」
おそ松兄さんの顔を見て言葉を紡いだ。
兄さんは少し笑って僕から離れ、祝福の言葉
をかけた。
「ま!そーだな!応援してるぜカラ松!」
「そうだね!カラ松イタイからなぁ〜」
「失望されないようにね?カラ松兄さん!」
「サンキュー!ブラザー」
カラ松は笑顔で応えていた。
この祝福ムードの中、十四松は一人だけ何も
言葉にせず、口元に手を当てていた。
僕のそばにこっそり来て何も言わずに隣に座
った。
この日の夜、僕は寝付けずに屋根に登り、月
を眺めていた。
分かってた。自分の気持ちが抱いてはいけな
いものだということを…
男…ましてや兄弟である兄に、いつか自分を
見てもらえる日が来るわけが無いのに…
いつか、結婚して家庭を作って幸せになる権
利が、カラ松にはある。
それを僕の穢れた気持ちで壊すのはダメだと
心に打ち付ける。
”カラ松への気持ちを殺そう…
そして、弟として兄を応援しよう”
そう決意し、僕は静かに涙を零した。
作品名:あの日の夏は海の底 前編 作家名:ぎったん